旧山繁商店奥倉庫

奥倉庫は、旧山繁商店の敷地北東隅に建つ。九棟の建物のなかで最も新しく、昭和二十五年(一九五〇)に建てられた。戦後、瀬戸の陶磁器産業がふたたび活気を取り戻していく時期にあたる。構えは実用本位で、桁行およそ十五メートル、梁間十二メートルの切妻造の主体部に、東と北へ下屋を張り出す。屋根は鉄板葺、建築面積は約二二一平方メートル。内部では梁間に一列の柱を並べる。

旧山繁商店は、瀬戸川北岸の丘陵地「北新谷」に構えた、近代の瀬戸を代表する陶磁器卸問屋であった。創業家の加藤家が明治十年代から商いを育て、七十年ほどのあいだに事務所・倉庫・作業場を敷地内に建て継いでいった。主人が暮らした主屋は失われたが、九棟が残る。平成二十七年、その九棟がまとめて国の登録有形文化財となり、明治から昭和にかけて瀬戸で陶磁器がどのように仕入れ・加工・出荷されたかを今に残す建物群として位置づけられた。現在は瀬戸市が所有する。

登録の理由と価値

奥倉庫を単なる収蔵庫と分けるのは、かつて内部で営まれた仕事である。一時期、この建物では上絵付が行われていた。素地の白磁に色絵を施す工程で、奥倉庫は卸問屋の倉庫が仕上げの作業場を兼ねうることを示している。伝統的な絵付場(えつけば)の作業空間のあり方を、戦後の建物のなかへ引き継いだ例といえる。

登録有形文化財は、国宝や重要文化財のような厳密な「指定」とは別に、建物が周囲の歴史的な景観に寄与し、保存と活用に値することを基準として「登録」される。奥倉庫は平成二十七年十一月十七日、ほかの八棟とともにこの基準で登録された(登録番号二三―〇四四一)。価値は際立った単独の意匠にあるのではなく、棟ごとに育っていった働く場の、最後の一層をなしている点にある。

見どころ

外から見ると、奥倉庫は低く横長の量感をもつ。鉄板葺の屋根と裾まわりの下屋が、近くの背の高い漆喰塗の建物のかたわらで、実用的な輪郭をかたちづくる。北東隅に立つと、中倉庫の北に平行して並ぶ位置どりがよくわかる。二棟の細長い倉庫が、出荷を待つ品のように一列に並ぶ。

目を留めたいのは、収蔵と加工のつながりである。梁間中央を貫く一列の柱、広く取られた床、かつて絵付に充てられた室。これらは、箱を収めるだけにとどまらない役割を負った建物の痕跡である。旧山繁商店の敷地は公開・活用に向けた整備が進められている段階のため、当面は北岸の街並みの一部として味わうのがよい。事務所、離れ、倉庫群のあいだを縫う小路を歩いてみたい。

Q&A

Q奥倉庫はいつ建てられましたか。
A昭和二十五年(一九五〇)です。現存する旧山繁商店の九棟のなかで最も新しい建物です。
Q何に使われていましたか。
A主に収蔵庫ですが、一時期は内部で磁器の上絵付も行われ、倉庫と仕上げ作業場を兼ねていました。
Q国宝や重要文化財ですか。
Aいいえ。歴史的景観に寄与する建物を対象とする登録有形文化財で、平成二十七年に登録されました。
Q内部を見学できますか。
A敷地は瀬戸市が所有し、公開・活用に向けた整備が進む段階です。内部の見学は限られるため、訪問前に市へ最新の公開・催事情報を確認することをおすすめします。
Qどこにありますか。
A愛知県瀬戸市仲切町、瀬戸川北岸にある旧山繁商店敷地の北東隅です。

基本情報

名称旧山繁商店奥倉庫(きゅうやましげしょうてんおくそうこ)
所在地愛知県瀬戸市仲切町23他
区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 23-0441
登録年月日平成27年(2015)11月17日
員数1棟
構造・形式木造平屋建、鉄板葺、切妻造の主体部に下屋
建築面積約221平方メートル
建造年昭和25年(1950)
所有者瀬戸市
公開状況外観は周辺の通りから見学可。内部の公開は限定的(瀬戸市に要確認)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)旧山繁商店奥倉庫
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010798
旧山繁商店|瀬戸市
https://www.city.seto.aichi.jp/docs/2017092600030/
旧山繁商店|Setopedia(瀬戸観光ガイド)
https://setopedia.seto-guide.jp/

最終更新日: 2026.06.25