建立年が書かれた堂

吉祥寺薬師堂は、和歌山県有田郡有田川町大字粟生にある室町時代の仏堂で、応永34年(1427年)の建立、大正6年(1917年)4月5日に国の保護を受ける建造物として指定され、現在は重要文化財である。この時代の地方の堂は、多くが細部の手法から年代を推定するほかない。この堂には、建てた年を記した札が残っている。

棟札である。建物を上棟する際に年紀などを記して棟に納める木札で、ここには応永34年とある。2枚が伝わり、指定では附として扱われる。山あいの小さな堂としては、きわめて確かな足場を持っていることになる。

建物は桁行三間、梁間三間の三間堂。一重、寄棟造で、屋根は茅葺である。内部は中央の一間四方を内陣とし、その周囲に入側をめぐらせて、前を外陣、両脇を脇陣、背後を後陣とする。内陣と後陣の境には須弥壇が据えられ、軒と屋根を備えた厨子が後陣にまたがるかたちで置かれる。厨子を境からずらして納めたことで、内陣は広く取られている。

この堂はもともと吉祥寺のものではなかった。吉祥寺は浄土宗の寺である。堂は隣接する岩倉神社の別当寺であった東福寺の建物で、神仏が一体の制度のもとで営まれていた時代の産物だった。その体制が解かれたのち、吉祥寺の管理に移っている。

厨子と、他に例のない肘木

指定の範囲は堂本体に加えて、附として棟札2枚と厨子1基を含む。

厨子の年代も堂に劣らず確かである。墨書に明応2年(1494年)とあり、堂の建立から67年後にあたる。建てた世代から二代以上を隔てた村の誰かが、内陣にふさわしい安置の器が要ると判断し、これを誂えた。軒を出し屋根を架けた、それ自体がひとつの建物として作られている。

専門家が挙げる見どころは、注意しないと見過ごす小ささだ。厨子の正面には出桁が渡され、これを受ける肘木に絵様の彫りが施されている。和歌山県の文化財解説は、この絵様肘木の形態には他に例がないと記す。保存の現場に携わる者が軽々に書く種類の記述ではない。近づいたら見上げるべき理由がここにある。

指定の年月日にも来歴がある。大正6年4月というのは古社寺保存法の時代にあたり、当時の保護が、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行にともなって重要文化財の区分に引き継がれた。堂は100年以上にわたって国の保護下にあることになる。

茅葺であることの重みも、あわせて考えたい。茅の屋根は永続する仕上げではない。数十年単位で葺き替えを繰り返す必要があり、その技を持つ職人は減り続けている。この堂が残っているのは、誰かがその費用と手間を負い続けてきた結果である。

今も使われている堂

年に一度、この堂は文化財であることをやめる。旧暦1月8日、新暦では1月下旬から2月にかけての日に、堂内で「粟生のおも講と堂徒式」が営まれる。平成17年(2005年)2月21日に国の重要無形民俗文化財に指定され、保存会によって伝えられている行事である。

午前は「おも講」から始まる。粟生の草分けとされる家の家長が吉祥寺の住職とともに集い、岩倉大明神と、観音・薬師・大日を描いた掛け軸を掲げて礼拝し、般若心経を唱えて勤行する。その後、御神酒を酌み交わして食事をともにする。かつてはこの寄合が村政の評議の場であり、庄屋や肝煎もここから選ばれたと伝わる。有田川町の説明は草分けの家を13戸とし、室町時代初期にさかのぼるとする。一方、文化庁の解説は12軒と記す。現在は12軒とする地元の記述もあり、時代による増減を反映した差と考えられる。

続くのが「堂徒式」。地区の数え年3歳の子どもが講員の前に出て村入りを承認され、本尊の薬師如来に健康と成長が祈られる。式の大半は無言で進む。親が葉の付いたままの大根などを講員に勧める所作も、言葉を交わさずに行われる。

訪ねる前に知っておきたいことがある。かつて堂内に安置されていた仏像は、現在ここにない。薬師如来、大日如来、聖観音、毘沙門天、不動明王の各像はいずれも重要文化財で、保存のため宝霊殿へ移されている。堂内にあるのは建築そのものと厨子である。

外観は境内から自由に見ることができる。内部の拝観は常時受け付けられているわけではないので、堂内を見たい場合や行事を見学したい場合は、吉祥寺または有田川町教育委員会へ事前に連絡してほしい。外観の撮影に問題はないが、堂内や行事の撮影は必ず現地で確認を。

粟生は有田川町の山手、旧清水町にあたる地域で、高野山へ通じる国道480号が走る。近くに鉄道駅はなく、車での移動が現実的である。鉄道を使う場合はJR紀勢本線の藤並駅が起点になる。同じ清水地区には棚田で知られるあらぎ島があり、堂と組み合わせて回るのに向いている。

Q&A

Q吉祥寺薬師堂は拝観できますか。堂内に入れますか。
A堂は吉祥寺の境内にあり、外観は自由に見ることができます。内部は常時公開されていません。堂内を見たい場合は、吉祥寺または有田川町教育委員会へ事前にご連絡ください。
Q吉祥寺薬師堂はどこにあり、どう行けばよいですか。
A和歌山県有田郡有田川町大字粟生、旧清水町にあたる山手の地域で、高野山へ通じる国道480号が走る一帯です。近くに鉄道駅はなく車での移動が現実的で、鉄道利用ならJR紀勢本線の藤並駅が起点になります。
Q吉祥寺薬師堂の中に仏像はまだありますか。
Aありません。かつて堂内に安置されていた薬師如来、大日如来、聖観音、毘沙門天、不動明王の各像はいずれも重要文化財で、現在は宝霊殿に移されています。堂に残るのは建築と、明応2年(1494年)の厨子です。
Q吉祥寺薬師堂で行われる「粟生のおも講と堂徒式」とはどんな行事ですか。
A旧暦1月8日に堂内で営まれる村の行事で、平成17年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。午前の「おも講」は草分けの家の家長が住職とともに集う寄合、続く「堂徒式」は数え年3歳の子どもの村入りを承認する儀礼で、大半が無言で進みます。
Q吉祥寺薬師堂の読み方は「きちじょうじ」と「きっしょうじ」のどちらですか。
A文化庁の国指定文化財等データベースは「きちじょうじやくしどう」と記録しています。有田川町の観光資料には「きっしょうじ」の表記もあります。いずれも同じ建物を指し、本稿は国のデータベースに従っています。
Q吉祥寺薬師堂が応永34年の建立とわかるのはなぜですか。
A棟札が残っているからです。上棟の際に年紀などを記して納める木札で、2枚が伝わり、応永34年(1427年)とあります。厨子1基とともに、指定の附として扱われています。

基本情報

名称吉祥寺薬師堂(きちじょうじやくしどう)
所在地和歌山県有田郡有田川町大字粟生
指定区分重要文化財(建造物)/指定番号 00696/附:厨子1基、棟札2枚
指定年大正6年(1917年)4月5日
員数1棟
寸法桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、茅葺。応永34年(1427年)建立。厨子は墨書により明応2年(1494年)
所有者吉祥寺
公開状況外観は境内から見学可。内部は常時公開ではなく事前連絡が必要

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「吉祥寺薬師堂」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2911
文化庁 国指定文化財等データベース 国宝・重要文化財(建造物)掲載ページ
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2911
有田川町「吉祥寺薬師堂(国指定重要文化財)」
https://www.town.aridagawa.lg.jp/top/kakuka/kanaya/7/2/3/3/602.html
わかやまの文化財(和歌山県教育委員会)「吉祥寺薬師堂」
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai-spot-622/

最終更新日: 2026.08.28