墨書が示す明治9年という年

冨田家住宅土蔵(とみたけじゅうたくどぞう)は、愛知県岡崎市本宿町にある冨田家住宅の主屋背面に建つ蔵で、明治9年(1876年)の建立、令和2年(2020年)4月3日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

建立年の根拠は建物に残る墨書である。大工が部材に書きつけ、二度と読まれることを想定していなかったであろう一行が、この蔵を明治9年に据えた。この年紀が持つ意味は、単に建立時期が確定するという以上のところにある。

冨田家は正徳4年(1714年)以来、旗本柴田氏の本宿陣屋で代官職を務めてきた家である。維新によってその職制自体が消え、明治3年(1870年)には「帰農願」を提出している。その6年後に、家は相応の規模の蔵を建てた。役職も禄も失った直後の投資先が収納設備だったという事実は、次の生計をどこに置こうとしていたかを率直に示している。土地と収穫と家財である。冨田家を二十世紀に特徴づけることになる医業の開始は、明治36年(1903年)を待たねばならない。

前方に建つ主屋「木南舎」は文政10年(1827年)の建立で、同日付の登録を受けた。両者は一体の屋敷として評価されており、土蔵は屋敷構えの一角を形成するものと位置づけられている。

家財蔵と米蔵、役割の異なる二棟

離れて見れば一棟に映るが、実際は二つの蔵が接続している。南が家財蔵、北が米蔵。登録上の建築面積は約43平方メートルで、構造は木造二階建の一部平屋建、瓦葺とされる。家財蔵が2階建、米蔵が平屋建にあたる。

いずれも切妻造桟瓦葺で、軒下には鉢巻が廻る。壁の上端を帯状に塗り回した部分で、雨水が壁面を伝う量を減らす役目を持つ。

戸口の向きが揃っていないところに用途の差が出ている。家財蔵は東、つまり主屋の側に開き、米蔵は北に開く。それぞれ戸前に下屋を付けており、荷を出し入れするあいだ雨に当たらずに済む。装飾ではなく作業のための仕掛けで、この蔵が封じられた保管庫ではなく日常的に開け閉めされる場所だったことを示す。

外壁の扱いは注視に値する。土蔵といえば白漆喰の箱を思い浮かべがちだが、ここでは1階部分を黒塗の下見板張で覆っている。塗り壁を風雨から守るために板を張り重ねる手法で、雨の多い地域では珍しくない。白漆喰が露出するのは家財蔵の2階のみ。下が黒く上が白い二段構えの外観は、関西の商家町に並ぶ白一色の蔵とは印象を異にする。

登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。判断の対象は単体の意匠というより組み合わせの残存にある。代官の主屋、その蔵、そして仕えた陣屋の跡地が、村の街路上で互いの位置関係を保ったまま残っている。

古文書と菓子工房、見られるものと見られないもの

二十一世紀に入った時点で、屋敷は半世紀ほど空き家のままだった。屋根から雨が入り、床も壁も傷み、野生動物が出入りしていた。平成30年(2018年)、主屋と土蔵の改修工事が完了する。行政主導ではなく所有者の発意により、古民家再生に携わる団体などの助言を得ながら進められた事業である。

現在の土蔵は二つの用途を担う。一方は菓子工房で、こちらは見学できない。もう一方が古文書等の展示室で、訪問の目的になるのはこちらである。並ぶ資料は冨田家が代々手元に留めてきたもので、陣屋を運営した家に蓄積された書類群を含む。三河の小さな知行所がどのように運営されていたのか、建築だけでは掴めない手触りがここにある。

実務的な点を整理しておく。展示室は主屋に入るレストラン「リストランテ ユギーノ・ユーゴ」に併設される形で、見学の可否や時間の調整は同店を通すことになる。独立した受付や固定の開室時間があるわけではないため、事前の電話連絡は任意ではなく必須に近い。同店の営業は昼12時から、夜17時30分から、水曜定休(不定休あり)。内部の撮影は現地で確認したい。

交通は名鉄名古屋本線本宿駅から徒歩約5分。東岡崎駅から急行でおよそ10分の距離にある。屋敷は国道1号線の一本南、旧東海道沿い。土蔵は主屋の背面に位置するため、道路からは見通しにくく、敷地に入って初めて全体像が掴める。屋敷構えは岡崎市の歴史的風致形成建造物にも指定されている。東に少し歩けば、徳川家康の幼少期にゆかりのある法蔵寺があり、旧街道の集落と併せて半日ほどの散策が組める。

Q&A

Q冨田家住宅土蔵は見学できますか。
A一部が見学できます。古文書等の展示室は公開されていますが、菓子工房の部分は見学できません。見学は主屋に入るレストラン「リストランテ ユギーノ・ユーゴ」を通じて調整するかたちになりますので、事前に電話で問い合わせてください。水曜は同店の定休日です。
Q冨田家住宅土蔵の建立年はどのように判明したのですか。
A建物に残る墨書に明治9年(1876年)とあり、明治期の建立であることが確認されています。前面に建つ主屋の木南舎が文政10年(1827年)の建立で棟札に年紀を残すのに対し、土蔵は約半世紀後の建物にあたります。
Q冨田家住宅土蔵の内部には何がありますか。
A南側が家財蔵、北側が米蔵として使われていました。現在は一方が菓子工房、もう一方が古文書等の展示室になっています。展示品は冨田家に伝わった資料や古民具で、陣屋代官を務めた時代に関わるものを含みます。
Q冨田家住宅土蔵はなぜ白漆喰の外観ではないのですか。
A1階部分を黒塗の下見板張で覆っているためです。塗り壁を風雨から保護する手法で、白漆喰が見えるのは家財蔵の2階部分に限られます。軒下には鉢巻が廻り、下が黒、上が白という二段の外観をつくっています。
Q冨田家住宅土蔵は主屋とどのような位置関係にありますか。
A主屋である木南舎の背面、敷地の奥まった側に建ちます。両者は令和2年(2020年)4月3日に同時に登録され、代官屋敷の屋敷構えを構成する建物として一体で評価されました。最寄りは名鉄名古屋本線の本宿駅で、徒歩約5分です。

基本情報

名称冨田家住宅土蔵(とみたけじゅうたくどぞう)
所在地愛知県岡崎市本宿町字南中町23
指定区分国登録有形文化財(建造物) 登録番号 23-0547
指定年令和2年(2020年)4月3日登録
員数1棟(家財蔵と米蔵が接続)
寸法木造二階建一部平屋建、瓦葺、建築面積約43平方メートル
所有者個人
公開状況古文書等展示室として公開(菓子工房部分は見学不可)。主屋のレストランを通じて調整。事前連絡が望ましい。

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース ― 冨田家住宅土蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013258
岡崎市 ― 国登録:建造物 冨田家住宅木南舎・土蔵
https://www.city.okazaki.lg.jp/bunka/torikumi_bunka/1004568/1004592/1004595/1004621.html
愛知県 文化財ナビ愛知 ― 冨田家住宅土蔵
https://jmapps.ne.jp/aichi_bunkazai/det.html?data_id=2359
文化庁 国指定文化財等データベース ― 冨田家住宅木南舎
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013257
リストランテ ユギーノ・ユーゴ 公式サイト
https://yughino.com/

最終更新日: 2026.08.06