伊勢神峠の下を抜ける石造の隧道

伊世賀美隧道は、愛知県豊田市明川町岩立の伊勢神峠にある明治30年(1897年)竣工の石造道路トンネルで、平成12年(2000年)9月26日に国の登録有形文化財に登録された。

地元では旧伊勢神トンネルと呼ばれることが多い。昭和35年(1960年)に同じ名を持つ新しいトンネルが国道153号に開通し、通り抜けの車がそちらへ移ったためである。明治の坑道は延長308メートル、幅員は約3メートル。車が1台通ればそれで一杯という寸法で、坑口には高さ2.2メートルの制限バーが今も渡されている。

峠が乗っているのは飯田街道、信濃と尾張・三河を内陸で結んだ道である。中馬と呼ばれた馬方の一団が塩や米や漆を運んだことから中馬街道の名でも知られる。国土交通省中部地方整備局名古屋国道事務所は、この街道のなかで伊勢神峠を難所の一つに数えている。尾根越えの荷を峠の下へ移したのが、明治30年の伊世賀美隧道だった。

変化はすぐに表れた。荷付馬から荷馬車へ運搬の手段が切り替わり、東加茂郡と北設楽郡のあいだを行き交う荷の量が増える。以後60年あまり、ここが峠越えの本道であり続けた。

登録の理由と、この隧道の位置づけ

文化庁は登録番号23-0046、第25回の登録として伊世賀美隧道を登録有形文化財に加えた。適用された登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で、告示は同年10月11日に出ている。員数は1基。種別は建築ではなく交通・土木構造物である。

評価の軸は二つある。ひとつは材料だ。国指定文化財等データベースは構造を「石造、延長308m」と記し、解説では総花崗石造としている。明治期のトンネルであれば煉瓦巻きが標準的だった時代に、全長にわたって石で巻いてある。名古屋国道事務所の資料はその理由を明かしていて、当初は煉瓦による巻き立てで設計されたものの、現地の地層と湧水による崩落の可能性から石巻きへ変更されたという。

もうひとつは残存数の少なさである。東海地方に現存する明治期の石造トンネルは、伊世賀美隧道と、8年後の明治38年(1905年)に開通した静岡県伊豆市の天城山隧道の2本しかない。文化庁の解説も、中部地方における明治期の代表的道路隧道の一つと位置づけている。

見どころは坑口の石の積み方にある

坑口から20メートルほど離れて立ち止まってから中に入りたい。正面は馬蹄形に組まれ、そのアーチ部分は迫石を二重に並べてつくられている。内側と外側で石の仕上げが変えてあるため、曇りの日でも輪郭が二本の弧として読み取れる。開口の両脇に立つのはルスチカ積のピラスターで、粗く仕上げた面がアーチの整った石とはっきり対比する。この「ルスチカ積のピラスターと、仕上げの異なる二重迫石からなる馬蹄形坑口」こそ、文化庁が解説文で名指ししている特徴である。

アーチの上には隧道名を刻んだ扁額が据えられている。壁面からわずかに前へ出ているが、車で走り抜けると見落とす位置にある。

内部も全長にわたって花崗岩が続く。壁とアーチが立ち上がる境目の線を目で追っていくと、石の目地が途切れずにつながっていくのが分かる。外気との温度差は大きく、夏場は坑口をくぐった瞬間に腕の表面で分かるほど下がる。ところどころ壁面から水がにじんでいて、これが百年余り前に煉瓦をあきらめさせた湧水と同じものである。

足元近くの石の摩耗も見ておきたい。この狭さの坑道を、荷馬車が、やがてトラックが60年にわたって通っている。豊田市が所蔵する昭和30年代の写真には、荷を満載した車がアーチの下をくぐる様子が写る。取り付け道路も明治の線形のままで、山を削らずに斜面へ沿って曲がっていく。

ひとつの峠に重なる三代のトンネル

伊勢神峠の下には、いま複数のトンネルが並んでいる。それを合わせて見ると、明治の坑道がなぜ壊されずに済んだのかが分かる。

戦後のモータリゼーションは明治の断面には収まらなかった。昭和35年(1960年)、国道153号に延長1,245メートルの伊勢神トンネルが開通し、2車線の断面で通過交通を引き受ける。伊世賀美隧道が拡幅されずに残ったのは、本道の座を降りたからである。主要な通り道でなくなったことが、結果として明治の断面をそのまま保存した。

その昭和のトンネルにも限界が来ている。名古屋国道事務所によれば、昭和33年(1958年)制定の道路構造令に準拠した設計のため現在の基準では内空断面が不足し、大型車どうしのすれ違いが難しい。前後には半径30メートルの小曲線や最急8.71パーセントの勾配といった線形不良箇所がある。これを解消する新しいトンネルの工事が、令和4年(2022年)5月の着工式を経て伊勢神改良事業として進んでいる。

工事が終われば、数百メートルの範囲に三代の土木技術が並ぶことになる。明治30年の花崗岩の坑道、昭和35年のコンクリートのトンネル、そして現在の基準でつくられる新しい坑道である。このうち自分の足で歩いて抜けられるのは伊世賀美隧道だけだ。

見学の方法とアクセス

門も窓口も拝観料もない。伊世賀美隧道は市道の上にあり、時間を問わず訪れられる。ただし取り付け道路にも坑内にも照明はほとんどなく、日中に行くほうがはるかに歩きやすい。懐中電灯があると心強い。

車なら、豊田市中心部から国道153号を稲武方面へ北東に走る。昭和のトンネルの前後どちらからでも旧道が分岐し、そのまま峠へ上がる。豊田市街からおよそ1時間、名古屋からはおよそ1時間30分を見ておきたい。車で通り抜けることもできるが、高さ制限2.2メートルでハイルーフのワゴンやキャンピングカーは入れない。幅員約3メートルではすれ違いができないため、対向車が来ればどちらかが後退することになる。専用駐車場はなく、坑口脇にわずかな待避スペースがあるだけである。

公共交通ではとよたおいでんバスの稲武・足助線が国道153号を走り、「伊勢神」停留所が峠にもっとも近い。ただし1日数便であり、時刻表を確認してから予定を組んでほしい。

撮影は自由である。被写体としては坑口の正面が強く、日の出から1時間ほどの低い光が斜めに当たると、ルスチカ積の凹凸と二重の迫石が分かれて見える。この一帯の紅葉は11月中旬から下旬に色づく。

ひとつ注意がある。伊勢神改良事業の工事が近くで動いており、国道153号の交通規制は月ごとに変わる。名古屋国道事務所が事業ページで情報を出しているので、出発前に確認しておくと確実である。

Q&A

Q伊世賀美隧道は見学できますか。料金や公開時間は?
A見学できます。伊世賀美隧道は市道上の構造物で、門も料金もなく、時間の制限もありません。ただし係員もトイレも照明もないため、日中の訪問をおすすめします。懐中電灯を持参してください。
Q名古屋や豊田市街から伊世賀美隧道へはどう行きますか?
A車の場合は国道153号を豊田市街から稲武方面へ北東に進み、昭和35年開通の伊勢神トンネルの前後で旧道へ入ります。豊田市街から約1時間、名古屋から約1時間30分です。公共交通ではとよたおいでんバス稲武・足助線の「伊勢神」停留所が最寄りですが、1日数便のみです。
Q伊世賀美隧道は車で通り抜けられますか?
A通り抜けられますが、幅員は約3メートル、高さ制限は2.2メートルです。車2台のすれ違いはできず、背の高いワゴンやキャンピングカー、マイクロバスは通行できません。坑口脇の待避スペースに停めて歩いて抜ける人も多くいます。
Q伊世賀美隧道はなぜ煉瓦ではなく石で造られているのですか?
A当初は煉瓦による巻き立てで設計されていました。名古屋国道事務所の資料によると、工事中に現れた地層と湧水の量から崩落の可能性が高いと判断され、石巻きへ設計が変更されました。その結果が現在の総花崗石造です。
Q伊世賀美隧道はいつ造られ、いつ文化財になりましたか?
A竣工は明治30年(1897年)です。国の登録有形文化財への登録は平成12年(2000年)9月26日、告示は同年10月11日で、登録番号は23-0046です。

基本情報

名称伊世賀美隧道(旧伊勢神トンネル)
所在地愛知県豊田市明川町岩立
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年2000年(平成12年)登録
員数1基
寸法延長308メートル、幅員約3メートル
所有者豊田市
公開状況常時見学可、屋外・無料。道路として通行可、高さ制限2.2メートル

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「伊世賀美隧道」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00001844
文化遺産オンライン「伊世賀美隧道」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/114724
豊田市「豊田市の文化財(指定・登録・選定)」
https://www.city.toyota.aichi.jp/sportsbunka/bunka/1009223/1005361.html
国土交通省中部地方整備局 名古屋国道事務所「国道153号 伊勢神改良」
https://www.cbr.mlit.go.jp/meikoku/route153/isegami/
名古屋国道事務所「明治150年パネル(国道153号の歴史)」PDF
https://www.cbr.mlit.go.jp/meikoku/route153/isegami/pdf/m150panel.pdf

最終更新日: 2026.08.30