全国の登録有形文化財
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松原市高見の里の田中家住宅外塀は昭和初期の延長47メートルの瓦葺の塀。腰を竪板張、上部を白漆喰とし、高見神社の参道に面した北辺には小判形・横長形の虫籠窓風の開口を設ける。北と西の通りに面し、外観は公道から見られる。
枚方市山之上の田中家住宅中門は明治中期の一間腕木門。間口1.4メートルの切妻造本瓦葺で、疎らな垂木に強い反りを付け、軸部を赤く塗る。前庭と主庭を分ける庭門で、平成10年(1998年)に改修された。屋敷は非公開。
泉大津市助松町の田中家住宅築地塀は江戸末期の瓦葺の塀。表門の東北隅から旧紀州街道に沿って北へ延び、高さ2.3メートル、足元には犬矢来が続く。延長は文化庁資料に57メートルと51メートルの2通りの記載がある。外側は公道から見られる。
枚方市山之上の田中家住宅道具蔵は明治8年(1875年)築の土蔵造2階建。切石積基礎に漆喰塗、腰高の縦板張、軒に鉢巻をめぐらせ、内部は東西二室。登録6棟のなかで最も古く、集落の街路景観をつくる大型土蔵である。
松原市高見の里の田中家住宅土蔵は昭和初期の2階建の土蔵。切妻造本瓦葺の置屋根をのせ、漆喰塗の壁の道路側だけ腰に竪板を張る。屋敷地の西面を構成する蔵で、外観は西側の通りから見られる。敷地内の見学はできない。
枚方市山之上の田中家住宅長屋門は明治前期の表門。正面を軒まで塗り込めて虫籠窓を開け、屋根は東が切妻、西が入母屋。門口の両脇に物置と柴小屋を抱える。平成元年(1989年)に改修された。外観は通りから見られるとみられる。
松原市高見の里の田中家住宅長屋門は昭和初期の建築。屋敷地の北辺に沿って建ち、西端に間口2間の門口、東端に通路を設ける。屋根は西が入母屋造、東が寄棟造と左右で異なる。外観は通りから見られるが、敷地の見学はできない。
松原市南新町の田中家住宅長屋門は文政年間の建築で、2007年に移築。入母屋造本瓦葺、桁行11メートル・梁間4.0メートルで、漆喰壁に出格子と与力窓を構える重厚な長屋門である。外観は東側の通りから見られる。
枚方市山之上の田中家住宅離れは明治40年頃の座敷棟。通りに面した二面は切石積基礎・漆喰塗・腰板張で周囲とそろえ、内側は6畳の主室に縁をめぐらせて庭に開く。座敷飾りや欄間を端正にまとめる。屋敷は一般公開されていない。
松原市高見の里の田中家住宅離れは昭和初期の木造平屋建。南半に縁側と床付き8畳・6畳の座敷、北半の落棟に納屋・風呂場・漬物小屋を収め、屋根の段差が用途の境を示す。屋敷は現在も住まいとして使われ、見学はできない。
泉大津市助松町の田中家住宅備窮倉は文政6年(1823年)に建てられた貯穀倉。飢饉に備えて穀物を蓄えた土蔵造平屋建で、置屋根と小さな開口が用途を示す。近世村落の社会事業を伝える遺構で、屋敷は一般公開されていない。
谷岡記念館は大阪府東大阪市御厨栄町にある昭和10年(1935年)の校舎で、登録有形文化財。室戸台風のあとに再建された城東商業学校(現大阪商業大学)の鉄筋コンクリート造4階建で、正面に時計台を立てる。いまは商業史博物館などの展示施設である。
玉手橋は、大阪府柏原市と藤井寺市の間の石川に架かる昭和3年(1928年)の5径間の吊橋で、平成13年(2001年)に登録有形文化財となった。玉手山遊園地への道に架けられ、城を思わせる白い主塔が並んでいる。
千早神社小宮(旧本殿)は明治七年建立で、境内の登録六件のうち最も古く、昭和三年まで本殿として使われた。一間社流造、建築面積一・三平方メートルの小社殿に、菊と波の彫刻や絵様を彫り込む。令和六年に登録有形文化財となった。
千早神社社務所は昭和七年建立、建築面積百二十七平方メートルと境内最大。式台棟・授与所棟・主体部の三つの切妻を参道へ突き出し、深い螻羽と薄い軒の対比が力強い正面をつくる。内部は続き間座敷。令和六年に登録された。
千早神社手水舎は昭和三年建立、面積一・六平方メートル。主柱を棟木まで通し、二段の腕木で軒桁を支える架構が、天井を張らない頭上にそのまま見える。中央に自然石組の手水鉢を置く。令和六年、歴史的景観への寄与を理由に登録された。
千早神社拝殿及び渡廊は昭和三年建立。背面中央の御扉を除き側廻りをすべて吹放ちとし、正面に立つと視線が建物を貫いて背後の森へ抜ける。設計は本殿と同じ大江新太郎による斬新な形式。令和六年に登録有形文化財となった。
千早神社本殿は、史跡千早城跡二の丸に建つ昭和三年建立の社殿。設計は明治神宮宝物殿を手がけた大江新太郎。桁行三間梁間二間の切妻造妻入で、細い木柄と扉の錺金具が見どころ。令和六年に登録有形文化財となった。
千早神社末社は本殿の北西、基壇上に南面して建つ昭和七年の小社殿。建築面積は二・五平方メートルながら円柱と長押で軸部を固め、南面各間に錺金具付きの扉戸を開く。縦長の懸魚や桁隠は本殿の意匠に通じる。令和六年に登録された。
大阪市旭区赤川の中條家住宅主屋は明治中期の農家主屋。つし二階建・入母屋造で出桁造の深い軒を張り出し、正面に土間の大戸と格子窓を残す。二階へは階段でなく梯子で上がる当初の形が保たれ、令和7年に登録された。