写真家がアメリカから持ち帰った家

島村家住宅主屋は、和歌山県和歌山市堀止東にある大正15年(1926年)建築の木造2階建住宅で、平成17年(2005年)11月10日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。文化庁の国指定文化財等データベースでは登録番号30-0077、員数1棟、建築面積203平方メートルと記録されている。

設計と施工を手がけたのは「あめりか屋」である。明治42年(1909年)、橋口信助がアメリカでの職を転々とした末に帰国し、組立式のバンガロー住宅6棟を持ち帰って東京・赤坂に外国人向け貸家として建てたのが始まりだった。住宅の設計と施工だけを本業とする会社は当時の日本にほとんどなく、あめりか屋は最初期の住宅専門会社に数えられる。同社が繰り返し主張したのは、家の正面に接客用の座敷を置く従来の間取りをやめ、家族が実際に過ごす居間を中心に据えるという一点だった。機関誌『住宅』や大正11年(1922年)の各種博覧会での実物展示を通じて、その考えは若い建築家や知識層に広がっていく。

和歌山県教育委員会の文化財解説によれば、施主は長年アメリカに住んだ写真家で、帰国後にこの家を建てた。完成は大正15年と伝えられる。島村家の所有になったのは建築から数年後のことで、同家は明治期から造り酒屋を営み、電力事業や路面電車(のちの南海和歌山軌道線)の経営にも乗り出した一族だった。

大きな試練が二度あった。昭和19年(1944年)の東南海地震と同21年(1946年)の南海地震である。いずれも紀伊半島沿岸を強く揺らしたが、この家の被害は少なかったと伝えられている。

登録基準:造形の規範となっているもの

日本の歴史的建造物には二つの制度が並んでいて、その違いが「見学できるかどうか」に直結する。重要文化財の指定は国家的に重要な少数の建物に限られ、現状変更に強い制限がかかる代わりに公開されることが多い。一方の登録有形文化財は、平成8年(1996年)の文化財保護法改正で設けられた緩やかな仕組みで、所有者はその建物を住み続け、使い続けることができる。届出が必要になるのは大規模な改変の場合だけだ。おおむね築50年以上が目安となる。島村家住宅主屋は後者にあたり、現在も個人の住まいである。

主屋の登録基準は「造形の規範となっているもの」。文化庁の解説文が、その中身を具体的に示している。木造2階建、屋根は寄棟造の桟瓦葺、外壁はモルタル塗。北面に玄関ポーチを構え、南面にはパーゴラを渡したテラスが開く。窓はベイウィンドーと半円アーチが基調をつくる。

おもしろいのはここから先である。南面から東面にかけての1階だけが、和風の意匠に切り替わる。2階と北面は1920年代のアメリカ郊外住宅の顔をしているのに、日当たりのいい1階の一角はそうではない。あめりか屋は「外では洋服、家では和服」という二重生活を住まいの側から批判し続けた会社だから、この和室の混入は理念の後退にも見える。しかし施主は日本に帰ってきた日本人であり、そこに客を通し、畳に座る場面もあったはずだ。理屈と暮らしのあいだで折り合いをつけた跡と読むほうが自然だろう。

和歌山市文化振興課の解説は、近くで見た者にしか書けない二点を加えている。いくつかの窓にステンドグラスがはめられていること。そして建具類の狂いが少ないこと。木造住宅で百年近く戸や障子が素直に動くというのは、材の選び方と仕口の精度の証明である。県の解説はさらに、暖房や台所設備に当初から電気を引いた最初期の電化住宅だったと記す。多くの家がまだ炭と薪で暮らしていた時代の話だ。

道路から何が見えるか

個人の住宅であり、内部は公開されていない。拝観日も受付もない。見られるのは高さ2メートルの塀越しの外観だけだが、その外観は立ち止まって眺める価値がある。

敷地の北側の道路に立つ。門は歩道から少し引っ込んだ凹部に納まっていて、その上や奥に玄関ポーチと寄棟の屋根が覗く。瓦屋根だけが日本の建物であることを明かし、その下のほとんどは別のことを主張している。モルタルの角がいまも立っていること、四角い開口の並びのなかで半円アーチが拍子を刻んでいること。そのあたりを追ってみるとよい。

撮影は公道からなら差し支えない。脚立を立てない、塀越しに庭へレンズを向けない、呼び鈴を押さない。人が住んでいる家である。

最寄りは国道42号沿いの和歌山バス「堀止」バス停で、住宅の南およそ100メートル。JR和歌山駅からも南海和歌山市駅からも15分前後で着く。この国道42号こそ、昭和46年(1971年)に廃止された路面電車の走っていた道筋にあたる。かつて電車を経営した一族の家が、その電車を置き換えたバスの通りに面している。

徒歩圏に登録有形文化財がもう三件ある。木綿家住宅主屋(堀止東1-2-28)は昭和15年(1940年)の木造平屋建で、西脇の洋風応接間をスパニッシュ瓦葺の切妻とし、二連アーチ窓を開く。平成25年(2013年)登録。三尾家住宅主屋(堀止西1-17)は天保12年(1841年)の町家で、1階に格子窓、漆喰塗込めの2階正面に虫籠窓を左右対称に穿つ。西へ約300メートルの旧松井家別邸は現在「がんこ六三園」として料理店になっており、主屋・茶室・給水塔・土塀など多数の登録建造物を、食事をする人なら中から見ることができる。

Q&A

Q島村家住宅主屋は見学できますか。内部は公開されていますか。
A内部の公開はありません。現在も個人が所有し居住している住宅で、拝観料も見学受付も設けられていません。登録有形文化財の制度は所有者に公開を義務づけないため、これは例外的な措置ではなく通常の状態です。外観は公道からいつでも眺められます。
Q島村家住宅主屋は誰が、いつ建てたのですか。
A完成は大正15年(1926年)と伝えられます。和歌山県教育委員会の解説によれば、施主は長年アメリカで暮らした写真家で、帰国後に建てたものです。設計施工は東京の住宅会社「あめりか屋」。島村家の所有となったのは建築から数年後とされています。
Q島村家住宅主屋を設計した「あめりか屋」とはどんな会社ですか。
A明治42年(1909年)に橋口信助が創業した東京の住宅会社で、日本で最も早い時期の住宅専門の設計施工会社とされます。接客本位の座敷ではなく家族本位の居間を住まいの中心に置く間取りを提唱し、機関誌『住宅』の刊行や博覧会への出展を通じて洋風住宅を広めました。昭和10年代まで全国で仕事をしましたが、現存する作品は多くありません。
Q島村家住宅主屋への行き方と最寄りのバス停を教えてください。
AJR和歌山駅から和歌浦・新和歌浦方面の和歌山バスに乗り、国道42号沿いの「堀止」で下車します。所要はおよそ15分、バス停から住宅までは北へ約100メートルです。南海和歌山市駅からも同程度で着きます。どちらの駅からも徒歩で2〜3キロほどなので、歩けない距離ではありません。
Q島村家住宅主屋の写真を撮ってもよいですか。
A公道からの撮影であれば問題ありません。門と屋根を含む北面が定番の構図です。ただし生活の場ですので、塀越しに庭へレンズを向けたり、ドローンを飛ばしたり、門前に長く留まったりすることは避けてください。近所の方の家を撮るときと同じ配慮で十分です。
Q島村家住宅主屋の近くに他の登録有形文化財はありますか。
A同じ堀止東一丁目に木綿家住宅主屋(昭和15年築)が約80メートルの近さにあります。堀止西へ数分歩けば三尾家住宅主屋(天保12年築の町家)。西へ約300メートルの旧松井家別邸は料理店「がんこ六三園」として営業しており、周辺で唯一、登録建造物の内部に入れる場所です。

基本情報

名称島村家住宅主屋(しまむらけじゅうたくしゅおく)
所在地和歌山県和歌山市堀止東1-1-6
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 30-0077/登録基準「造形の規範となっているもの」
指定年平成17年(2005年)11月10日登録、同年12月5日告示
員数1棟
寸法木造2階建、寄棟造、桟瓦葺、外部モルタル塗、建築面積203平方メートル
所有者個人
公開状況非公開。外観のみ公道から見学可

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)— 島村家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005026
文化遺産オンライン — 島村家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/181246
わかやまの文化財(和歌山県教育庁生涯学習局文化遺産課)— 島村家住宅
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai-spot-349/
国指定文化財等データベース(文化庁)— 島村家住宅門及び塀
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005027
文化遺産オンライン — 木綿家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/206544
文化遺産オンライン — 三尾家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/181566

最終更新日: 2026.08.28