松田屋ホテル庭園——維新の志士が集い、近代京都の名作庭家・植治が手がけた湯田温泉の名園

山口県山口市の中心部、湯田温泉の一角に、創業350年を誇る老舗旅館「松田屋ホテル」があります。その奥庭こそが、平成29年(2017年)に国の登録記念物(名勝地関係)に指定された「松田屋ホテル庭園」です。作庭を手がけたのは、近代京都を代表する庭師・七代目小川治兵衛——号して「植治(うえじ)」。京都・南禅寺界隈の別荘群や山縣有朋の無鄰菴を作庭し、近代日本庭園の様式を切り拓いた人物です。京都以西で植治の作庭が確認できる数少ない貴重な例であり、しかも幕末・維新期の歴史の舞台でもあるという、二重三重の価値を備えた庭園と言えます。

創業350年——江戸の宿から維新の舞台へ

松田屋は延宝3年(1675年)に「松田屋旅館」として湯田温泉に開業しました。江戸時代を通じて湯治と街道の旅人を迎える静かな旅籠でしたが、幕末になるとその運命が大きく動き出します。文久3年(1863年)、京都の政変によって都を追われた三条実美ら七卿が長州へと落ち延びた際、湯田温泉一帯がその滞在地となり、松田屋は志士たちの集う場の一つとなっていきます。

慶応3年(1867年)には、薩摩の西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀と、長州の桂小五郎(木戸孝允)・伊藤博文・広沢真臣らが討幕に向けた重要な会合をこの地で行ったと伝えられます。坂本龍馬や高杉晋作も松田屋を訪れたとされ、当時の貴重な品々は館内の「明治維新資料室」に展示されています。庭園内には、西郷・大久保・木戸が会見したと伝えられる四阿「南洲亭」が今も残り、また万延元年(1860年)に造られたという小さな浴槽「維新の湯」は、志士たちが疲れを癒したと言い伝えられる家族風呂として現役のまま使われています。

植治の作庭——なぜこの庭園は名勝に値するのか

現在見られる庭園は、大正7年(1918年)頃に整備されたものです。施主となったのは、長州出身で第3代・第9代内閣総理大臣をつとめた山縣有朋でした。山縣は造園を深く愛した政治家で、京都・南禅寺界隈の別荘「無鄰菴」を植治とともに作庭したことでも知られます。松田屋に新客室棟「快活楼」を増築する際、山縣は無鄰菴での縁から植治とその一門を山口に呼び寄せ、作庭を依頼したと伝えられています。

七代目小川治兵衛(植治)は、近代日本庭園の様式を確立した作庭家です。それまでの静的な石組中心の庭から脱し、ゆるやかに蛇行する流れ、伸びやかな芝生、自然の山野を思わせる柔らかい石づかいへと庭園を解き放ったその仕事は、無鄰菴・平安神宮神苑・対龍山荘・碧雲荘など、京都を中心に数多くの名園として残っています。一方で、京都以西で植治の手によると確認される庭園は極めて稀であり、この松田屋ホテル庭園はその貴重な一例です。改修以前の松田屋には江戸中期の素朴な枯山水があったとされますが、植治は無鄰菴と通じる流水回遊式の庭へとこれを生まれ変わらせました。

庭園の見どころ

庭園は、北から萩の間棟、山縣有朋命名の「快活楼」、伊藤博文命名の「群巒閣」と並ぶ三棟の和風建築の東側に広がります。これらの建築はいずれも明治後期から大正期にかけて建てられたもので、配置は当時のまま現在に至ります。障子を開け放てば、室内と庭園が一続きの空間となり、植治の意図した「建物と一体の庭」を体感できます。

三段の滝

庭の最奥には高さ約4メートルの三段の滝が組まれています。これが庭園の心臓部であり、上段から落ちた水が中段で受けられ、下段から滑るように流れへと注ぎ込みます。その流れは芝生を縫い、庭の中央に広がる池へと到達するまで、ゆるやかに蛇行しながら園内を巡ります。

蛇行する流れと沢飛石

水辺の護岸は低めの石を組み、植治らしいやわらかな曲線を描いています。流れや池泉には石橋・木橋が架けられ、沢飛石も打たれており、来園者は川面の上を歩いて回遊することができます。一点から眺める庭ではなく、歩いて巡る庭——植治の流れが生きています。

石燈籠と司馬遼太郎の赤松

園内の要所には雪見燈籠や山燈籠が配され、季節ごとに異なる表情を見せます。なかでも作家・司馬遼太郎が紀行『街道をゆく』の「長州路」の章で印象深く触れた古い赤松は、文学ファンにとっての小さな聖地となっています。

南洲亭と維新の湯

流れのほとりに佇む「南洲亭」は、慶応3年(1867年)に西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允が会見したと伝えられる四阿です。柱などには当時のものが残るとされます。館内には万延元年(1860年)に設けられた家族風呂「維新の湯」が現存し、宿泊者は今もこの浴槽に入ることができます。

庭園を訪れるには

松田屋ホテルは現役の温泉旅館であり、庭園は宿泊客のためのものというのが基本です。最も豊かに味わうには、本館の客室に一泊するのが一番です。本館客室の縁側からは庭園が間近に広がり、池の鯉に餌をあげることもできます。料理は、日本旅館協会から「日本料理指南役」の委嘱を受け、厚生労働大臣によって「現代の名工」に表彰された梶本剛史料理長が指揮する長州四季会席です。

宿泊が叶わない場合でも、宿泊客のチェックアウト後・チェックイン前の時間帯に限って、庭園のみの見学を受け入れていただけることがあります。ただしこれは厚意であり、確約されたものではありません。必ず事前に電話で相談し、訪問時には宿泊客の妨げにならないよう静かに過ごすことが大切です。

湯田温泉と周辺の見どころ

松田屋が立地する湯田温泉は、約600年の歴史を誇る古湯。白狐が毎夜温泉に浸かっていたところを発見されたという「白狐伝説」で知られ、温泉街には白狐をモチーフにした像や案内が点在します。徒歩圏内には、松田屋とあわせて訪ねたい史跡や文化スポットが揃っています。

井上公園

松田屋から徒歩約5分。明治の元勲・井上馨の生家跡を整備した史跡公園で、七卿の碑、三条実美らの宿舎を再現した「何遠亭」、湯田温泉生まれの詩人・中原中也の詩碑、種田山頭火の句碑、無料の足湯などがあります。

中原中也記念館

近代日本を代表する詩人・中原中也(1907–1937)の生家跡に建つ文学館。30年という短い生涯と詩業を、原稿や愛用品とともに丁寧にたどることができます。

常栄寺雪舟庭

湯田温泉から北へ約4km。室町期の画僧・雪舟が作庭したと伝えられる枯山水庭園で、国指定史跡・名勝に指定されています。植治の近代庭園と雪舟伝の中世庭園を一日で巡れるのは山口ならではの贅沢です。

瑠璃光寺五重塔

車で短時間の場所にある国宝。室町時代の建立で、法隆寺・醍醐寺と並び日本三名塔の一つに数えられます。

Q&A

Q宿泊しなくても庭園を見学できますか?
A日によっては可能です。チェックアウト後(おおむね10時頃)からチェックイン前(おおむね15時頃)までの時間帯に限り、ホテルの厚意で庭園のみの見学を受け入れていただける場合があります。必ず事前に電話で相談し、訪問時には宿泊客の妨げにならないよう静かに見学してください。
Qこの庭園が登録記念物に指定された理由は何ですか?
A大正初期に整備された当時の姿が現在までよく保存されていること、そして山口県の造園文化の発展に寄与した意義深い事例であることが評価され、平成29年(2017年)2月9日に国の登録記念物(名勝地関係)に登録されました。京都以西では稀少な七代目小川治兵衛(植治)作庭の庭園であることも特筆されます。
Qいつ頃に訪れるのがおすすめですか?
A四季それぞれに表情があります。春は新緑とツツジ、初夏は深い緑陰、秋は紅葉、冬は雪化粧した松と燈籠が美しく、特別な日には朝靄に包まれた幻想的な姿も望めます。とくに紅葉の時期は人気が集中するため、宿泊予約は早めに検討すると安心です。
Q「維新の湯」には誰でも入れますか?
A宿泊者であれば、空いている時間帯に予約不要で入浴できる家族風呂です。万延元年(1860年)に造られた浴槽がそのまま残っており、高杉晋作・木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通・伊藤博文・坂本龍馬らが入浴したと伝えられています。歴史好きの方には特別な体験となるでしょう。
Q東京や大阪からのアクセスは?
A東海道・山陽新幹線で新山口駅まで(東京から約4時間20分、新大阪から約1時間50分)、JR山口線に乗り換え湯田温泉駅まで約20分、駅から徒歩約10分です。山口宇部空港からは車で約50分、最寄りICは中国自動車道小郡ICから車で約10分。

基本情報

名称 松田屋ホテル庭園(まつだやほてるていえん)
指定区分 登録記念物(名勝地関係)
登録年月日 平成29年(2017年)2月9日
庭園の形式 流水回遊式庭園(池泉と流れ・三段の滝を配する)
作庭者 七代目小川治兵衛(植治)一門・大正7年(1918年)頃
松田屋創業 延宝3年(1675年)
所在地 〒753-0056 山口県山口市湯田温泉3丁目6番7号
アクセス JR山口線 湯田温泉駅から徒歩約10分/路線バス「湯田温泉通」バス停から徒歩約1分/JR新山口駅から車で約20分/中国自動車道小郡ICから車で約10分
見学 原則として宿泊者向け。庭園のみの見学は事前電話確認の上、ホテルの都合により可
主な建物 萩の間棟、快活楼(山縣有朋命名)、群巒閣(伊藤博文命名)、南洲亭(西郷・大久保・木戸の会見所)、維新の湯(万延元年・1860年)

参考文献

文化遺産オンライン 松田屋ホテル庭園
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/411015
山口市の歴史文化資源 松田屋ホテル庭園
https://www.city.yamaguchi.lg.jp/rs/rekibunshigen/r1282.html
湯田温泉 松田屋ホテル【公式】 松田屋の歴史
https://www.matsudayahotel.co.jp/history/
庭園情報メディア「おにわさん」 松田屋ホテル庭園
https://oniwa.garden/matsudaya-hotel-yamaguchi/
庭園ガイド 松田屋ホテル庭園
https://garden-guide.jp/spot.php?i=matsudaya
山口観光情報サイト・西の京やまぐち 井上公園
https://yamaguchi-city.jp/details/af_inoue.html
Discover Japan 松田屋ホテル 維新志士ゆかりの宿
https://discoverjapan-web.com/article/37206

最終更新日: 2026.05.03