萩往還:日本海と瀬戸内海を結んだ武士の道を歩く

山口県の山間部を貫く全長約53キロメートルの萩往還(はぎおうかん)は、日本で最も歴史的価値が高く、保存状態の良い江戸時代の街道のひとつです。日本海に面した城下町・萩から、中国山地を越えて瀬戸内海側の三田尻港(現在の防府市)までをほぼ一直線に結ぶこの古道は、国指定史跡として大切に保存されています。藩主の参勤交代道として、庶民の生活道として、そして幕末には維新の志士たちが駆け抜けた歴史の道として、萩往還には400年以上の物語が刻まれています。

敗戦から生まれた道:萩往還の起源

萩往還の歴史は、日本史の大きな転換点から始まります。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏は、広大な領地の大部分を没収され、わずかに残された防長二国(現在の山口県)へと居を移すことを余儀なくされました。慶長9年(1604年)、毛利輝元は日本海に面した指月山の麓に萩城を築城しました。

しかし、日本海側に位置する萩からは、江戸幕府が大名に義務付けた参勤交代のために江戸へ向かうことが大きな課題でした。そこで毛利氏は、萩城下から瀬戸内海側の三田尻港までを最短距離で結ぶ街道を「御成道(おなりみち)」として整備しました。道幅は約4メートル(二間)と当時としては広く、一里塚、立場(たてば)、石畳、往還松などが設けられ、藩の最重要幹線道路としての格式を備えていました。

萩往還が国指定史跡に選ばれた理由

萩往還は平成元年(1989年)9月22日に国の史跡に指定されました。この指定は、街道そのものだけでなく、沿道に残る一里塚、駕籠建場、石畳、国境の碑、宿場町の遺構など、多数の関連遺跡を含む包括的なものです。

国指定史跡としての価値は複数の観点から認められています。まず、江戸時代の石畳が極めて良好な状態で残存していることが挙げられます。特に一升谷の石畳は、歴史の道整備事業の過程で土中に埋もれていた石畳が総延長約250メートルにわたって連続して検出されるという驚くべき発見がありました。次に、幕末期に吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、坂本龍馬といった維新の志士たちがこの道を行き交い、明治維新という日本史上最大の変革に深く関わった歴史的意義があります。

さらに、平成8年(1996年)には文化庁選定の「歴史の道百選」に、平成16年(2004年)には萩~山口間が「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に、平成19年(2007年)には「日本風景街道」に登録され、その文化的・景観的価値が多方面から評価されています。

歴史を歩く:萩往還の主な見どころ

萩往還は、海沿いの平地から山深い峠道まで多彩な風景が続き、各区間にそれぞれの歴史的見どころがあります。

唐樋札場跡(起点・萩市)

萩往還の旅は、萩三角州のほぼ中央に位置する唐樋札場跡から始まります。ここは萩往還のみならず、赤間関街道、石州街道など防長両国の主要街道の起点であり、一里塚の基準点でもありました。発掘調査を経て復元されたこの地には、かつて幕府や藩からの御触書(法令)が掲げられた高札場がありました。

涙松(なみだまつ)

城下を出てまもなく、萩往還で最も感傷的な場所のひとつである涙松に至ります。ここは旅立つ人にとって、松並木の間から萩の町を最後に見おさめる場所でした。別れを惜しむ人は涙を流し、帰郷した人は嬉し涙を流したことから「涙松」の名が付きました。安政6年(1859年)、安政の大獄で江戸に護送される吉田松陰がここで「かへらじと思いさだめし旅なれば一入(ひとしほ)ぬるる涙松かな」と詠んだことでも知られています。

悴坂一里塚・駕籠建場

悴坂(かせがさか)の一里塚は、唐樋札場から最初の一里(約4キロメートル)に位置する里程標識です。玄武岩で組み上げられ、内に土を盛った塚の上には昭和14年建立の標石が立っています。また悴坂の峠には、藩主一行が小休止するための駕籠建場が復原されており、柴垣に囲まれた駕籠台2基と便所が設けられていた往時の姿を偲ぶことができます。

一升谷の石畳

萩往還で最も象徴的な見どころが、一升谷の石畳です。「炒り豆を食べながら歩くと、坂を登りきるまでにちょうど一升食べてしまう」ほど長く急な坂であることからこの名が付きました。幅約1メートルの石畳は、両端に大きな石を配し内側に小さな石を詰めることで雨水による浸食を防ぐ巧みな工法で造られています。約45メートルにわたって当時の石畳がそのまま残る区間があり、日本全国でも屈指の江戸時代の道路遺構といえます。

佐々並市(宿場町)

萩往還のほぼ中間地点に位置する佐々並は、藩主が休息する御茶屋が設けられたことから宿場町として栄えました。近世の町割りが良好に残り、茅葺き民家や石州赤瓦の建物が周囲の棚田とともに美しい景観を形成しています。平成23年(2011年)に「萩市佐々並市伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

板堂峠と国境の碑

板堂峠は長門国と周防国の国境にあたり、花崗岩の国境碑が立っています。碑には文化5年(1808年)建立と刻まれていますが、宝暦年間の古絵図にすでに示されていることから、現存する碑は建て替えられたものと推定されます。付近には一の坂銀山(大内時代から操業)に関わる逆修石もあり、往時の鉱山活動と街道の賑わいを偲ばせます。

三田尻御茶屋(英雲荘)— 終点・防府市

萩往還の南の終点が、第2代藩主・毛利綱広が建てた三田尻御茶屋です。参勤交代の際の藩主の宿舎・迎賓館として使われた公館で、ここから藩主は隣接する三田尻御舟倉の船に乗り、海路で江戸へ向かいました。美しい庭園と建物内部は見学可能で、英雲荘の名でも親しまれています。国指定史跡「萩往還」の一部として指定されています。

明治維新との深いつながり

萩往還の歴史的意義は、参勤交代道としての役割にとどまりません。幕末から明治維新にかけて、この道は倒幕運動の中心となった長州藩(現在の山口県)の志士たちにとっての命の道でした。

思想家・教育者として後の日本の指導者たちを育てた吉田松陰、奇兵隊を組織して藩の変革を推進した高杉晋作、「維新の三傑」のひとりである木戸孝允、初代内閣総理大臣となった伊藤博文など、明治日本の礎を築いた人々がこの道を往来しました。萩往還の起点がある萩城下町は、2015年にユネスコ世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として登録されています。

萩往還を歩くことは、江戸時代の旅文化だけでなく、近代日本の誕生そのものに触れる体験です。

歩き方ガイド:現代の萩往還を楽しむ

全長53キロメートルの全区間を歩く場合は通常2〜3日を要するため、多くの方は区間を選んで歩くのが一般的です。最も人気があり見どころが集中しているのは、明木から佐々並までの約9キロメートルの区間です。標高差約300メートルと起伏がありますが、一升谷の石畳をはじめとする歴史遺構が凝縮されており、所要約3時間30分の充実した歴史ウォーキングが楽しめます。

ルート上には青い横長の標識と「萩往還」と刻まれた石造りの街道碑がよく整備されており、道に迷う心配は少ないでしょう。山道区間にはトイレ付きの休憩所もありますが、自動販売機や商店はないため、飲み物と軽食は必ず持参してください。

より深い理解を求める方には、「やまぐち萩往還語り部の会」による案内付きウォーキングツアーがおすすめです。土日祝日には参加費500円のワンコインツアーも開催されており、ガイドの解説を聞きながら歴史に思いを馳せることができます。事前予約が必要です。

服装は、石畳や山道に対応できる履き慣れた歩きやすい靴が必須です。長袖・長ズボンで虫刺されに備え、虫よけスプレーやタオルも持参すると安心です。特に夏場は十分な水分を用意してお出かけください。

周辺の見どころ

萩往還は3つの魅力的な都市を結んでおり、それぞれが街道体験を豊かにする多彩な観光資源を持っています。

萩市(北の起点)

日本有数の保存状態を誇る城下町は、ユネスコ世界遺産に登録されています。日本の道100選に選ばれた菊屋横丁の武家屋敷群、吉田松陰が次代の日本を担う人材を育てた松下村塾、高杉晋作の誕生地などが見どころです。400年以上の伝統を持つ萩焼の窯元も点在しています。道の駅萩往還には松陰記念館があり、地元ブランド牛「見蘭牛」を味わえるレストランも併設されています。

山口市(中間地点)

「西の京」と呼ばれる山口市には、国宝の五重塔で名高い瑠璃光寺、一の坂川沿いのホタル観賞(5月下旬〜6月上旬が見頃)、歩き疲れた体を癒す湯田温泉があります。一の坂川周辺には萩往還の面影を残す区間もあり、歴史散策と温泉を組み合わせた旅が楽しめます。

防府市(南の終点)

三田尻御茶屋(英雲荘)、三田尻御舟倉跡、日本三大天神のひとつ防府天満宮、宮市地区の歴史的な街並みなどが見どころです。自由律俳句の俳人・種田山頭火のふるさと館も萩往還沿いにあります。

おすすめの訪問時期

萩往還は四季を通じて楽しめますが、季節ごとに異なる魅力があります。春(3月下旬〜5月)は萩往還梅林園の梅や桜が美しく、歩きやすい気候です。5月下旬〜6月上旬は山口市の一の坂川でゲンジボタルの幻想的な光景が楽しめます。秋(10月〜11月)は街道沿いの紅葉が最も美しい季節で、萩往還マラニックや萩往還ラン&ウォークなどのイベントも開催されます。冬は訪問者が少なく静かに歩けますが、山間部は冷え込み、路面が凍結する場合もあるためご注意ください。

Q&A

Q萩往還の全区間を歩くにはどれくらいかかりますか?
A全長約53キロメートルの全区間は、通常2〜3日の行程が必要です。多くの方は区間を選んで歩いています。最も人気のある明木〜佐々並間(約9km)は約3時間30分で歩けます。やまぐち萩往還語り部の会では、さまざまな長さ・区間のガイドツアーも実施しています。
Q外国語対応はありますか?
Aルート上には案内標識が整備されており、一部は多言語表記もあります。萩市、山口市、防府市の観光案内所では英語のマップやパンフレットを入手できます。語り部の会によるガイドツアーは主に日本語での案内ですが、地図があれば個人でも迷わず歩けるルートです。東萩駅や萩バスセンターの観光案内所では英語での対応も可能です。
Q萩往還の起点へのアクセス方法は?
A東京・大阪方面からは東海道・山陽新幹線で新山口駅へ。新山口駅から防長バスまたはJRバスで萩バスセンターまで約60〜90分です。飛行機の場合は東京羽田空港から山口宇部空港まで約95分、空港から新山口駅までバスで約35分、そこから萩行きバスに乗り換えます。萩の起点・唐樋札場跡は市街地中心部にあり、徒歩でアクセスできます。
Q道中に宿泊施設はありますか?
A萩市と山口市にはホテル、旅館、ゲストハウスなど多彩な宿泊施設があります。中間地点の佐々並では宿泊施設は非常に限られており、基本的に1軒の旅館(はやし屋)のみです。複数日かけて歩く場合は、佐々並に泊まるか、バスで萩に戻って翌日再開する計画がおすすめです。山口市の湯田温泉は歩き疲れた体を癒すのに最適です。
Q初心者や家族連れでも楽しめますか?
A萩市内や防府市内の比較的平坦な市街地区間は、カジュアルな散策にも適しています。ただし明木〜佐々並間の山道区間は急な上り下りや不安定な石畳道があり、かなりハードです。丈夫な靴は必須です。小さなお子さまには険しい区間は難しいかもしれませんが、宿場町エリアや起点・終点の各都市では、体力的な負担なく歴史探訪を楽しむことができます。

基本情報

名称 萩往還(はぎおうかん)
指定 国指定史跡(平成元年9月22日指定)/歴史の道百選(1996年選定)/美しい日本の歩きたくなるみち500選(2004年)/日本風景街道(2007年登録)
全長 約53km(52.7km)
ルート 唐樋札場(萩市)→ 明木 → 佐々並 → 山口市 → 三田尻(防府市)
所在地 山口県(萩市・山口市・防府市にまたがる)
開設年 慶長9年(1604年)萩城築城後
歴史的意義 毛利氏(長州藩)の参勤交代道/幕末維新の志士たちの往来路
ガイドツアー やまぐち萩往還語り部の会:TEL 083-920-3323(平日13:00〜17:00)/土日祝のワンコインツアー(500円・要予約)あり
アクセス 新山口駅(新幹線)から萩バスセンターまでバス約60〜90分/山口宇部空港から新山口駅までバス約35分、乗り換えて萩へ
料金 無料(公道のため自由に歩行可能)※三田尻御茶屋など個別施設は別途入場料あり

参考文献

萩往還 — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/139567
萩往還 — 山口県の文化財
https://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/bunkazai/detail.asp?mid=110005
萩往還 — 山口市観光情報サイト「西の京 やまぐち」
https://yamaguchi-city.jp/details/aa_hagioukan.html
萩往還 — 萩市観光協会公式サイト
https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100118
萩往還 — たびたびほうふ(防府市観光)
https://visit-hofu.jp/spot/%E8%90%A9%E5%BE%80%E9%82%84/
江戸時代の街道「萩往還」の魅力とは?— 山口県観光サイト おいでませ山口へ
https://yamaguchi-tourism.jp/feature/hagioukan
萩往還 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E5%BE%80%E9%82%84
歴史の道「萩往還」をウォーキング — 山口県観光サイト おいでませ山口へ
https://yamaguchi-tourism.jp/course/detail_9.html

最終更新日: 2026.03.11