延長55メートルの塀が、単独で文化財になった理由

島村家住宅門及び塀は、和歌山県和歌山市堀止東にあるコンクリート造の門と塀で、大正15年(1926年)の建設、平成17年(2005年)11月10日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。文化庁の国指定文化財等データベースでは登録番号30-0078、員数1所、塀の延長55メートルと記録されている。

塀を国の文化財に登録すると聞くと妙な話に思えるかもしれない。だが誰が何を見ているかを考えると納得がいく。この塀の内側にある住宅は個人の住まいで、公開されていない。道を歩く人にとって、門と塀は文化財を囲む枠ではない。それ自体が見える文化財のすべてである。

門も塀も、主屋と同じ大正15年に造られた。施主は長年アメリカで暮らした写真家、設計施工は東京の住宅会社「あめりか屋」。建築から数年後、造り酒屋を営み電力事業や路面電車にも手を広げた島村家がこの屋敷を取得し、登録名に残る家名となった。

登録基準:主屋とは別の理由で登録された

登録有形文化財の制度は平成8年(1996年)の文化財保護法改正で設けられ、建物は三つの基準のいずれかに当てはまることで登録される。この敷地では二つの基準が使い分けられていて、その分かれ方が興味深い。

主屋の基準は「造形の規範となっているもの」。門及び塀の基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁は門と塀について、造形の完成度を論じていない。街路の側から評価している。

主屋の記録に含めず独立した一件として登録した理由も、そこにある。延長55メートルの塀は、一区画分の街並みの片側を丸ごと決めてしまう長さだ。戦災と戦後の建て替えを経た市街地のなかで、大正期の境界がそのまま連続して残っていること自体に価値が置かれた。

年代にも注目したい。大正15年の日本で鉄筋コンクリートといえば、銀行や倉庫、土木構造物の材料だった。住宅の塀に使うのは早い。この家が当初から電気暖房と電化された台所を備えていたことと、同じ判断の系列にある。最新の技術を選ぶ施主だったということだ。加えてコンクリートは燃えず、土塀のような崩れ方もしない。昭和19年(1944年)の東南海地震、同21年(1946年)の南海地震、そして戦時をくぐり抜けて連続した塀が残っている背景には、材料の選択もあっただろう。

歩道から塀を読む

まず門を見る。敷地北辺の中央よりやや西寄りにあり、歩道には接していない。塀が浅く後退して凹部をつくり、その奥に門が納まる。車や訪問者が道路から一歩引いた場所で待てるという実用の工夫だが、効果はそれだけではない。長く平坦な壁面に焦点が生まれる。

文化庁の解説文によれば、門口は1.8メートル、木製の門扉を吊り、西側に潜口を開ける。門扉を閉めたまま人が出入りするための小さな戸である。同じデータベースの「構造及び形式等」欄は門の間口を2.7メートルとするが、これは門柱を含む全幅で、1.8メートルは柱間の有効開口を指す。どちらも正しい。測っている対象が違うだけである。

そして塀。ここに1分をかける価値がある。高さは2.0メートル、水平に三つの帯で構成される。下部は鉄平石張り。鉄平石は板状節理の発達した輝石安山岩で、2〜3センチの厚さに平たく割れる。長野県の諏訪・佐久地方が代表的な産地で、明治38年(1905年)に中央東線の上諏訪駅が開業してからは県外へも広く運ばれるようになった。その上、帯が変わって擬石タイル張りになる。石を模して成形された工業製品である。頂部は笠石をモルタルで仕上げる。

下から順に、自然石の粗い面、規格の揃った人工の面、そして滑らかな塗り面。目が上がるにつれて重さが軽くなっていく。建物で石積みの腰壁の上にモルタル塗の壁を載せるのと同じ理屈だ。この塀を設計した者は、塀を建築として扱っている。

記録との照合をもう一点。データベースの「構造及び形式等」欄は門も塀も単に「コンクリート造」と記すが、解説文は塀を「鉄筋コンクリート造」と明記する。より詳しいのは解説文のほうである。

訪ねるときに

予約も料金もいらない。門と塀は敷地北側の公道に面していて、いつでも見られる。ただし北面なので午前の光は回らない。石の表情を見るなら午後遅くのほうがよい。

塀の内側は人が暮らす家である。歩道から出ないこと、塀越しにカメラを向けないこと、門に触れたり寄りかかったりしないこと。最寄りは国道42号沿いの和歌山バス「堀止」バス停で南へ約100メートル、JR和歌山駅からも南海和歌山市駅からもバスで15分前後である。

石張りの塀に関心が向いたなら、周辺にもう二件ある。約80メートル先の木綿家住宅は昭和15年(1940年)の建築で、こちらも門及び塀が別途登録されており、14年の時差で好みがどう変わったかを比べられる。西へ約300メートルの旧松井家別邸は現在「がんこ六三園」として営業し、土塀や表門・裏門が登録されている。この界隈で、登録された門を横から眺めるのではなく実際にくぐれる唯一の場所である。

Q&A

Q島村家住宅門及び塀は、なぜ主屋と別に登録されているのですか。
A登録日は同じ平成17年11月10日ですが、登録基準が異なるためです。主屋は「造形の規範となっているもの」、門及び塀は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録されました。国の登録制度はこれらを別の理由として扱うため、登録番号も主屋が30-0077、門及び塀が30-0078と分かれています。
Q島村家住宅門及び塀の大きさはどのくらいですか。
A塀は延長55メートル、高さ2.0メートルです。門は門口(柱間の有効開口)が1.8メートル、門柱を含む間口が2.7メートルで、文化庁データベースに二つの数値が並ぶのはこのためです。門扉は木製で、西側に潜口が開けられています。
Q島村家住宅門及び塀はどんな材料でできていますか。
A躯体は鉄筋コンクリート造で、仕上げが三段に分かれます。下部は鉄平石張り。板状に割れる輝石安山岩で、長野県の諏訪・佐久地方が代表的な産地です。上部は擬石タイル張りで、石を模した成形品です。頂部の笠石はモルタル塗で仕上げられています。門扉のみ木製です。
Q島村家住宅門及び塀は見学できますか。門の中に入れますか。
A敷地北側の公道に面しているため、外側からはいつでも無料で見られます。門をくぐって中に入ることはできません。塀の内側は公開されていない個人の住宅ですので、歩道から眺めるにとどめてください。
Q島村家住宅門及び塀の場所と行き方を教えてください。
A所在地は和歌山市堀止東1-1-6です。JR和歌山駅または南海和歌山市駅から和歌浦方面の和歌山バスに乗り、国道42号沿いの「堀止」で下車、所要はおよそ15分。そこから北へ約100メートル歩くと、道路沿いに塀が続いています。
Q島村家住宅門及び塀が建てられた大正15年当時、住宅の塀に鉄筋コンクリートを使うのは珍しかったのですか。
A珍しいことでした。大正末期の日本で鉄筋コンクリートが使われたのは主に事務所建築、倉庫、土木構造物で、住宅の塀は土塀や板塀、生垣が一般的でした。この屋敷が当初から電気暖房や電化された台所を備えていたことと合わせて、新しい技術を積極的に取り入れた施主の姿勢がうかがえます。

基本情報

名称島村家住宅門及び塀(しまむらけじゅうたくもんおよびへい)
所在地和歌山県和歌山市堀止東1-1-6
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 30-0078/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年平成17年(2005年)11月10日登録、同年12月5日告示
員数1所
寸法門:コンクリート造、間口2.7メートル、門口1.8メートル/塀:鉄筋コンクリート造、高さ2.0メートル、延長55メートル
所有者個人
公開状況公道から常時見学可。門内への立入は不可

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)— 島村家住宅門及び塀
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005027
文化遺産オンライン — 島村家住宅門及び塀
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/118107
国指定文化財等データベース(文化庁)— 島村家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005026
わかやまの文化財(和歌山県教育庁生涯学習局文化遺産課)— 島村家住宅
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai-spot-349/
文化遺産オンライン — 木綿家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/206544

最終更新日: 2026.08.28