本堂の裏に隠された禅寺の庭
總光寺の庭は、山門をくぐってすぐに姿を見せるわけではない。参道の両脇に並ぶのは、丸いきのこ形の樹冠をもつ杉並木で、門を抜けると正面には本堂が立ちはだかる。「蓬莱園」と名づけられた庭園は、その本堂と庫裏の裏側にある。庫裏の書院の間に入り、視界が東へ開けてはじめて、その全体が見える。この庭園は、平成8年(1996年)3月29日に国の名勝に指定された。
總光寺があるのは、山形県酒田市の松山地区である。日本海沿岸の酒田市街から最上川に沿って東南東へ約12キロメートル、山稜の西麓に境内を構える。正式には洞瀧山總光寺といい、曹洞宗の禅寺にあたる。
蓬莱園は、歩き回るより先に、座って眺めることを前提に造られた築山林泉庭である。庫裏の書院の間から真東を望むと、手前の池から左手上方の滝石組へと景が立ち上がり、その背後に山の樹林がせり上がっている。
峰の庵から城下町の寺へ
寺史によれば、開山は至徳元年(1384年)にさかのぼる。陸奥国(現在の岩手県域)の永徳寺から月庵良圓禅師がこの地に至り、峰の頂に薬師仏一体を祀ったのが始まりと伝わる。寺を創建した人物としては、伊勢守佐藤正信公の名が挙げられている。佐藤家には、祖先の佐藤継信が屋島の戦いで源義経の身代わりに矢を受けて討死したという『平家物語』由来の伝承がある。
その後の數百年、總光寺は戦乱や火災による被災と再建を繰り返した。安定したのは江戸時代に入ってからで、庄内藩の支藩である松山藩を治めた酒井家の加護を受けるようになる。松山はその城下町として発展し、町の中心の公園や学校敷地に、その面影が今も残る。
現在見られる景観の大半は、ひとつの再建事業によるものである。宝暦6年(1756年)の火災で境内が焼失し、続く再建で建物とともに庭園が整えられた。本堂(瑠璃光殿)と庫裏が完成したのは宝暦11年(1761年)。山門はやや遅れて文化8年(1811年)に再建され、現在は酒田市の指定文化財となっている。庭園そのものは、江戸時代後期の作と考えられている。
名勝に指定された理由
国の指定は、二つの点に支えられている。ひとつは、蓬莱園が江戸時代後期に完成した日本庭園の典型を、よく残しているという点である。左手上方の滝石組と流れ、中央の岩組による豪放な築山、右手の柔和な築山、護岸を低く押さえた池。これらが巧みに組み合わされている。それでいて庭は華美に流れない。禅宗寺院にふさわしい抑制を保っており、技と慎みのこの均衡こそが、指定で高く評価された点である。
もうひとつは、庭園の塀の外へと続く眺めにかかわる。斜面のはるか上、樅と松の老木の間に、峰の頂の薬師堂が小さく見える。蓬莱園は、その遠い堂を自らの景のなかに引き込むように造られている。借景という手法によって、設計された庭と自然の山がひとつの絵として読まれ、秋には広葉樹の紅葉がその一幅を仕上げる。
こうした理由から、保護の範囲は広くとられた。庭園だけでなく、その美観を分かちもつ境内、寺有林、そして峰の薬師堂と、登路の途中にある中の薬師堂までを含んでいる。
石をたどって庭を読む
書院の間に座ると、庭の意匠は左から右へと自ずから語り出す。最上段の滝石組は、高さ約1.5メートル、幅1メートル強の板石を立てて組まれている。水は落ち、一段の縁にかかり、く字に鋭く屈折しながら小さく一段二段を落ちて、石で畳んだ流れになる。これに中間の小さな滝石組が続き、低い二段の落としで池へと注ぐ。
池のなか、書院の間の正面には、平坦な中島が置かれている。北端と南端にやや大振りの石を据えており、長寿の意をもつ亀島のしつらえを思わせる。庭に下りれば、池の浅瀬に五つの臼石を澤飛として並べた渡りで中島へ移れる。中島と対岸のあいだは狭く、一石の橋で結ばれている。
その対岸から先、庭は歩く場へと変わる。飛石が斜面を疎らに上がり、中央の築山の奥の草地へと続く。途中には自然石の灯篭と桜の老木が立つ。道は廻遊路として巡り、流れの中間を石橋で渡り、開山塔への小道へと合流する。
その開山塔は、享保17年(1732年)に建てられた高さ約2メートルの石塔で、開山の月庵良圓禅師の名が刻まれている。ここからさらに登れば中の薬師堂に至り、広葉樹林のなかの急坂を経て、峰の頂の薬師堂で道は終わる。庭園からの比高差は約150メートルである。
きのこ杉と、峰からの眺め
庭園に入る前に、多くの人はまず杉並木に目をとめる。約100メートルの参道に並ぶ杉はおよそ120本。代々の手入れによって、裸の幹の上に丸い樹冠が載る、独特の姿に整えられてきた。植えられたのは元和年間(1615〜1623年)と伝わり、歴代住職が手をかけて今の形を作り上げた。地元ではこれを「きのこ杉」と呼び、山形県の天然記念物として保護している。
峰の頂までの登りは、その労に見合う眺めを返してくれる。峰の薬師堂の前に立つと、北に鳥海山、南に月山を望み、西の眼下には最上川が庄内平野を蛇行して日本海へと向かう。寺はこの場所を奥の院とし、最上川を望む撮影地として親しんでいる。
拝観と周辺の楽しみ
蓬莱園は、まず書院の間から、額縁のなかの絵のように庭を眺め、続いて廻遊路を歩いてみるのがよい。寺では季節の干菓子を添えた抹茶を供しており、庭に面したこの部屋は、ひと息つくのに静かな場である。流れの水音は建物のなかまで届き、そのことが、ここで坐禅も行われている理由のひとつになっている。
庭園が拝観できるのは春から11月下旬までで、冬の間は休観となる。訪れる前に寺の最新の案内を確かめておきたい。松山の町そのものも、時間をかけて歩く価値がある。旧城下町は古い町割りを保ち、近くには地域の文化伝承館も建つ。日本海を見晴らす近隣の高台は、夜景の名所としても知られている。
Q&A
- 庭には入れますか。建物から眺めるだけですか。
- どちらもできます。蓬莱園は書院の間に座って眺めることを前提に設計されており、その座観が意匠の中心です。庭に下りて、澤飛や築山をめぐる廻遊路を歩くこともできます。
- 訪れるのに最も適した季節はいつですか。
- 拝観期間を通じて庭はよく映えます。春の新緑、初夏の金糸梅の黄、秋の広葉樹の紅葉がそれぞれ似合います。秋は庭の背後の借景の山も色づきます。
- 庭園は一年中開いていますか。
- いいえ。拝観は春から11月末まで行われ、冬の間(おおむね12月から3月)は休観となります。その期間もお参りや御朱印は通常どおり受けられます。訪問前に寺の案内をご確認ください。
- 参道のきのこ形の杉は何ですか。
- 17世紀初めに植えられ、代々の手入れで丸い樹冠に整えられてきた杉です。山形県の天然記念物に指定されており、国指定名勝の庭園とは別の文化財です。
- 總光寺へはどう行けばよいですか。
- JR酒田駅から車で約30分、JR余目駅から約10分です。日本海東北自動車道の酒田中央インターチェンジからは約15分。寺に駐車場があります。
基本情報
| 名称 | 總光寺庭園(蓬莱園) |
|---|---|
| 所在地 | 山形県酒田市字総光寺沢8(〒999-6831) |
| 寺院 | 曹洞宗 洞瀧山 總光寺 |
| 指定区分 | 国指定名勝(平成8年〈1996年〉3月29日指定、指定基準「公園、庭園」) |
| 庭園の年代 | 江戸時代後期。現在の境内は宝暦6年(1756年)の火災後の再建による |
| 庭園の形式 | 座観を基本とする築山林泉庭。廻遊路を備える |
| 拝観期間 | 春から11月下旬まで。冬期(おおむね12月〜3月)は休観 |
| 拝観時間 | 9:00〜16:00(最新の情報は寺に確認) |
| 拝観料 | 大人500円、中学生以下200円、未就学児無料(変更の場合あり) |
| アクセス | JR酒田駅から車で約30分。日本海東北自動車道・酒田中央ICから約15分 |
| 問い合わせ | 總光寺 電話 0234-62-2170 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「總光寺庭園」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/323
- 文化遺産オンライン「總光寺庭園」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/160648
- 曹洞宗 洞瀧山 總光寺 公式ホームページ
- http://www.sokoji-sakata.com/
- 酒田さんぽ(酒田市観光情報)「洞瀧山 総光寺」
- https://sakata-kankou.com/spot/30116
最終更新日: 2026.05.23