暴れ川を抑え込んだ石の堤防群

御勅使川は南アルプスを源とし、南アルプス市有野のあたりで山地を離れると、扇状地を広げながら甲府盆地へ向かって流れ下る。源流から釜無川との合流点まで約18.8キロ。短い川でありながら、この川は古くから暴れ川として恐れられてきた。大雨が降れば一気に増水し、合流する釜無川を押し出して、甲府盆地の中央部にまで水害を及ぼした。

御勅使川旧堤防は、その御勅使川を抑え込むために扇状地上へ築かれた石の堤防群である。平成15年(2003年)に国の史跡に指定された。指定地は山梨県の韮崎市と南アルプス市の二市にまたがり、水とどう向き合うかをめぐる、この地ならではの発想を今に伝えている。

崩れやすい岩がつくった川

御勅使川が荒れたのには理由がある。源流域を構成するのは御坂層と呼ばれる新第三紀の地層で、崩れやすく非常に脆い。そのため流域面積の割に大量の砂礫が流れ出し、川は規模に似合わない量の石を運んだ。耕地が整理される以前の扇状地の表面には角礫が散らばり、河川敷は両岸まで砂礫で詰まっていたと伝わる。

こうした川が氾濫するとき、水はただ増えるのではない。河床に詰まった石もろとも下流へ押し寄せ、その質量が行く手のものに叩きつけられる。御勅使川は合流点で本流の釜無川を押しのけ、人々が田を耕し暮らす甲府盆地の中心へと水を向けた。

この一帯の治水事業は、戦国大名・武田信玄(1521〜1573)が手がけたものと伝えられ、有名な信玄堤をめぐる広い意味での治水の一環として語られることが多い。ただし、話はそれほど単純ではない。石積出や将棋頭は文化11年(1814年)に編まれた地誌『甲斐国志』に信玄の築堤として記されているものの、戦国期の史料には見当たらない。発掘調査で確認された遺構の工法は、はるかに後の時代のものだった。研究者が下す誠実な結論は、初現の時期は不明であり、現在見られる姿は流失と再築をくり返してきた水害と復興の歴史の産物だ、というものである。

段階で水を制するしくみ

この治水のしくみは、川がもたらす問題を一段ずつ解いていく構成になっていた。御勅使川が山地から扇状地へ出る扇頂部には、石積出が設けられた。文字どおり石を積み出した堤防で、川の流路を固め、その下に広がる扇状地の耕地を守る役割を担った。本来は一番から五番まで五基が連なっていたが、現存する一番堤から三番堤までが指定範囲に含まれる。

さらに下流に築かれたのが将棋頭である。その名は上から見て初めて意味が通る。空から眺めると堤防の先端が将棋の駒の形に尖っているのだ。尖った先端が流れを二つに分け、水勢を弱め、北と南へ振り分けることで、ひとつの流路に川の力が集中しないようにした。

指定地の外では、しくみはさらに続いていた。振り向けられた水を導くために段丘を切り割った堀切がうがたれ、釜無川との合流地点では十六石と呼ばれる巨石群が流れを高岩の崖へ衝突させ、岩肌がその勢いを受け止めて相殺したと考えられている。

史跡に指定されているのは、このしくみのうち現存する部分である。南アルプス市の石積出一番堤から三番堤、六科将棋頭、桝形堤防、そして韮崎市の下条南割将棋頭がこれにあたる。

治水と利水を兼ねた堤防

この史跡を単なる防水堤以上のものにしているのは、いくつかの構成要素が二つの役目を同時に果たしていた点である。登録記念物である徳島堰は、暗渠で御勅使川の河床の下を横断している。六科方面へ水を送るには、河原の中央でいったん地表に開口し、後田水門という水門を通す必要があった。この水門は洪水に弱く、それを守るために築かれたのが桝形堤防である。

六科将棋頭は、その堰が導いた水で潤う田と集落、すなわち旧六科村や下流の旧野牛島・旧上高砂の集落を水害から守った。韮崎市の下条南割将棋頭も、同じ徳島堰から導水された水田のために造られている。ここでは治水と利水は対立する課題ではなく、ひとつのしくみとして設計されていた。

この史跡が交通・通信施設や治山・治水施設、生産施設に関する遺跡という基準で評価されたのは、こうした性格による。戦国期以来の甲州流川除の治水技術の特色を、孤立した遺物としてではなく、つながりをもった一連の景観として今日に伝えている。

現地で目を向けたいところ

この堤防群は、見方を知る者にこそ応えてくれる。地面に立って眺めると、将棋頭はありふれた低い石垣のようにも見える。その理屈が立ち上がってくるのは、上から見た形を思い描くか、尖った先端に立って、水がそこへ届き分かれていく様子を想像したときである。

石組みそのものが歴史を語る。発掘では、堤防が扇状地の緩い砂礫へ沈み込むのを防ぐため、丸太を梯子状に組んだ土台が確認された。流れがあたる川表側には、八十センチほどの大きな石が積まれ、水の力を受け止めるよう詰められている。ここで記録された積み方のひとつは、片端から石を積み、反対端で折り返して戻ってくる手法で、十六世紀よりも江戸時代中期と結びつけて語られるものだ。こうした細部こそ、研究者が全体を信玄その人の仕事と言い切ることをためらわせる根拠である。

周囲の地形も物語を伝える。流れがついに制御されたとき切り離された前御勅使川は、今では水を通していない。その旧流路は県道として使われており、人々が今日目にする川が幾世代にもわたる人の判断によって形づくられてきたことを、静かに思い起こさせる。

見学の手引き

これは田と河岸のあいだに残る屋外の遺構で、自由に立ち入ることができ、地形の起伏が読み取りやすい乾いた晴天の日にこそ味わいが深い。入場料も決まった開放時間もないが、周辺の地面は不整地が多いため、歩きやすい靴を用意したい。

石積出へは、最寄りの鉄道拠点である甲府からバスで向かい、塩の前付近のバス停から少し歩く。将棋頭はそこからさらに離れた場所にあり、扇状地を横切ってしくみをたどりたい人なら、石積出から徒歩でおよそ一時間ほどの道のりとなる。時間が限られているなら、いずれか一方の構成要素に的を絞り、近くの信玄堤と組み合わせて訪ねるのもよい。

この地域の治水遺構には説明板が設けられ、地元の団体による見学会も折にふれて催されている。初めて訪れる人にとって、堤防のしくみがぐっと読み取りやすくなる。

御勅使川扇状地のまわり

地域全体の治水事業に信玄堤という通称を与えた堤防は、御勅使川と釜無川が合流するあたりの下流にあり、あわせて訪ねるのにふさわしい。扇状地の堤防群を先に見て、信玄堤を後から見れば、水が実際にたどったであろう順序でしくみが解けていく。

南アルプス市は山梨でも有数の果樹の産地である。この堤防群が守ろうとした扇状地のなだらかな斜面は、今では果樹園に覆われている。季節によっては桃や桜桃、葡萄がこの地域の魅力に加わる。葡萄畑が広がり、武田信玄と長く結びついてきた甲府盆地一帯は、この地で景観と歴史がどのように互いを形づくってきたかに関心をもつ旅人の一日を、ほどよく締めくくってくれる。

Q&A

Qこの堤防は本当に武田信玄が築いたのですか。
A地元の伝承と文化11年(1814年)の地誌が信玄の築堤と記し、信玄堤とあわせて語られてきました。ただし信玄の時代の史料には記述がなく、発掘では後世の工法が確認されています。研究者は初現の時期を不明としつつ、信玄と結びつけて語られる地域の治水技術を伝える遺構として、その価値を認めています。
Qなぜ「将棋頭」と呼ばれるのですか。
A上から見ると、それぞれの堤防の先端が将棋の駒のような形に尖っているためです。尖った先端は上流側を向き、川の流れを二つに分けました。その働きが、この名にひそかに記録されています。
Q石積出と将棋頭はどう違うのですか。
A石積出は扇状地の扇頂部に置かれ、川の流路を固めて下流に広がる耕地を守りました。将棋頭はさらに下流に置かれ、流れを二つの弱い流路に分けました。両者はひとつの連続した治水戦略の、異なる段階にあたります。
Q主要な二か所を見るのにどれくらいかかりますか。
A石積出と将棋頭は扇状地を挟んでおよそ徒歩一時間ほど離れています。午後をまるごと使える人なら両者をつなぐ道をたどれます。時間が少ない人は一方を選び、近くの信玄堤を加えることが多いようです。
Q入場料や見学できる時期はありますか。
Aありません。屋外の遺構で、自由に立ち入ることができ、料金もかかりません。乾いた晴天の日であれば、堤防の形と土地の起伏がもっとも読み取りやすくなります。

基本情報

名称御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)
ふりがなみだいがわきゅうていぼう(しょうぎがしら・いしつみだし)
所在地山梨県韮崎市龍岡町・南アルプス市
指定区分国指定史跡
指定年月日平成15年(2003年)3月25日 ※平成21年・平成26年に追加指定
構成石積出一番堤〜三番堤、六科将棋頭、桝形堤防(南アルプス市)/下条南割将棋頭(韮崎市)
本来の目的御勅使川・釜無川の治水と、用水路の保護を兼ねた利水
所有者・管理者南アルプス市・韮崎市
アクセス屋外の遺構で見学自由。甲府駅からバス利用、塩の前付近下車徒歩

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/3365
文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/212010
御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出) 南アルプス市
https://www.city.minami-alps.yamanashi.jp/docs/midaigawa_kyuteibou.html
御勅使川旧堤防(将棋頭) 韮崎市
https://www.city.nirasaki.lg.jp/soshikiichiran/kyoikuka/bunkazaitanto/1_1/3/1346.html

最終更新日: 2026.05.22