棟札が語る建立年と大工の名

雲興寺鐘楼は、愛知県瀬戸市白坂町にある曹洞宗寺院の境内に建つ江戸時代後期の鐘楼で、文化7年(1810年)の建立、平成17年(2005年)12月26日に国の登録有形文化財となった。

木造建築の年代決定は、ふつう推定の積み重ねになる。様式、仕口の癖、寺誌の断片を照らし合わせて、ようやく「十八世紀後半頃」といった幅のある答えにたどり着く。この鐘楼にその手間は要らない。屋根の小屋組に納められた棟札が残っており、そこには建立の年とともに、施工にあたった大工の名が記されている。地元の藤井甚右衛門である。

年代と施工者が文書で確定している建物は、その地域の他の建物を測る物差しになる。文化庁が登録理由を「地域における江戸後期の基準作のひとつ」としているのは、この点を指している。

規模は桁行二間、梁間二間。建築面積はおよそ28平方メートルと、鐘楼としては標準的な大きさである。屋根は入母屋造の桟瓦葺。下層は袴腰で覆われている。袴腰とは、下層の柱まわりを板で裾広がりに包む造りで、袴の形に見立てた呼び名だ。この処理があるために、境内の下から見上げたときの輪郭が引き締まる。

近づいて仰ぐと、細部の手数が見えてくる。縁を支えるのは出組。袴腰の内側からは円柱が立ち、柱頭の外側には長押が廻る。その上に載るのが二手先の組物で、組物と組物のあいだ、中備の位置には蟇股が置かれている。

屋根を葺くのは、この土地が焼いた瓦

頭上の瓦は、どこにでもある製品ではない。数キロ離れた赤津で焼かれた赤津瓦である。

瀬戸は中世から窯の火を絶やさなかった土地で、日本六古窯のひとつに数えられる。「せともの」という語が全国で陶磁器一般を指す言葉になったほどに、この地名は焼き物と結びついた。本堂と鐘楼を葺くとき、寺は周囲の山が産するものを使った。晴れた日と雨上がりとで色の見え方が変わるのは、この土のせいだろう。

上層に吊られていた梵鐘は、当初のものではない。全国の寺院がそうであったように、第二次世界大戦中の金属供出で失われた。鐘楼は長く鐘を欠いたまま立っていた。平成21年(2009年)、建物全体の保存修理にあわせて新しい鐘が鋳造され、上層はふたたび本来の姿になっている。

「登録」と「指定」の違い

雲興寺鐘楼の区分は登録有形文化財であって、重要文化財でも国宝でもない。ここは混同されやすいので、区別しておきたい。

登録制度は平成8年(1996年)に始まった。国が個別に指定して強く保護する従来の枠組みでは、歴史的に価値のある膨大な数の建物が網の外に落ちてしまう。そこで、届出を基本とする緩やかな保護をかけ、使い続けながら残す道をつくった。所有者は大幅な現状変更の際に届け出れば足り、日常の修繕のたびに許可を求める必要がない。凍結保存ではなく、生きた建物として残すための制度である。

登録には基準が付される。この鐘楼の場合は「造形の規範となっているもの」。登録番号は23-0209、第48回登録にあたる。登録年月日は平成17年12月26日で、官報告示はその翌日の12月27日付となっている。

盗難除けの寺という顔

大龍山雲興寺は至徳元年(1384年)、天鷹祖祐禅師によって開かれた。本尊は釈迦牟尼仏。尾張を代表する曹洞宗寺院のひとつに成長し、織田氏、豊臣秀吉、そして尾張徳川家の庇護を受けた。本堂にはそれらの家に連なる位牌が納められている。

ただし、参拝者の多くを引き寄せてきたのは、そうした武家との縁ではない。

寺伝によれば、応永年間、二世の天先祖命禅師が坐禅中に鬼神と対面した。禅師はこれを退けるのではなく、般若の教えを説いて「性空」と名づけた。鬼神は寺と村を盗難や災いから守る誓いを立て、山門前の盤石に姿を消したという。その石は性空石と呼ばれて今も境内にあり、雲興寺は盗難除けを祈る寺として知られてきた。尾張一円の家々の玄関上に、この寺の札が貼られていた時代がある。

毎年4月24日・25日には性空祭が営まれ、境内は参拝者で埋まる。

訪ねるにあたって

境内は開かれており、拝観料はかからない。ただし雲興寺は墓地を擁する現役の寺院であって、見学施設ではない。鐘楼は外観を仰ぐかたちで拝見することになり、鐘のある上層に一般が立ち入ることはできない。境内での外観撮影はふつう問題にならないが、法要中は控え、参拝者や墓域にレンズを向ける前にひと言確認したい。

行き方には少し段取りが要る。名鉄瀬戸線の尾張瀬戸駅から名鉄バス赤津行きに乗り、寺名を冠したバス停まで15分ほど。車なら東海環状自動車道せと赤津インターチェンジから5分前後である。参道入口に無料の駐車場があり、そこから境内までは長い石段を登る。足元に不安のある同行者がいる場合は、あらかじめ知っておいたほうがよい。

ひとつ土地の事情を書き添えておく。この駐車場は登山者の車で埋まりやすい。近くを東海自然歩道が通り、猿投山の登山口も遠くないためで、寺は登山目的の無断駐車に困っている。ハイキングと組み合わせて訪ねるなら、駐車の仕方に気を配りたい。

季節としては秋がわかりやすい。石段の両脇の紅葉が色づく。瀬戸の山あいに雪が積もる日は読みにくいが、当たれば忘れがたい景色になる。窯場の街並みと陶磁器の博物館が集まる瀬戸市街は、谷を下って15分ほど。あわせて回る行程が組みやすい。

Q&A

Q雲興寺鐘楼は見学できますか。拝観料はかかりますか。
A見学できます。雲興寺の境内は開かれており、拝観料はかかりません。鐘楼は本堂の南側に建ち、外観を拝見するかたちになります。鐘の吊られた上層に一般が立ち入ることはできません。
Q雲興寺鐘楼へのアクセス方法を教えてください。
A名鉄瀬戸線の尾張瀬戸駅から名鉄バス赤津行きに乗り、寺名のバス停まで約15分です。車の場合は東海環状自動車道せと赤津インターチェンジから5分前後。参道入口に無料駐車場があり、そこから境内へは長い石段を登ります。
Q雲興寺鐘楼はいつ建てられ、その年代はどのように確認されたのですか。
A文化7年(1810年)の建立です。小屋組に残る棟札に建立年と大工名が記されており、施工者は地元の藤井甚右衛門と分かっています。年代が文書で裏づけられている点が、登録の理由のひとつになりました。
Q雲興寺鐘楼に吊られている鐘は建立当初のものですか。
A当初のものではありません。第二次世界大戦中の金属供出で失われ、長く鐘のない状態が続きました。現在の鐘は平成21年(2009年)、鐘楼全体の保存修理にあわせて新たに鋳造されたものです。
Q雲興寺鐘楼の屋根瓦にはどのような特徴がありますか。
A地元赤津で焼かれた赤津瓦が用いられています。瀬戸は日本六古窯のひとつに数えられる窯業地で、本堂と鐘楼の屋根には周辺で産した瓦が使われました。土地の産業と建築が直結している点が見どころです。

基本情報

名称雲興寺鐘楼(うんこうじしょうろう)
所在地愛知県瀬戸市白坂町131
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 23-0209/登録基準「造形の規範となっているもの」
指定年平成17年(2005年)12月26日登録(官報告示 同年12月27日)/第48回登録
員数1棟
寸法桁行二間、梁間二間/木造、瓦葺、建築面積約28平方メートル/入母屋造、桟瓦葺、袴腰付
所有者宗教法人雲興寺
公開状況境内は開放、拝観料なし。外観のみ見学可。参道入口に無料駐車場あり、境内までは石段

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「雲興寺鐘楼」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005187
瀬戸市「雲興寺 鐘楼」(瀬戸の文化財)
https://www.city.seto.aichi.jp/docs/2010/11/10/04070/index.html
瀬戸市「アクセス」
https://www.city.seto.aichi.jp/docs/2011/03/15/00115/
日本観光振興協会 全国観るなび「雲興寺」
https://www.nihon-kankou.or.jp/aichi/232041/detail/23204ag2130014152

最終更新日: 2026.08.06