東照宮から移されてきた、普賢院の門

普賢院の入口に立つ四脚門は、もとからこの場所にあったものではない。明治25年(1892年)まで、現在の金剛峯寺の裏山にあった東照宮の門だった。徳川家康を神として祀る東照宮が取り払われたとき、門は山内をわずかに運ばれ、普賢院の表門として組み直された。以来この場所で、参拝者や宿泊客を迎え続けている。

普賢院があるのは、高野山の中心に近い千手院谷である。高野山は9世紀初めに空海が開いた真言密教の聖地で、今も百を超える寺院が谷あいに連なる。門が建てられたのは江戸時代前期、寛永年間(1624〜1643年)のことと考えられ、寛永8年(1631年)とする記録もある。「四脚門」とは、屋根を支える2本の本柱の前後に控柱を2本ずつ、計4本添えた形式の門をいう。屋根は唐破風を左右に向けた平唐門で、瓦や金属ではなく檜皮を葺き重ねている。

小さな門が国の重要文化財になった理由

文化庁がこの門を重要文化財に指定したのは、昭和40年(1965年)5月29日である。評価されたのは規模ではなく、門が伝える中身だ。唐破風をもつ唐門は和歌山県内では数が少なく、現存するのは数えるほどしかない。彫刻や仕口の手法には17世紀前期の特徴がよく表れており、その時代の門として確かな例とされている。

由来もまた見どころを深くしている。家康は元和2年(1616年)の死後に神格化され、各地に東照宮が建てられた。日光がよく知られるが、高野山にもあった。この門を出した東照宮は、山内の事務を担った行人方(ぎょうにんがた)が営んだものと伝えられる。失われた東照宮の遺構のなかでも、この門は比較的もとの姿を保っているとされる。普賢院の本堂もまた、火災ののちに同じ東照宮の拝殿を移して再建されており、ひとつの東照宮の二つの部分が、いまは一つの寺の境内に並んでいることになる。

門の前で足を止めて見たいもの

門をくぐる前に立ち止まると、神社建築らしい装飾が目に入る。柱や梁は丹塗(にぬり)で、深い朱に塗られている。冠木の上の蟇股(かえるまた)や、梁の端を彫り出した木鼻(きばな)には極彩色がほどこされ、鉱物顔料の鮮やかな色が残る。虹梁には龍、天女、鳳凰が描かれており、いずれも東照宮建築でくり返し用いられた画題である。

門そのものは小さい。だがそこに面白さがある。はるかに大きな徳川家の社殿を飾る濃密な装飾が、一目で見渡せる門のなかに凝縮されているからだ。

平成8年(1996年)に全面解体修理が終わり、門はほぼ建立当初の姿に戻された。いつのころからか銅板で覆われていた屋根は本来の檜皮葺に戻され、褪せていた彩色も復元された。現在目にする姿は、長い年月そのままに残ったものではなく、この丁寧な修理の成果である。

普賢院のまわり

普賢院は宿坊として営まれており、精進料理や宿泊を受け入れている。日中も人の往き来があり、門は通りに面しているため、外からはいつでも自由に眺められる。

徳川家とのつながりは、歩いてすぐの徳川家霊台にも続く。家康と秀忠を祀るこの霊廟は、それ自体が重要文化財であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産でもある。高野山真言宗の総本山である金剛峯寺、根本大塔がそびえる壇上伽藍は、いずれも徒歩10分ほど。近くの霊宝館には、高野山に伝わる国宝・重要文化財が数多く収められている。東へ向かえば、杉木立の参道が空海の御廟へ続く奥之院がある。

Q&A

Q門は見られますか。拝観料は必要ですか。
A門は普賢院の入口にあり、通りに面しているので、外から無料で見学・撮影できます。宿泊を受け入れている寺院ですので、見学の際は宿泊客への配慮をお願いします。
Qなぜ東照宮の門が寺にあるのですか。
Aこの門はもともと、高野山内にあった東照宮(徳川家康を祀る社)の門でした。明治期にその東照宮が取り払われた際、明治25年(1892年)に普賢院へ移され、寺の入口として使われるようになりました。そのため、社の建物が寺の門になっています。
Q「四脚門」とはどういう意味ですか。
A屋根を支える2本の本柱に、前後それぞれ2本ずつの控柱を添えた構造を指します。合わせて4本の脚(控柱)がつくことからこの名があり、寺社建築で古くから用いられてきた門の形式です。
Qどうやって行けばよいですか。
A極楽橋駅からケーブルカーで高野山駅へ上がり、バスで千手院橋停留所まで向かいます。普賢院はそこから徒歩1分ほど、高野山の中心部にあります。
Q普賢院に泊まれますか。
A泊まれます。普賢院は宿坊として、精進料理や朝のお勤めを用意しています。宿泊すれば、人の少ない時間に門をくぐり、高野山の寺の日常に触れることができます。予約をおすすめします。

基本データ

名称普賢院四脚門(ふげんいんしきゃくもん)
所在地和歌山県伊都郡高野町大字高野山
指定区分重要文化財(昭和40年〔1965年〕5月29日指定)
員数1棟
年代江戸時代前期、寛永年間(1624〜1643年)頃
構造四脚平唐門、檜皮葺
所有者普賢院
公開状況通りから外観を自由に見学可。普賢院は宿坊としても営業

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース — 普賢院四脚門
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2894
わかやまの文化財(和歌山県) — 普賢院四脚門
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai_128/
徳川家霊台(高野山) — 背景参考
https://sightsinfo.com/koyasan-yore/tokugawake_reidai-ieyasu

最終更新日: 2026.06.05