文化4年、漆器問屋が建てた屋敷

旧柳川家住宅は、和歌山県和歌山市岩橋の県立紀伊風土記の丘にある文化4年(1807年)建築の町家で、主屋が昭和44年(1969年)3月12日に、前蔵が昭和45年(1970年)6月17日に国の重要文化財に指定された。指定番号は01710、種別は近世以前・民家、員数は2棟。附として家相図1枚が含まれる。もとは隣接する海南市黒江に建っていた建物で、園内へ移されたのちも当初の姿を保っている。

柳川家は黒江で江戸時代から代々平兵衛を名乗り、紀州漆器の製造と販売を家業とした。家に伝わる記録によれば、四代目平兵衛の代に屋敷地を求め、文化4年に普請したのがこの屋敷にあたる。

建てられた場所は、黒江の中心を流れていた人工の堀川に沿う川端通り。敷地の西側は入江に面し、船着き場になっていたといわれる。漆器問屋にとって、店先と同じくらい水辺への出口が重要だったことが、この立地から読み取れる。

指定の理由 ― 建物単位から屋敷単位へ

和歌山県内に、江戸時代の町家がこれほどまとまった形で残る例は多くない。文化庁の国指定文化財等データベースは、この住宅を県下の町家遺構の典型と位置づけている。評価の根拠は三点にまとめられる。用いられた材が吟味されていること、意匠に無理がなく整っていること、そして後世の改造に埋もれず当初の間取りが判読できる状態で伝わったことである。

注目したいのは、前蔵が1年3か月遅れて追加指定された経緯である。文化庁の解説は理由を明快に述べている。前蔵は文化4年に主屋と同時につくられたもので、町家の屋敷構えを保存するうえで重要である、と。

この論理は少し立ち止まって考える価値がある。文化財の指定は建物単位で下されるのが通例だが、ここでは屋敷という単位が判断の根拠になった。主屋だけを見れば紀北の町家の一例であり、前蔵だけを見れば二階建の土蔵にすぎない。二棟が揃っていることによって、漆器問屋が商いと暮らしをどう配置していたかという構えそのものが読み取れる。昭和45年の追加指定が守ろうとしたのは、この揃っていることだった。

和歌山県は所有者からこの住宅を譲り受け、昭和44年度に黒江から園内へ移築し、あわせて復原修理を実施した。附の家相図は、住まい手自身が屋敷の間取りをどう捉えていたかを示す資料で、建物そのものとは別の角度から研究材料になる。

主屋 ― 大戸口に立って間取りを読む

正面に立つと、この家の組み立て方はすぐに見えてくる。向かって左側に大戸口があり、その奥から裏手まで土間の通り庭がまっすぐ抜ける。通り庭の右手には、四つの部屋が二列二行に並ぶ。漢字の田の形になぞらえて田の字型と呼ばれる配置である。

この四室の分け方に、家業の性格がそのまま表れている。正面側のみせとみせおくが商いの場、背面側のだいどころとなんどが家族の生活の場。客と商品は表に留め、暮らしは一室奥へ引く。四室のさらに後方には仏間と座敷部分が突き出し、通り庭の裏手には井戸と風呂・便所屋が置かれている。紀北地域の町家として標準的な間取りだが、これだけ揃って残っていること自体は標準的ではない。

横手から屋根を見ると、途中で建物の性格が切り替わるのがわかる。居室部は桁行10.6メートル、梁間7.9メートルの二階建。切妻造で、西面と東面に庇が付き、屋根は本瓦葺である。丸瓦と平瓦を組み合わせる重い葺き方で、通りに対して構えを見せる面にふさわしい。その後方に接続する座敷部は、桁行9.8メートル、梁間4.9メートルと一回り小さい。入母屋造の段違、北面に庇、屋根は桟瓦葺と軽くなり、西面で居室部につながる。

この落差は意図的なものだろう。商家の表は堅牢に見えなくてはならない。客を通す座敷は、道路ではなく庭側へ開き、屋根も控えめでよい。なお座敷部については居室部よりやや遅れて整えられたとする見方もあるが、文化庁のデータベースは両者を文化4年として記録している。

前蔵 ― 同じ間口幅で建てられた蔵

前蔵は桁行10.6メートル、梁間5.9メートルの二階建。切妻造で、屋根は本瓦葺である。構造は土蔵造、つまり木の軸組に土を厚く塗り重ね、表面を漆喰で仕上げる方式による。

ここで主屋の寸法を並べてみたい。主屋の居室部もまた、桁行が10.6メートルである。二棟は同じ間口幅で建てられている。偶然と考えるには一致しすぎており、屋敷全体がひとつの計画のもとに普請されたと見るのが自然だろう。

土蔵が求められた最大の理由は防火である。黒江は工房と住居が細い路地沿いに密集した町だった。問屋にとって、在庫を失うことは商いを失うことに等しい。厚い壁は木造の建物より内部の環境を安定させるはたらきも持ち、漆器を扱う家にはその点も都合がよかった。

前蔵は主屋の背面から中庭を隔てた位置にあり、白い漆喰壁が庭の奥をふさぐように立つ。中庭に立つと、平面図では読み取れないことがわかる。主屋を貫く通り庭は裏手の井戸へ通じ、風呂・便所屋はその通り庭に面して置かれる。前蔵は中庭の向こう、片方が燃えてももう片方に移りにくい程度には離れ、雨の日に外を突っ切らずに荷を出し入れできる程度には近い。

紀伊風土記の丘での復原がいちばん効いているのはこの部分である。和歌山県は指定建造物2棟を運んで近くに据えただけではない。蔵も風呂も便所も含めて、商家一軒分の敷地をまるごと再現した。だから来園者は、この家の人々が日々歩いた距離をそのまま歩ける。

移された先の風景と、訪ねる前に確認したいこと

紀伊風土記の丘は、国の特別史跡・岩橋千塚古墳群の保全と公開を目的として1971年8月に開館した県立の博物館施設である。園内は約67ヘクタール、標高150メートルの丘陵から北斜面にかけて大小およそ500基の古墳が点在する。

移築民家が並ぶのは麓の一角。柳川家の屋敷の隣には、海南市下津町塩津から移された旧谷山家住宅が建つ。寛延2年(1749年)建築の漁家で、こちらも国の重要文化財である。さらに県指定の農家2棟が加わる。漆器問屋の町家、海辺の漁家、内陸の農家を続けて見られる構成になっていて、一棟だけを訪ねるより得るものが多い。園内には万葉集に詠まれた植物を集めた万葉植物園もある。

先に断っておきたい点がひとつある。園内の資料館は改築のため令和8年(2026年)3月31日で扉を閉じ、令和10年(2028年)下期に和歌山県考古民俗博物館(仮称)として生まれ変わる予定になっている。工事中も立ち入れないのは旧資料館と一部の作業区域だけで、移築民家の集落までは従来どおり歩いていける。ただし副次的な影響が二つ。自動販売機は令和8年4月に姿を消したので、水分は自分で用意すること。天王塚古墳は古墳整備工事のため令和8年度いっぱい立入不可となっている。

門が開くのは9時、閉まるのは16時30分。移築民家はその15分前、16時15分で受け入れを終える。休園は毎週月曜(祝休日と重なれば翌平日にずれる)と、12月29日から1月3日まで。

公共交通で向かうなら、JR和歌山駅東口5番乗り場発の紀伊風土記の丘行きバスで約20分。ダイヤが薄いので、和歌山バス(073-445-3131)へ一本電話を入れておく手間は惜しくない。同じ東口からタクシーなら10分ほど。歩くのが苦にならなければJR田井ノ瀬駅から約2キロメートルの道もある。車では阪和自動車道和歌山インターから5分、8時から18時まで87台分の無料駐車場が使える。

内部に入れるかどうかは季節と実施中のプログラム次第で、園が移築民家を案内する催しを開くこともある。073-471-6123へ一報を入れれば、公開状況と撮影の可否をまとめて確認できる。

Q&A

Q旧柳川家住宅はいつ建てられ、いつ指定されましたか。
A文化4年(1807年)の建築です。主屋が昭和44年(1969年)3月12日に国の重要文化財に指定され、前蔵は1年3か月遅れて昭和45年(1970年)6月17日に追加指定されました。指定番号01710、員数は2棟で、附として家相図1枚が含まれます。
Q旧柳川家住宅の前蔵が追加指定されたのはなぜですか。
A文化庁の解説は、前蔵が文化4年に主屋と同時につくられたもので、町家の屋敷構えを保存するうえで重要であると述べています。指定は通常建物単位で下されますが、ここでは屋敷という単位が判断の根拠になりました。二棟が揃っていることで、漆器問屋が商いと暮らしをどう配置していたかが読み取れます。
Q旧柳川家住宅の主屋はどのような間取りですか。
A向かって左に大戸口があり、奥まで土間の通り庭が抜けます。右手には四室が二列二行に並ぶ田の字型で、正面側のみせとみせおくが商いの場、背面側のだいどころとなんどが生活の場です。さらに後方に仏間と座敷部分が突き出し、通り庭の裏手に井戸と風呂・便所屋が置かれています。
Q旧柳川家住宅の主屋と前蔵に共通する寸法はありますか。
A桁行がどちらも10.6メートルです。主屋の居室部と前蔵が同じ間口幅で建てられており、偶然と考えるには一致しすぎているため、屋敷全体がひとつの計画のもとに普請されたと見るのが自然です。
Q旧柳川家住宅はどこで見られますか。開園時間は。
A和歌山県立紀伊風土記の丘の園内です。開園は9時から16時30分で、移築民家の見学は16時15分まで。休園は月曜日(祝休日なら翌平日)と12月29日から1月3日。園内の資料館は令和8年3月31日から改築のため休館中ですが、移築民家の見学は続いています。内部公開と撮影の可否は073-471-6123へ確認してください。

基本情報

名称旧柳川家住宅(旧所在 和歌山県海南市黒江)(きゅうやながわけじゅうたく)
所在地和歌山県和歌山市岩橋1822番地 県立紀伊風土記の丘(旧所在地は海南市黒江)
指定区分重要文化財(建造物)/指定番号01710/種別 近世以前・民家
指定年主屋 昭和44年(1969年)3月12日/前蔵 昭和45年(1970年)6月17日(追加指定)
員数2棟(主屋1棟、前蔵1棟)/附 家相図1枚
寸法主屋 居室部 桁行10.6メートル、梁間7.9メートル、二階建、切妻造、西面及び東面庇付、本瓦葺/座敷部 桁行9.8メートル、梁間4.9メートル、入母屋造段違、北面庇付、桟瓦葺/前蔵 土蔵造、桁行10.6メートル、梁間5.9メートル、二階建、切妻造、本瓦葺(いずれも文化4年・1807年)
所有者和歌山県
公開状況県立紀伊風土記の丘の園内で見学可。開園9時から16時30分(移築民家は16時15分まで)。休園日は月曜日および12月29日から1月3日

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 旧柳川家住宅(主屋)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2824
文化庁 国指定文化財等データベース 旧柳川家住宅(前蔵)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2825
文化遺産オンライン 旧柳川家住宅 主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/148021
文化遺産オンライン 旧柳川家住宅 前蔵
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/176062
和歌山県立紀伊風土記の丘 旧柳川家住宅
https://www.kiifudoki.wakayama-c.ed.jp/minka/minka1%20yanagawake.htm
和歌山県立紀伊風土記の丘 利用案内
https://www.kiifudoki.wakayama-c.ed.jp/riyou/index.html
海南市 黒江の町並み
https://www.city.kainan.lg.jp/kanko/midokoro/sikki/kuroe_map.html

最終更新日: 2026.08.31

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