甲斐国分寺跡とは:甲斐国に置かれた奈良時代の国分寺の跡

甲斐国分寺跡は、山梨県笛吹市一宮町国分にある奈良時代の国分寺の跡で、大正11年(1922年)に国の史跡に指定された。

笛吹市によると、甲斐国分寺は天平13年(741年)に聖武天皇が全国に建立を命じた国分寺の一つで、南北300メートル、東西250メートルの範囲に七堂伽藍が配されていた。所有者と管理団体は笛吹市である。

約300メートル南には現在の国分寺がある。笛吹市の観光案内によると、奈良時代の国分寺は兵火などで衰えたのち、武田信玄によって遺跡の上に再興され、その後、史跡の整備に伴って今の場所へ移転・再建された。

指定の理由:旧位置に残る礎石

文化庁の指定時の説明は、金堂跡と塔跡と認められる地点があり、前者には礎石27個、後者には中央に孔をもつ心礎以下14個の礎石が元の位置に残ること、南大門跡と認められる地点にも礎石5個があって、かつての規模をうかがえることを挙げている。

笛吹市は塔跡や講堂跡などの礎石が当時の建物の壮大さを伝えていると説明する。金堂跡とされた建物跡を講堂跡と呼ぶなど、建物の比定は指定時と現在の解説で異なる部分がある。

笛吹市教育委員会は、甲斐国分寺跡と近くの甲斐国分尼寺跡を将来にわたって保存・活用するための保存活用計画を令和6年(2024年)3月に策定している。

見どころ:塔の心礎と礎石の並び

甲斐国分寺跡で最初に見たいのは塔跡の心礎である。中央に孔のあいた大きな石が、塔の中心の柱を受けていた。周りに並ぶ礎石とあわせて見ると、塔の平面の大きさが実感できる。

次に、建物跡ごとに礎石の並び方を比べたい。文化庁の説明が挙げる礎石は元の位置に残るものなので、石の間隔がそのまま柱の間隔を示している。南北300メートルに及んだ寺域の広さは、現在の国分寺までの距離を歩くとつかみやすい。

甲斐国分寺跡の見学方法

甲斐国分寺跡は屋外の史跡で、見学の料金や時間について公式の案内は見当たらない。所在地は笛吹市一宮町国分425-1ほか。公共交通や駐車場についての公式の案内も確認できなかったので、訪問前に笛吹市教育委員会文化財課(055-261-3342)に問い合わせるとよい。

礎石は遺構そのものなので、上に乗ったり動かしたりしないようにしたい。

Q&A

Q甲斐国分寺跡とは何ですか?
A奈良時代に甲斐国に置かれた国分寺の跡です。天平13年(741年)の聖武天皇の詔によって建てられた国分寺の一つで、大正11年(1922年)に国の史跡に指定されました。
Q甲斐国分寺跡には何が残っていますか?
A文化庁の指定時の説明では、金堂跡に礎石27個、塔跡に中央に孔をもつ心礎以下14個、南大門跡に礎石5個が元の位置に残っています。
Q甲斐国分寺跡の広さは?
A笛吹市は、南北300メートル、東西250メートルの範囲に七堂伽藍が配されていたと説明しています。
Q甲斐国分寺跡と現在の国分寺の関係は?
A約300メートル南に現在の国分寺があります。武田信玄によって遺跡の上に再興され、その後、史跡の整備に伴って今の場所へ移ったと笛吹市の観光案内は伝えています。
Q甲斐国分寺跡の見学に料金はかかりますか?
A料金や時間についての公式の案内は見当たりません。屋外の史跡で、問い合わせ先は笛吹市教育委員会文化財課です。

基本情報

名称甲斐国分寺跡(かいこくぶんじあと)
所在地山梨県笛吹市一宮町国分425-1ほか
指定区分史跡
指定年大正11年(1922年)10月12日指定
員数1件
寸法寺域は南北300メートル、東西250メートル(笛吹市)
所有者笛吹市(管理団体 笛吹市)
公開状況屋外の史跡。料金・時間の公式案内なし

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「甲斐国分寺跡」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1093
文化遺産オンライン「甲斐国分寺跡」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/201606
笛吹市「甲斐国分寺跡」
https://www.city.fuefuki.yamanashi.jp/shisetsu/bunkazaihoka/016.html
笛吹市「史跡甲斐国分寺跡・甲斐国分尼寺跡保存活用計画」
https://www.city.fuefuki.yamanashi.jp/bunkazai/kokubunji_keikaku.html
ふえふき観光ナビ「甲斐国分寺跡」
https://www.fuefuki-kanko.jp/detail/20/index.html

最終更新日: 2026.09.27