鹿背隧道 ― 萩の山あいに残る、明治の石造トンネル

山口県萩市の城下町から南へ車を走らせ、山口市方面へ向かう県道32号線の旧道に入ると、深い樹々に囲まれた小さな峠道が現れます。その峠の只中、苔むした石積みのアーチをもつ静かな隧道(ずいどう)が、明治の時代から今に至るまで現役の道として使われ続けています。それが「鹿背隧道(かせずいどう)」です。山口県内で最初に開削された石造洋風隧道であり、現存する県内最古の道路トンネルとして、貴重な近代化遺産となっています。

鹿背隧道の概要

鹿背隧道は、萩市大字椿の悴ヶ坂(かせがさか)から大字明木の悴ヶ坂にかけての悴坂峠を貫く道路トンネルです。長さ約182メートル、幅員約4.2メートル、高さ約3.9メートルという規模をもち、坑口から坑内の壁面まで、すべてが安山岩の切石でていねいに張られています。北側の坑口には「鹿背隧」と刻まれた題額がはめ込まれており、明治期の重厚な意匠を今に伝えています。

1999年(平成11年)7月8日に国の登録有形文化財(建造物)として登録され、130年あまりの歳月を経た現在もなお、地元の方々や旅人を通す現役の道として静かに役目を果たし続けています。

歴史的背景 ― 藩庁移転後の萩と陰陽連絡道

鹿背隧道がもつ意味を理解するには、明治初期の萩の姿を思い描く必要があります。萩はかつて毛利氏の城下町であり、長州藩の政治・文化の中心地として栄えました。吉田松陰や高杉晋作、伊藤博文ら、明治維新を担った若き志士たちを世に送り出した町でもあります。しかし、廃藩置県の後、県庁は萩から山口へ移転し、城下町としての萩は政治・経済の中心からはずれ、活気の衰えに直面することになりました。

そうした中で、萩を山口側の小郡(現・山口市)とつなぐ陰陽連絡道の改修は、町の経済再興にとって極めて重要な事業と位置づけられました。鹿背隧道は、その改修計画の中心となった大工事のひとつであり、山口県が施工主となって明治16年(1883年)に着工、明治19年(1886年)に完成しました。

なぜ国の登録有形文化財に指定されたのか

鹿背隧道が文化財として高く評価されている理由は、ひとつではありません。

山口県内最初の石造洋風隧道

鹿背隧道は、山口県下で初めて開削された石造洋風の道路隧道として記録されています。それまで悴坂峠は険しい山道を越えるしかありませんでしたが、本格的に設計された石造アーチのトンネルが通じたことは、地域の土木技術にとって大きな一歩でした。

明治十年代の石造道路隧道としての希少性

明治十年代に造られた石張りの道路隧道は、全国的に見ても非常に数が限られています。鹿背隧道はその中でも延長182メートルという長さを誇り、当時の石造道路隧道としてはきわめて稀少な事例です。日本の石工が伝統の技をもって西洋式の隧道構造に取り組んだ、明治の土木技術の貴重な到達点といえます。

萩再興への願いを込めた公共事業

鹿背隧道は単なるインフラではなく、藩庁移転後の萩の経済復興を願う人々の思いを背負った公共事業でもありました。地元・阿武地域の石工に加え、周防大島町久賀や大分県安心院の石工が請け負って施工にあたったと伝えられており、地域を越えた職人たちの手仕事がこの一本のトンネルに結実しています。明治の人々の意志と技術が刻み込まれた、生きた歴史資料です。

魅力・見どころ

味わい深い石積みの坑口

鹿背隧道を訪れて、まず目を引くのが南北それぞれの坑口です。安山岩の切石を丁寧に積み上げたアーチは、素朴ながら堂々とした風格をたたえています。北側の坑口の帯石間には「鹿背隧」と彫られた題額がはめ込まれ、長い年月で生まれた苔や風化の風合いと相まって、明治の構造物ならではの落ち着いた美しさを見せています。

総石張りの坑内空間

トンネルに足を踏み入れると、壁面から天井のアーチまで、すべてが切石で覆われた異空間が広がります。石材どうしの目地のリズム、ひんやりとした空気、足音が静かに響く感覚は、コンクリートのトンネルでは決して味わえないものです。壁面にはL字状の鉄製金具が今も残されており、当時のトンネル内設備をしのばせる細やかな見どころとなっています。

萩往還の風情を残す前後の旧道

鹿背隧道の前後に続く細い旧道は、毛利の殿様が参勤交代で歩んだ「萩往還」の一部です。石畳のなごりや、樹々のあいだに見える小さな石碑など、街道らしい情景がそのまま残されており、徒歩でゆっくり訪れる方には特におすすめです。「道の駅 萩往還」から徒歩約250メートルの距離にあり、車を停めて静かに散策できる立地も魅力です。

周辺情報

鹿背隧道は、萩の歴史的見どころと組み合わせて訪れることで、より深く楽しめる場所です。

  • 道の駅 萩往還 ― 鹿背隧道のすぐ近くにあり、萩往還の歴史展示や郷土の味、特産品が揃う休憩拠点です。
  • 萩城下町 ― 白壁の武家屋敷や夏みかん越しに見る石垣など、江戸の風情を色濃く残す町並み。ユネスコ世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産でもあります。
  • 松下村塾 ― 吉田松陰が幕末の若き志士たちを育てた小さな学び舎。世界遺産の構成資産のひとつです。
  • 明木地区の宿場跡 ― 萩往還の宿場町としての面影を残し、明木橋や石碑などが点在する散策スポット。
  • 萩焼の窯元 ― 400年以上の歴史をもつ茶陶の里で、控えめな美をたたえる萩焼の作陶の場をめぐることができます。

Q&A

Q鹿背隧道は誰でも通ることができますか?
Aはい、現在も現役の道路として開放されており、入場料などもかかりません。ただし接続道路は細く曲がりくねっているため、車で訪れる場合は対向車に注意してゆっくり走行してください。徒歩でじっくり石積みを味わうのもおすすめです。
Qトンネルの正確な築造年はいつですか?
A明治16年(1883年)に着工し、明治19年(1886年)に完成しました。築造から130年以上が経過した、山口県内でもっとも古い道路トンネルです。
Qアクセス方法を教えてください。
A車での訪問が便利です。JR東萩駅から車で約15分、旧萩有料道路(県道32号)の裏手にあたります。隣接する「道の駅 萩往還」に駐車し、徒歩で旧道を進むルートが分かりやすく、雰囲気もよく味わえます。公共交通でのアクセスは限られるため、レンタカーやタクシーをご利用ください。
Qトンネル内に照明はありますか?
A坑内の照明はごく僅かで、昼間でもかなり薄暗く感じられます。雰囲気を楽しむには魅力的な暗さですが、徒歩で通り抜ける場合は懐中電灯やスマートフォンのライト、滑りにくい靴の準備をおすすめします。
Qどのような人たちが施工に関わったのですか?
A工事は山口県が施工主となり、地元の萩・阿武地域の石工のほか、周防大島町久賀(現・周防大島町)や大分県安心院(現・宇佐市安心院)の石工も請け負って携わったと伝えられています。各地の石工技術が一つに集まって生まれた、明治の労作です。

基本情報

名称 鹿背隧道(かせずいどう)
指定区分 国登録有形文化財(建造物)
登録年月日 1999年(平成11年)7月8日
時代 明治/1886年(明治19年)竣工
工期 1883年(明治16年)着工 ― 1886年(明治19年)竣工
構造 石造(安山岩切石張り)、1基
規模 延長 約182m/幅員 約4.2m/高さ 約3.9m
所有者 萩市
所在地 山口県萩市大字椿字悴ヶ坂~大字明木字悴ヶ坂
アクセス JR東萩駅から車で約15分/旧萩有料道路(県道32号)裏手/「道の駅 萩往還」より徒歩約250m
料金 無料(現役の道路として常時開放)

参考文献

鹿背隧道 ― 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/136978
鹿背隧道 ― 山口県の文化財
https://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/sp/bunkazai/summary.asp?mid=110157
鹿背隧道|観光スポット|【公式】山口県観光/旅行サイト おいでませ山口へ
https://yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_13830.html
国登録有形文化財 鹿背隧道 ― Monumento
https://ja.monumen.to/spots/12380
鹿背隧道|観光情報|おいでませ山口へ
https://www.oidemase.or.jp/tourism-information/spots/13830

最終更新日: 2026.05.10