七つの会社が一人の人物のために建てた会館
宇部市渡辺翁記念会館の正面には広いテラスが張り出し、その階段の中央に直方体の記念碑が置かれている。記念碑の左右には、三本ずつ、計六本のコンクリート柱が並ぶ。柱は装飾ではない。この建物の費用を出し、周囲の公園とともに宇部市へ寄付した地元七社を、一本ずつが受け持っている。会館の名にある「翁」は、宇部の発展に尽くした実業家、渡辺祐策(1864〜1934)を指す。
渡辺は沖ノ山の炭鉱で財を築き、続いてセメント、化学、銀行、鉄道、鉄工と次々に事業を起こした。海沿いの炭鉱町を工業都市へと押し上げた人物である。昭和9年に渡辺が世を去ると、彼の興した各社が顕彰のために手を結んだ。会館は昭和10年10月に着工し、昭和12年に竣工、同年7月から使われ始めた。
設計を担ったのは村野藤吾(1891〜1984)。のちに昭和42年に文化勲章を受け、昭和55年には日本芸術院会員となった建築家である。村野は大正7年に早稲田大学を卒業し、渡辺節の事務所で経験を積んだのち、昭和4年に独立した。本作の竣工時は四十代半ば。村野自身、この会館を戦前の自らの仕事を集約した代表作と位置づけていた。
三つの曲面と、炭鉱の町らしい外壁
テラスから見上げる正面は、曲率の異なる三つの壁面で構成される。平らな面が直角に交わるのではなく、ゆるやかに弧を描いて立ち上がる。中央では玄関の上に庇が突き出し、黒花崗岩を磨き上げた十字形の柱がこれを支える。玄関の左右の脇壁には人造石のレリーフが刻まれ、そこに彫られているのは坑夫の姿である。会館の資金源となった産業が、壁面の意匠として刻まれている。
外壁は近づいて見る価値がある。村野は外装に三寸×六寸ほどの褐黒色のタイルを張り、縦張りの帯をところどころに挿入して単調さを避けた。さらに半枡状のタイルを壁面から突き出させ、斜めの光を受けると小さな影が落ちるようにしている。開口部の周りでは材を切り替え、タイルに対して人造石ブロックや打ち放しコンクリートを当て、一部の窓にはガラスブロックを積み上げた。昭和初期の建築としては、新建材を意識的に並べてみせた構成である。
会堂部の側面では、鉄骨鉄筋コンクリートの柱形が壁から外へ現れ、構造がそのまま立面に出ている。全体は、ドイツの表現派建築の系譜につながるモダニズムに属し、戦前の日本建築が到達した一つの頂点として評価されてきた。
大理石のロビーと「飛行機型」の平面
内部に入ると、一階の広間には白い雲のような模様の大理石を張った独立円柱が並ぶ。柱頭はフラットスラブとして平らに広がり、その下面にはグラデーションの彩色が施されている。二階の広間へ上がると、円柱の素材が変わる。こちらは長州オニックスで仕上げられ、柱列のあいだには高い吹き抜けが開いて、上下の階が一つの大きな空間として感じられる。
平面は「飛行機型」と呼ばれることがある。広間部、扇形の会堂部、舞台部が一直線に連なり、上空から眺めると、翼を広げた航空機のように見えるためである。会堂は当初およそ2,000席で計画された。平成4年から6年にかけての改修で天井の構成や大臣柱まわりの仕様を保ったまま客席が見直され、現在は二層あわせて約1,360席となっている。
音響の評判も、この建物を語るうえで欠かせない。西日本でも古い音楽ホールの一つに数えられ、声にも楽器にもよく響くとして、早い時期から音楽家に好まれてきた。会館は今も博物館的な保存対象ではなく、現役の施設として、演奏会や式典、市民の行事に使われ続けている。
なぜ重要文化財なのか
会館は平成9年6月にまず国の登録有形文化財となり、平成17年12月27日に国の重要文化財へと指定された。指定の理由は二つ挙げられている。意匠的に優秀であること、そして歴史的価値が高いことである。
この二つは、結局のところ同じ建物の二つの面を指している。意匠の面では、曲面の組積、触感のあるタイル、内部の豊かな石材を、当時の日本の建築家のなかでも数少ない確かさで村野が扱ってみせた。歴史の面では、石炭とセメントの資金によって戦前の工業都市が築いた富と気概が、その発展を担った人物への献辞として一棟の建築に刻まれている。平成19年には、九州・山口の石炭産業に関わる近代化産業遺産群の構成資産にも認定された。
会館のまわり
会館は渡辺翁記念公園の西寄りに建ち、JR宇部線の宇部新川駅からごく近い。列車で訪れて、徒歩で立ち寄れる距離である。約138台分の無料駐車場が、隣接する宇部市文化会館と共用で用意されている。
映画好きには玄関ロビーに見覚えがあるかもしれない。平成19年、映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の撮影で、大理石の円柱が並ぶロビーが昭和30年代の銀座の映画館に見立てられた。玄関には当時の映画看板が飾られ、エキストラとして約360人の地元住民が集められている。会館の外では、ときわ公園の野外彫刻展や、宇部出身のアニメーション監督・庵野秀明の名でも知られる町なので、一日かけて巡る計画と相性がよい。
貸館として現役で使われているため、内部は常時公開されているわけではない。中を見たい場合は、公演の予定を確認するか、利用日について事前に管理事務所へ問い合わせるのが確実である。記念碑と六本の柱が並ぶテラスや周囲の公園は、外から自由に眺められる。
Q&A
- 観光で中に入れますか。
- 博物館ではなく現役の公演施設のため、内部はいつでも自由に見学できるわけではありません。大理石のロビーを見る一番の近道は、会館で開かれる演奏会や催しに足を運ぶことです。それ以外の日は、事前に管理事務所へ見学について問い合わせるとよいでしょう。テラスや外観は自由に眺められます。
- 渡辺祐策とはどんな人物ですか。
- 宇部の近くに生まれた実業家(1864〜1934)です。沖ノ山炭鉱を育てたのち、セメント、化学、鉄道、銀行、鉄工などの会社を興しました。彼の没後、関係する七つの会社が、市の発展への功績を顕彰するため、この会館を建てて寄付しました。
- 正面の六本の柱と記念碑は何を意味しますか。
- 中央の記念碑と左右六本の柱は、あわせて、会館を建設して公園とともに宇部市へ寄付した七社を象徴しています。
- アクセスを教えてください。
- JR宇部線の宇部新川駅から徒歩圏内です。隣の宇部市文化会館と共用の無料駐車場が約138台分あります。
- 『三丁目の夕日』に出てくる建物はここですか。
- はい。『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)で、玄関ロビーが昭和30年代の銀座の映画館として使われました。撮影には宇部市民ら約360人がエキストラとして参加しています。
基本情報
| 名称 | 宇部市渡辺翁記念会館 |
|---|---|
| 所在地 | 山口県宇部市朝日町8番1号 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) 平成17年12月27日指定。平成9年6月より登録有形文化財 |
| 員数 | 1棟 |
| 年代 | 昭和12年(1937年)竣工 昭和10年10月着工 |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造(会堂部は鉄骨鉄筋コンクリート造)、地上3階・地下1階、建築面積約2,581.67平方メートル、東面にテラス附属 |
| 設計 | 村野藤吾(1891〜1984) |
| 所有者 | 宇部市 |
| アクセス | JR宇部線・宇部新川駅から徒歩圏内 無料駐車場約138台 |
| 公開状況 | 現役の貸館施設のため内部は常時公開ではない。公演予定の確認、または管理事務所への事前問い合わせが必要 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/00003975
- 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/149171
- 宇部市公式ウェブサイト 渡辺翁記念会館
- https://www.city.ube.yamaguchi.jp/kyouyou/bunka/kanrenshisetsu/1004728/index.html
- 渡辺翁記念会館/宇部市文化会館
- https://www.ube-kaikan.jp/
- 山口県公式観光サイト おいでませ山口へ
- https://yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_10388.html
最終更新日: 2026.06.03