蔵のつくりで建てられた漁家

旧谷山家住宅(きゅうたにやまけじゅうたく)は、和歌山県海草郡下津町(現在の海南市下津町塩津)から和歌山市岩橋の県立紀伊風土記の丘へ移築された江戸時代中期の漁家建築で、寛延2年(1749年)の上棟、昭和44年(1969年)3月12日に国の重要文化財に指定された。

建立年は推定ではない。棟上げの際に小屋裏へ納められた棟札が住宅とともに残り、その銘文から寛延2年の上棟が判明している。この棟札1枚も附(つけたり)として指定に含まれている。

この建物の特異さは構造にある。土蔵造、つまり本来は蔵に用いる厚い土壁の技法を、住まいに適用している。主屋は桁行9.5メートル、梁間8.9メートル、一部二階建。南面には桁行3.0メートル、梁間5.0メートルの突出部が付き、切妻造で東面と北面に庇を設け、屋根は重い本瓦葺。西側には桁行4.8メートル、梁間4.0メートルの倉が別棟として建ち、その東面が主屋に接続する。

潮風が決めた間取り

この家はここで生まれたのではない。もとは海草郡下津町塩津、現在の海南市下津町塩津にあり、和歌浦湾に面した浜に建っていた。文化庁のデータベースが旧郡名を残しているのは、指定当時の住所がそれだったためである。

塩津浦は江戸時代の紀州における海運の要地だった。イワシ網やイナ網を操り、瀬戸内や関東にまで出漁した紀州網漁の基地でもある。谷山家は代々、海運と網漁を生業としてきた。

平面を読むと海が見えてくる。漁師町の建て込んだ敷地に合わせ、整形の矩形ではなく縦に長い台形の平面をとる。居室部分は全体に小さい。内部の大半は吹き抜けの土間が占めている。部屋ではなく、漁具と漁獲と作業を中心に組み立てられた家である。

風への備えも具体的だ。外壁には漆喰を多く用いる。玄関は通りに面した正面ではなく、別の位置に設けられている。二階の窓には三重の戸を用いる。冬場に湾から吹きつける風が、これらの判断の理由である。

ただし「寛延2年に建った家」という単純な話では終わらない。接続する倉の材料は、主屋のそれよりやや古いと見られている。紀伊風土記の丘の解説は、寛延2年に建て替えられたのは主屋だけで、それ以前からあった倉に接続されたと考えられる、としている。

指定の理由と、移築が引き換えにしたもの

指定番号は01711、指定は昭和44年3月12日。文化庁の評価は簡潔である。県下で建立年代の明らかな民家として古い部類に属し、かつ漁家としても数少ない遺例のひとつだ、とする。この二点はどちらも重い。同年代の農家なら全国に相当数が残る。漁家は残らない。海沿いの集落は風水害や火災のたびに建て替えられ、漁村には建物を長く保たせるだけの蓄積が生まれにくかった。

和歌山県はこの家を所有者から譲り受け、昭和44年度に紀伊風土記の丘へ移築して復元修理を行った。同じ日に指定された旧柳川家住宅も、同じ事業で当地へ移されている。

移築が失ったものについては率直に書いておきたい。この家はもう、備えるべき風の吹いてくる場所には建っていない。汀線との距離、両隣の家との間合い、働く港との関係は失われた。引き換えに得たのは存続である。昭和40年代、漁師町の狭い敷地に建つ古い民家が残る見込みは高くなかった。いま建物の前に立ったときにできるのは、片側に海を、両脇に隣家を、頭の中で戻してみることだ。

丘の麓には移築された民家が集まっており、旧柳川家住宅ほか国・県指定の建物が近接して並ぶ。漁家をその隣の商家や農家と見比べると、空間の割り当て方の違いが、歩いて移動する一分ほどのあいだにはっきりしてくる。

訪ねる前に

紀伊風土記の丘は昭和46年(1971年)8月に開館した県立の登録博物館で、約67ヘクタールの園内に特別史跡「岩橋千塚古墳群」が広がる。大小およそ500基の古墳が丘陵から北斜面一帯に点在し、麓には移築民家群と万葉植物園が置かれている。

開園時間は9時から16時30分まで。移築民家の公開は16時15分までとやや早い。休園日は毎週月曜日(月曜が祝休日にあたる場合は次の平日)と年末年始の12月29日から1月3日まで。

訪問前に現況の確認をおすすめしたい。資料館は令和7年度末をもって一時休館に入り、令和10年下期に和歌山県考古民俗博物館(仮称)として開館する予定である。休館期間中も、資料館と園内の一部工事エリアを除いて園内は利用できる。料金の扱いもこの休館に連動しているため、古い情報ではなく公式サイトで確かめてほしい。

駐車場は87台、無料で、利用時間は8時から18時まで。駐車場から資料館までは徒歩約5分。公共交通ではJR和歌山駅東口5番乗り場から「紀伊風土記の丘」行きのバスで約20分だが、本数が少ないため和歌山バス(073-445-3131)で時刻を確認しておきたい。同じ東口からタクシーで約10分、JR田井ノ瀬駅からは約2キロメートル、徒歩約20分。車では阪和自動車道の和歌山インターチェンジから約5分。ボランティアガイドの申し込みも受け付けており、英語対応のガイドもいる。

Q&A

Q旧谷山家住宅は今どこにあり、見学できますか。
A和歌山市岩橋の県立紀伊風土記の丘の園内、丘の麓の移築民家群のなかにあり、開園時間内に見学できます。開園は9時から16時30分まで、移築民家の公開は16時15分まで。休園日は月曜日(祝休日の場合は次の平日)と12月29日から1月3日です。
Q旧谷山家住宅が寛延2年(1749年)の建築だと、なぜ分かるのですか。
A棟上げの際に小屋裏へ納められた棟札が残っており、その銘文に寛延2年の上棟が記されているためです。棟札1枚は附として指定に含まれています。江戸中期にさかのぼる民家で建立年代が文書によって確かめられる例は多くありません。
Q旧谷山家住宅はなぜ通常の軸組ではなく土蔵造なのですか。
A和歌浦湾に面した塩津の浜に建っていたためです。漆喰を多用した厚い外壁、通りに面した正面を避けた玄関の位置、二階窓の三重の戸は、いずれも海からの強風への備えです。本来は蔵に用いる土蔵造を住まいに適用することで、風に耐える家を得ています。
Q旧谷山家住宅の名称に「旧所在 和歌山県海草郡下津町」と付くのはなぜですか。
A指定名称がもとの所在地を記録しているためです。旧所在地は海草郡下津町塩津で、下津町は平成17年(2005年)に海南市へ編入されました。和歌山県が建物を譲り受け、指定と同じ昭和44年度に紀伊風土記の丘へ移築したため、公式名称には旧住所が残されています。
Q旧谷山家住宅のほかに、紀伊風土記の丘では何が見られますか。
A特別史跡「岩橋千塚古墳群」があり、およそ500基の古墳が丘陵一帯に点在します。麓には旧柳川家住宅をはじめとする移築民家群と万葉植物園が置かれています。資料館は再整備のため一時休館中ですので、来園前に公式サイトで現況をご確認ください。

基本情報

名称旧谷山家住宅(旧所在 和歌山県海草郡下津町)/きゅうたにやまけじゅうたく
所在地和歌山県和歌山市岩橋1822番地 紀伊風土記の丘(施設の所在地表記は岩橋1411)
指定区分重要文化財(建造物) 指定番号01711 附:棟札1枚
指定年昭和44年(1969年)3月12日
員数1棟
寸法主屋:土蔵造、桁行9.5メートル、梁間8.9メートル、一部二階、南面突出部は桁行3.0メートル・梁間5.0メートル、切妻造、東面及び北面庇付、本瓦葺/倉:土蔵造、桁行4.8メートル、梁間4.0メートル、切妻造、本瓦葺、東面主屋に接続
所有者和歌山県
公開状況県立紀伊風土記の丘の園内で公開。開園9時から16時30分(移築民家は16時15分まで)。月曜休園(祝休日の場合は次の平日)、12月29日から1月3日休園。資料館は再整備のため一時休館中

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 旧谷山家住宅(旧所在 和歌山県海草郡下津町)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2826
文化遺産オンライン 旧谷山家住宅(旧所在 和歌山県海草郡下津町)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/190663
和歌山県立紀伊風土記の丘 旧谷山家住宅
https://www.kiifudoki.wakayama-c.ed.jp/minka/minka2%20taniyamake.htm
和歌山県立紀伊風土記の丘 利用案内
https://www.kiifudoki.wakayama-c.ed.jp/riyou/
和歌山県公式観光サイト 和歌山県立紀伊風土記の丘
https://www.wakayama-kanko.or.jp/spots/detail_3071.html

最終更新日: 2026.08.28