巻物として完存する、古今和歌集最古の写本

『古今和歌集』の現存最古の写本である高野切のうち、巻物の姿のまま完全に残っているのは巻第五・巻第八・巻第二十の三巻だけである。その一つ、巻第八は長く毛利家に伝わり、現在は山口県防府市の毛利博物館に収められている。

『古今和歌集』は、醍醐天皇の勅命によって延喜五年(九〇五年)ごろに編纂が始まった、わが国最初の勅撰和歌集である。紀貫之らが撰者となり、約一一〇〇首の和歌を収めた。仮名で記された貫之の序文は、漢詩ではなく日本語の歌をうたう意義を説いたものとして名高い。この一書がのちの宮廷和歌の規範となった。

ただし、この巻第八は貫之の在世中に書かれた原本ではない。書写されたのは十一世紀の半ば、編纂からおよそ一五〇年を経た時期と推定されている。それでもなお、数ある古今集写本の中で最も古い一本であり、後世の写本はみなこれを基準に位置づけられてきた。

「高野切」という名の由来

「高野切」の名は、もともとこの写本の巻第九の一部に結びついている。十六世紀末、豊臣秀吉が高野山文殊院の僧である木食応其に巻第九の断簡を贈り、それが長く高野山に伝来した。この断簡が「高野切」と呼ばれ、やがて同じ書写の一群全体を指す呼称として定着した。

当時すでに、古人の名筆を切り分けて台紙に貼り、「古筆切」として鑑賞・収集する風が連歌師や茶人のあいだに広まっていた。高野切本の諸巻も、その多くが切断されて各地に分蔵されることになった。巻第八はその難を免れ、一行また一行と続く巻子の姿を保っている。

三人の手による寄合書き

高野切は長らく紀貫之の自筆と伝えられてきた。貫之が古今集の撰者であり、能書としても知られていたことが、その伝承を支えていた。しかし近代以降の筆跡研究によって、全巻の書風が三種に分かれることが明らかになった。二十巻を三人の能書が分担して書写した、いわゆる寄合書きである。研究の便宜上、三つの書風はそれぞれ第一種・第二種・第三種と呼び分けられている。

巻第八は、このうち第二種に属する。第二種の筆者については、平安中期の官人で能書家でもあった源兼行(一〇二三〜一〇七四)に比定する説が有力である。平等院鳳凰堂の色紙形が兼行筆と伝えられること、また兼行自筆と確認できる書状の書風が第二種と一致することが、その根拠とされる。

本巻が国宝に指定されたのは昭和二十六年(一九五一年)六月九日である。その価値は明快に説明できる。古今集の写本としては現存最古であり、二十巻のうち断簡ではなく巻物として完存するのは三巻のみで、巻第八はその一つに数えられる。

書を見るための視点

書を学ぶ人々がこの巻に注目するのは、その仮名にある。本文は漢字をまじえることが少なく、平安時代に芸術として成熟した流麗な平仮名でほぼ書き通されている。文字から文字へと筆を切らずに続ける連綿の技法が随所にあらわれ、筆勢が一筆のうちに太くも細くも変化する。三種のうち第二種は最も力強く、第一種の温雅な抑制とは異なる、個性の際立った運筆を見せる。

巻を追って読むことは、筆の動きそのものを目で追うことに近い。一行の間隔、線の肥痩、一首が次の一首へと移る呼吸。それらは一筆のうちに書き下ろされ、その後の千年にわたる日本の書がついに超えられなかった水準に達している。古典の読解ができなくとも、運筆に込められた確かさは見る者に伝わってくる。

毛利博物館とその周辺

毛利博物館は、長州藩主であり明治以降は公爵家となった毛利家の旧本邸の一部を博物館として公開したものである。本邸は大正五年(一九一六年)に竣工し、それ自体が重要文化財に指定されている。建物は、中央に池を配した約八万四〇〇〇平方メートルの池泉回遊式庭園「毛利氏庭園」の中に建ち、庭園は国の名勝に指定されている。春の桜、初夏のつつじ、十一月下旬の紅葉と、季節ごとに庭の表情は移り変わる。

毛利家伝来の収蔵品は約二万点に及び、博物館はおよそ二か月ごとに展示替えを行う。同館の国宝には、画僧雪舟の山水画や古い太刀なども含まれる。高野切の巻物は料紙が傷みやすく光にも弱いため、公開は折にふれてのことで、紅葉の時期にあたる十一月中旬から下旬の特別展「国宝」で出陳されることが多い。実物の巻を見たい場合は、訪問前に開催中の展示内容を確認するとよい。館内は撮影が禁じられている。

防府はJR山陽本線沿いにあり、博物館へは防府駅からタクシーでおよそ八分、山陽自動車道防府東インターチェンジからは約二・五キロメートルである。庭園と博物館は入館料が別で、入口で共通券も購入できる。巻が収蔵庫にあるときでも、本邸と庭園はゆっくり半日を過ごすに足る場所である。

Q&A

Q高野切は本当に紀貫之が書いたものですか。
Aいいえ。貫之筆という伝承は古くからありますが、文献で裏づけられた事実ではありません。書写は十一世紀半ば、貫之の没後およそ一世紀を経てからで、三人の能書による寄合書きです。巻第八は研究上「第二種」と呼ばれる筆者の手によるもので、源兼行に比定する説が有力です。
Qなぜ「高野切」と呼ばれるのですか。
A十六世紀末に豊臣秀吉が巻第九の一部を高野山の僧に贈り、それが長く高野山に伝わったことに由来します。この断簡が「高野切」と呼ばれ、やがて関連する一群の諸巻・断簡全体の呼称となりました。
Qいつ行っても実物の巻を見られますか。
A常時公開ではありません。光に弱いため公開は折にふれてのことで、秋の特別展「国宝」で出陳されることが多くあります。訪問前に開催中の展示内容を確認することをおすすめします。
Q毛利博物館では他に何が見られますか。
A毛利家に伝わる約二万点の収蔵品があり、雪舟筆の国宝山水画をはじめとする指定文化財が含まれます。いずれも本邸のために築かれた広大な歴史的庭園の中で鑑賞できます。
Q博物館へのアクセスを教えてください。
AJR山陽本線の防府駅からタクシーで約八分、山陽自動車道防府東インターチェンジからは約二・五キロメートルです。駐車場があります。

基本情報

名称古今和歌集巻第八(高野切本)
指定区分国宝(書跡・典籍)
指定年月日昭和二十六年(一九五一年)六月九日
時代平安時代・十一世紀中頃
形状一巻、紙本墨書
筆者高野切第二種、源兼行(一〇二三〜一〇七四)に比定する説が有力
所在地山口県防府市多々良一-一五-一 毛利博物館
所有者公益財団法人防府毛利報公会
開館時間九時〜十七時(入館は十六時三十分まで)、十二月二十二日〜三十一日は休館
公開展示替えに伴う随時公開。訪問前に開催中の展示を要確認

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/596
山口県 山口県の文化財
https://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/sp/bunkazai/summary.asp?mid=40030
東京国立博物館 ひらがなの美―高野切―
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1898&lang=ja
毛利博物館(防府市)
https://mohri-museum.com/

最終更新日: 2026.06.08