旧山繁商店離れ
離れは、現存する旧山繁商店の九棟のなかで最も古く、明治二十二年(一八八九)に建てられた。創業の加藤家の離れにあたり、商家の記録によれば、瀬戸を訪れた賓客の宿所として用いられ、そのなかには皇族も含まれていたという。瓦葺の寄棟屋根をのせた木造二階建で、建築面積はおよそ百三十三平方メートル。瀬戸川北岸の丘陵の斜面に建ち、下の通りに落ち着いた風格を与えている。
旧山繁商店は、瀬戸の北新谷地区にあった陶磁器卸問屋で、加藤家が明治十年代から育ててきた。創業者の加藤繁太郎がこの時期に商いの礎を築き、離れと塀は敷地に最初に建てられた建物の一群に含まれる。主人の主屋は失われたが、この離れを含む九棟が残り、平成二十七年にまとめて国の登録有形文化財となった。現在は瀬戸市が所有する。
登録の理由と価値
その間取りは、仕事場ではなく上質な住まいのものである。一階の東側は土間の入口とし、西側には四つの座敷を田字形に配する。田字形とは「田」の字のかたちに由来する四室の格子状の配置をいう。北西の部屋が主座敷で、二階にもさらに部屋がある。格式ある人を迎えるためにつくられた空間である。
地元の記録は、瀬戸を訪れた要人がこの離れに宿泊したことを記しており、明治四十四年(一九一一)の梨本宮守正王、昭和二年(一九二七)の李鍝公の名が見える。南面の黒漆喰はこの建物の顔であり、川の北岸の町並みを引き締める、暗く端正な壁面をなす。登録有形文化財は、国宝や重要文化財の「指定」より緩やかに、歴史的景観への寄与を理由に登録される。離れは旧山繁商店の建物のうち最初に、平成二十七年十一月十七日に登録された(登録番号二三―〇四三四)。
見どころ
まずは南面から見たい。その黒漆喰は、前に建つ塀とあわせて、通りに重く整った構えを見せ、敷地全体の調子を定める。これほど暗く意図された壁を通りに向ける建物は、町なかでも数少ない。
使われていた頃の離れを思い描いてみたい。土間の入口から訪れる客、その奥の田字形の四室、最も尊い客のために北西に設けられた主座敷、控えとして保たれた二階の部屋。間取りはもてなしを軸に組み立てられていた。家の暮らしの中心であった主屋がいま失われているため、離れは商いだけでなく、加藤家そのものの記憶の多くを担う建物となっている。
Q&A
- 離れはいつ建てられましたか。
- 明治二十二年(一八八九)です。現存する旧山繁商店の九棟のなかで最も古い建物です。
- 本当に皇族が泊まったのですか。
- 商家の記録は、瀬戸を訪れた賓客の宿所であったと記し、地元の記録は明治四十四年の梨本宮守正王、昭和二年の李鍝公の名を挙げています。
- 田字形の間取りとは何ですか。
- 「田」の字のかたちに四室を格子状に並べた配置で、主座敷を北西に置きます。
- なぜ南面の壁が黒いのですか。
- 黒漆喰で仕上げられているためです。暗く端正な壁面が、前に建つ塀とともに川の北岸の町並みを形づくります。
- 内部を見学できますか。
- 敷地は瀬戸市が所有し、公開・活用に向けた整備が進む段階です。内部の見学は限られるため、訪問前に市へ確認してください。
基本情報
| 名称 | 旧山繁商店離れ(きゅうやましげしょうてんはなれ) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県瀬戸市仲切町23他 |
| 区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 23-0434 |
| 登録年月日 | 平成27年(2015)11月17日 |
| 員数 | 1棟 |
| 構造・形式 | 木造2階建、瓦葺、寄棟造。南面は黒漆喰 |
| 建築面積 | 約133平方メートル |
| 建造年 | 明治22年(1889) |
| 所有者 | 瀬戸市 |
| 公開状況 | 外観は周辺の通りから見学可。内部の公開は限定的(瀬戸市に要確認) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)旧山繁商店離れ
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010791
- 旧山繁商店|Setopedia(瀬戸観光ガイド)
- https://setopedia.seto-guide.jp/
最終更新日: 2026.06.25