屋敷入沢第七号石堰堤とは

屋敷入沢第七号石堰堤は、山梨県笛吹市御坂町上黒駒の屋敷入沢に、明治43年(1910年)から大正7年(1918年)にかけて内務省補助砂防事業で築かれた空石積の砂防堰堤で、平成21年(2009年)8月7日に国の登録有形文化財(建造物)となった。読みは「やしきいりさわだいななごういしえんてい」(文化庁、山梨県)。

文化庁の記録では、石造堰堤で堤長66メートル、堤高6.4メートル、導水石垣と水叩(みずたたき)を備える。登録番号は19-0061、所有者は山梨県である。

明治40年の大水害と屋敷入沢の砂防

山梨県砂防課の資料によれば、明治期の山梨では製糸業の拡大で燃料の薪を得るための伐採や桑畑への開墾が進み、山林が荒れていた。明治40年(1907年)8月の豪雨では金川流域の屋敷入沢などで土石流が起こり、人家が流され多くの死者が出た。

翌明治41年に金川右岸流域は砂防指定地となり、明治43年の災害も経て流域に砂防施設を配置する計画が立てられた。屋敷入沢では明治43年から大正7年にかけて工事が行われ、40基以上の石積堰堤が確認されている(山梨県)。

登録有形文化財としての価値

屋敷入沢第七号石堰堤は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録された。山梨県によれば、昭和3年(1928年)に明治40年と同程度の雨が降った際も被害は少なく、その後の大きな災害でも屋敷入沢の砂防施設は破損せず機能を果たしてきた。

見どころ

文化庁によれば、富士川水系金川の右支流・屋敷入沢の下流域にあり、堤長66メートル、堤高6.4メートルの空石積の堤体の下流端から、延長13メートルの水叩を続ける。緩い勾配の堤体で河道を安定させ、地すべりによる土砂災害から集落を守っている。

山梨県は、石の積み方が谷積(たにづみ、石を斜めに落とし込む積み方)で施工されている点に当時の技術の高さを見る。屋敷入沢の最下流の石積堰堤として、保全対象の集落の直上で重要な役割を担ってきた(山梨県)。

見学について

屋敷入沢第七号石堰堤は現役の砂防施設で、山梨県が管理する。富士の国やまなしインフラガイドによれば駐車場はなく、中央自動車道一宮御坂インターチェンジから約12キロメートル。

渓流内の施設のため、見学は大雨の後を避け、足元に注意したい。問い合わせ先は山梨県峡東建設事務所(0553-20-2710)。

Q&A

Q屋敷入沢第七号石堰堤はいつ築かれましたか?
A明治43年(1910年)から大正7年(1918年)にかけて築かれました(山梨県)。
Qなぜ築かれたのですか?
A明治40年(1907年)の豪雨で屋敷入沢から土石流が起こり大きな被害が出たため、砂防事業が行われました(山梨県)。
Q屋敷入沢第七号石堰堤の大きさは?
A堤長66メートル、堤高6.4メートルで、延長13メートルの水叩が続きます(文化庁)。
Q石積みの特徴は?
A空石積で、谷積で施工されています(文化庁、山梨県)。
Q屋敷入沢第七号石堰堤が登録有形文化財になったのはいつですか?
A平成21年(2009年)8月7日です。

基本情報

名称屋敷入沢第七号石堰堤(やしきいりさわだいななごういしえんてい)
所在地山梨県笛吹市御坂町大字上黒駒字屋敷入
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成21年(2009年)8月7日登録
員数1基
寸法石造堰堤、堤長66メートル、堤高6.4メートル、導水石垣及び水叩付
所有者山梨県
公開状況屋外の砂防施設、駐車場なし

参考文献

屋敷入沢第七号石堰堤(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007747
砂防施設の文化財(山梨県砂防課)
https://www.pref.yamanashi.jp/sabo/114_002.html
山梨県の文化発展を支えた歴史的砂防施設について(山梨県砂防課、PDF)
https://www.pref.yamanashi.jp/documents/4704/yashiki_1.pdf
屋敷入沢砂防堰堤(富士の国やまなしインフラガイド)
https://www.yamanashi-infra.jp/infrastructure/871/

最終更新日: 2026.10.11