福江の湊町に残る明治元年の旅籠

井筒楼は、愛知県田原市福江町下地にある木造二階建の料理旅館で、明治元年(1868年)の建築、令和4年(2022年)2月17日に登録有形文化財として登録された。渥美半島のほぼ中程、三河湾に面した福江港から数本内側の通りに建つ。

文化庁の記録は、建築年代を明治元年とし、その後に大正元年(1912年)、昭和7年(1932年)、昭和21年(1946年)、昭和41年(1966年)の増築があったと記す。約100年にわたって手が加えられ続けた建物で、その経過は個々の部屋よりも屋根の重なり方に表れている。

一方、井筒楼を営む側は、旅籠としての創業を天保年間(1830〜1844年)にさかのぼるものとして説明している。両者は矛盾しない。登録が対象としているのは今そこに立つ躯体であり、天保の年代は生業としての宿の始まりを指す。井筒楼について読むと二つの年代に出会うことになるので、どちらが何を指すのかは押さえておきたい。

「指定」ではなく「登録」であること

井筒楼は登録番号23-0575、員数1棟で登録されている。文化審議会の答申は令和3年(2021年)11月19日、官報告示による登録は令和4年(2022年)2月17日で、この回は全国91件の建造物が答申された。

登録の根拠となったのは、三つある登録基準のうち第一の「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。井筒楼を建築技術の傑作として評価したわけではない。この一棟が残っていることで福江の町並みの読み方が変わる、静かになった湊町にかつての賑わいの痕跡が読み取れる、という評価である。

種別は産業3次、すなわち商店や宿泊施設など第三次産業の建物にあてられる区分になる。台帳上の規模は木造2階建、瓦葺、建築面積583平方メートルと記録されている。

田原市が公表している文化財一覧で、国の登録有形文化財として挙がっているのは井筒楼と角上楼本館の2件のみで、いずれも令和4年2月17日の登録である。両者は徒歩3分の距離にある。

通りから平面を読む

井筒楼の平面は中庭を四方から囲む「ロの字形」で、性格の異なる三つの棟が組み合わさってこの形をつくっている。

通りに面して建つのは二階建の入母屋造の棟で、長辺ではなく妻側から入る妻入とする。狭い側から入って奥行きに気づく構成で、敷地の深さは中に入るまでわからない。その西には前庭を置いて入母屋造の南北棟が並び、東側には切妻造の東西棟が続く。

壁は柱を見せる真壁造で、面は白い漆喰で仕上げる。軒は腕木で桁を持ち出して深く出すせがい造とし、一階の前面に庇の陰を落とす。この納まりが、外観に横方向の強い影の線を与えている。

全体に左右対称の意図はない。商いの拡張や災禍、時代ごとの要求に応じて棟が足されていった結果であり、通りに立つと三方向の屋根勾配が一度に目に入る。井筒楼の外観が複雑だと評されるのは、この重なりによる。

二階の五十二畳

客室は各階に配されているが、登録時の解説文がとくに挙げているのは二階の大広間である。五十二畳、80平方メートルあまりの畳敷きで、木造の二階にこの広さの一室を確保するには構造上の手当てが要る。井筒楼がかつて大人数の集まりを引き受けていたことを、この一室がいちばん端的に示している。

ここは注意が要る点がある。文化庁の記録は52畳とするが、井筒楼の公式サイトは大広間を約70畳、収容は最大50名と説明している。行事の際に隣接する空間を開け放った数字を含んでいる可能性がある。登録の対象として記録されているのは52畳の広間であり、本記事はその値を採る。

もう一つ足を止めたいのが中庭である。水が流れ、庭の中程に出島が設けられ、ロの字に並ぶ各室がこの庭に向いている。密集した湊町の敷地で、外に窓を取りにくい部屋へ光と風を導くための実用的な仕掛けでもあった。

井筒楼の見学と行き方

井筒楼は現役の宿である。2022年8月に「浪漫の宿 井筒楼」としてリニューアルオープンしており、館内に入れるのは宿泊者と、大広間を予約して利用する人に限られる。拝観料や見学時間の設定はない。外観は公道から自由に見て撮影できるが、館内での撮影は他の宿泊客が居合わせるため、フロントに一声かけてからにしたい。

客室は8室で、いずれも意匠が異なる。チェックインは15:00から、最終受付は19:00、チェックアウトは10:00。食事と大浴場は徒歩3分の姉妹館「和味の宿 角上楼」を使うため、滞在中は一日に何度か、同じ日に登録された二棟の間を歩くことになる。宿泊は6歳以上から。駐車場は無料で予約は要らない。

最寄りの鉄道駅は豊橋鉄道渥美線の終点・三河田原駅で、井筒楼までは約18キロメートル離れている。豊橋からは約35分、520円。三河田原駅からタクシーで約30分、6,000円から7,000円ほどかかる。大人2名以上であれば宿の送迎があり、3日前までの電話予約制、片道一人500円で、三河田原駅発15:00、伊良湖港フェリー乗り場発16:15の設定になっている。伊良湖へは鳥羽と河和から船が入るため、井筒楼は愛知と伊勢を結ぶ経路の途中に組み込むこともできる。

料金・時刻・利用条件は2026年8月に確認した。訪問前に宿へ最新の内容を確かめてほしい。

Q&A

Q井筒楼は宿泊しなくても見学できますか?
A館内の見学は原則できません。井筒楼は宿として営業しており、中に入れるのは宿泊者と、電話で大広間の利用を申し込んだ団体に限られます。外観は公道からいつでも見られます。徒歩3分の姉妹館・角上楼には入浴と昼食の日帰りプランがあり、こちらは問い合わせのうえ利用できます。
Q井筒楼はいつ、どの区分の文化財になりましたか?
A令和4年(2022年)2月17日に登録有形文化財(建造物)として登録されました。令和3年(2021年)11月19日の文化審議会答申を受けたものです。国が個別に指定する制度とは別に、届出を基本として保護する「登録」の制度によるもので、登録番号は23-0575、員数は1棟です。
Q井筒楼の建築年代について、資料によって年が違うのはなぜですか?
A文化庁の記録では明治元年(1868年)の建築で、大正元年・昭和7年・昭和21年・昭和41年に増築されています。宿側の説明などに出てくる天保年間(1830〜1844年)は、建物ではなく旅籠としての創業の年代を指します。二つの年代は別のことを述べたものです。
Q豊橋から井筒楼までは公共交通でどう行きますか?
AJR豊橋駅に隣接する新豊橋駅から豊橋鉄道渥美線に乗り、終点の三河田原駅まで約35分、520円です。井筒楼はそこからさらに約18キロメートル先で、タクシーで約30分、6,000円から7,000円ほど。大人2名以上なら3日前までの予約で宿の送迎(片道一人500円)が利用できます。
Q井筒楼で最初に見るべきところはどこですか?
A建物に入る前に通りで立ち止まってください。中庭を囲んで三つの棟が組み合い、通りに面した入母屋造の妻入棟と、東側の切妻造の棟との違いは外からがいちばん読み取れます。館内では、登録時の解説文が挙げている中庭と二階の五十二畳大広間が要点になります。

基本情報

名称井筒楼(いづつろう)
所在地愛知県田原市福江町下地13-1他
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号23-0575
指定年令和4年(2022年)2月17日登録
員数1棟
寸法木造2階建、瓦葺、建築面積583平方メートル
所有者株式会社すや
公開状況営業中の宿泊施設。館内の見学は宿泊者および大広間利用者に限られる。外観は公道から見学可

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「井筒楼」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014170
文化庁 文化審議会の答申(登録有形文化財(建造物)の登録)令和3年11月19日 一覧(PDF)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/pdf/93601801_02.pdf
田原市「指定文化財一覧」
https://www.city.tahara.aichi.jp/kosodate/kyoikubunka/1001136/1001138.html
浪漫の宿 井筒楼 公式サイト
https://www.izutsuro.com/
浪漫の宿 井筒楼 公式サイト「アクセス・周辺観光」
https://www.izutsuro.com/access/
浪漫の宿 井筒楼 公式サイト「館内施設」
https://www.izutsuro.com/facilities/
渥美半島観光ビューロー「浪漫の宿 井筒楼」
https://www.taharakankou.gr.jp/spot/spot.php?spot_id=543

最終更新日: 2026.08.30