剣道部のために建てられた鉄筋コンクリートの武道場

旧愛知県岡崎師範学校武道場は、愛知県岡崎市六供町の学校敷地内に建つ大正15年(1926年)竣工の武道場で、平成25年(2013年)12月24日に国の登録有形文化財となった。

建設の動機は、学校運営に携わったことのある人なら思い当たるはずのものである。岡崎師範学校の剣道部は強かった。県内にとどまらず全国大会でも勝ち上がる。強豪校は大会を招致する。しかし大会を開くたびに屋内運動場や講堂を使えば、他の部活動の練習が押し出される。この摩擦を解消するため、大正15年に専用の武道場が建てられた。

そこで建ったのは、その用途から想像される木造の道場ではなかった。

三年前の大正12年(1923年)に関東大震災が起きている。東京では揺れそのものより、続いて発生した火災の被害が甚大だった。以後、全国の公共建築を所管する部局は、学校を何で造るべきかを考え直すことになる。学校を所管していた愛知県営繕課がこの武道場に選んだのは鉄筋コンクリート造だった。当時、同じ校地の他の校舎はまだ木造である。平屋建、建築面積およそ427平方メートル、校地の北寄りに南北棟として配置された。

外壁に描かれた構造、屋根に組まれた工夫

外壁を見ると、建物の骨組みがそのまま図になっている。柱形と梁形をコンクリート面に浮き出させ、平滑に均していない。おかげで軸組が外部からグリッドとして読める。

細部の意匠は、1920年代の日本の建築家が消化していたヨーロッパの語彙による。文化庁の解説はこれをゼツェッション意匠と記す。幾何学的な抑制を旨としたウィーン分離派の系譜で、日本の実務に驚くほどよく馴染んだ流れである。岡崎市の文化財担当は、これにアール・デコの影響を加えて説明している。どちらの読み方も指し示すものは同じだ。平坦な面、角ばった装飾、垂直の強調。ひと世代前の官庁建築が背負っていた様式復興の語彙は、ここにはない。

もっとも判断が問われたのは屋根である。

武道場は床に何も立てられない。竹刀を振る空間の中央に柱があっては用をなさない。となると幅いっぱいを一跨ぎしなければならないが、大正末年に鉄筋コンクリートで大スパンを飛ばせば、重くも高くもつく。設計者が採ったのは混構造のトラスだった。引張材となる下弦材を鋼材とし、他の部材は木材で組む。鋼材は鋼材が値段に見合う箇所にだけ使い、残りは軽く安価な木で構成する。結果として頭上には、大空間を無理なく支える軽やかな架構が架かった。文化庁が「内部の大空間を軽快に見せる」と評価しているのは、この効果である。

台帳上、現在の屋根は鉄板葺で、昭和41年(1966年)の改修が記録されている。一方で岡崎市の解説は、建設当初の屋根を木造の小屋組に瓦を葺いたものとして説明している。使われ続けるあいだのどこかで葺材が改められたと考えられ、登録が評価しているのはその下の構造形式である。

師範学校という制度と、この校地の百年

明治5年(1872年)の「学制」発布を受けて、全国の大学区ごとに師範学校が設けられた。近代的な学校制度が突然必要とした大量の教員を、どこかで養成しなければならなかったからである。明治30年(1897年)の「師範教育令」により複数校の設置が認められると、愛知県は明治32年(1899年)に岡崎へ第二の師範学校を開いた。明治36年(1903年)までに校舎、寄宿舎、附属小学校が整う。昭和18年(1943年)には愛知第二師範学校と改称された。

その二年後、昭和20年(1945年)の空襲で校地の施設は大半を焼失する。武道場は焼けなかった。

周囲が建て替えられていくなかで、この一棟だけが残った。戦後の学制改革で師範学校は新制大学に包括され、校地は幾度か所属を変える。武道場は集会室として、また講堂として使われ、現在は愛知教育大学附属特別支援学校の作業棟にあてられている。所有者は国立大学法人愛知教育大学である。

四つの名称と一度の空襲をくぐって百年近く使われ続けてきた。登録制度が拾い上げようとしているのは、こうした来歴である。

見学に際して

出かける前に読んでおいてほしい部分である。この武道場は、知的障害のある児童生徒が学ぶ現役の学校の敷地内に建っている。観光施設ではない。公開時間の設定はなく、内部に立ち入る手段もなく、一般見学の受け入れ体制もない。予告なく訪ねて見学を求めれば、教職員を困らせることになる。

可能なのは、公道からの節度ある外観の見学である。所在地は六供町字八貫1-1、建物は校地の北寄りに位置する。撮影は建物そのものに限り、児童生徒がいる時間帯に校地内へレンズを向けることは避けたい。

名古屋中心部からは片道1時間ほどを見ておく。名鉄名古屋本線で東岡崎駅まで行き、駅のバスのりばから名鉄バスの梅園経由大樹寺行きに乗り換え、「梅園学校前」で下車。学校は北へ徒歩1分ほどの位置にある。

岡崎まで足を運ぶなら、ほかにも見るものがある。徳川家康の生誕地であり、岡崎城は岡崎公園内、この学校から西へおよそ2キロメートル。建築のほうに関心があるなら、市内の他の登録有形文化財について、事前に市教育委員会の社会教育課文化財係に問い合わせるとよい。実際に見学できる物件がどれかを教えてもらえる。

Q&A

Q旧愛知県岡崎師範学校武道場は一般に見学できますか。
A通常の意味では見学できません。愛知教育大学附属特別支援学校の敷地内にあり、同校の作業棟として使われています。内部見学や一般公開は行われていません。公道から外観を節度をもって眺めることに限られます。
Q旧愛知県岡崎師範学校武道場はなぜ鉄筋コンクリート造なのですか。
A大正12年(1923年)の関東大震災と、それに伴う火災の被害を受けてのことです。以後、公共建築では耐震耐火が重視されるようになり、愛知県営繕課は大正15年の建設にあたって鉄筋コンクリート造を採用しました。当時、同じ校地の他の校舎は木造でした。
Q旧愛知県岡崎師範学校武道場の建築的な見どころはどこですか。
A外壁に柱形と梁形を浮き出させ、ゼツェッション意匠の細部でまとめた点がひとつ。もうひとつは小屋組で、引張材である下弦材を鋼材、他を木材とする混構造のトラスにより、柱のない大空間を軽快に架け渡しています。
Q旧愛知県岡崎師範学校武道場は戦災を免れたのですか。
A免れました。昭和20年(1945年)の空襲で校地の施設は大半が失われましたが、武道場は焼失を逃れています。戦後は集会室、講堂などに用途を変えながら使われ続けました。
Q旧愛知県岡崎師範学校武道場へのアクセスを教えてください。
A名鉄名古屋本線で東岡崎駅へ向かい、名鉄バスの梅園経由大樹寺行きに乗り換えて「梅園学校前」下車、北へ徒歩1分ほどです。名古屋中心部からは片道1時間程度を見込んでください。

基本情報

名称旧愛知県岡崎師範学校武道場(きゅうあいちけんおかざきしはんがっこうぶどうじょう)
所在地愛知県岡崎市六供町八貫1-1
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 23-0383/登録基準「造形の規範となっているもの」
指定年平成25年(2013年)12月24日登録/第76回登録
員数1棟
寸法鉄筋コンクリート造平屋建、鉄板葺、建築面積約427平方メートル/大正15年(1926年)建築、昭和41年(1966年)改修
所有者国立大学法人愛知教育大学
公開状況現役の学校敷地内。内部見学・一般公開なし。公道からの外観見学のみ

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「旧愛知県岡崎師範学校武道場」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009762
文化遺産オンライン「旧愛知県岡崎師範学校武道場」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/231871
岡崎市「国登録:建造物 旧愛知県岡崎師範学校武道場」
https://www.city.okazaki.lg.jp/1300/1304/1332/p021636.html
愛知教育大学附属特別支援学校「所在地」
https://www.fuyou.aichi-edu.ac.jp/syoukai/syozaichi/

最終更新日: 2026.08.06