津田沼に残る雑穀問屋の蔵

今の津田沼は、習志野市と船橋市の境にひろがる住宅と商業の街で、駅前には百貨店やバスロータリーが並ぶ。その大通りから数分入った一画に、白い漆喰壁の下を黒い板で覆った二階建ての建物が立っている。明治24年(1891年)に建てられた、廣瀬家住宅の蔵である。当時の廣瀬家は雑穀を扱う問屋を営んでおり、東京湾の海岸線も舟で荷を積めるほど近かった。

規模そのものは大きくない。建築面積はおよそ52平方メートル、桁行4間・梁間2間半。それでも切妻造・桟瓦葺の屋根の下に二階分の高さを取り、棟は東西に通る。こうした建物を土蔵と呼ぶ。厚い土壁と漆喰で火に強く、内部の温度を保つようにつくられた蔵で、ここに納められたのは米・麦・粟といった雑穀の俵だった。

屋敷を整えた廣瀬秋之助

今に伝わる廣瀬家の屋敷構えを整えたのは、廣瀬秋之助という人物である。慶応元年(1865年)、この地の旧名である久々田村に生まれ、家業の雑穀問屋を切り盛りしながら、津田沼町会議員、名誉助役、千葉郡会議員、漁業組合長と地域の要職を歴任した。

その前に、秋之助は二つの私塾で学んでいる。船橋・海神にあった御代川広有の塾では和算を、東京・神田の蒲生重章の塾では漢学を修めた。廣瀬家には当時の和本や漢籍が多く残されており、御代川塾の教材をたどると、微積分のような高度な数学から、米や麦の収量を見積もる実用算まで教えていたことが読み取れる。地方の問屋の子弟がどんな教育を受けていたかを知る、貴重な手がかりになっている。

家系をさかのぼると、廣瀬弥兵衛という大工に行き着く。市川の日蓮宗大本山・法華経寺の仁王門を手がけた名工と地元では伝えられる。弥兵衛が建てたのは蔵ではなく主屋で、その主屋は明治末期に現在地へ移され、店舗を兼ねた住まいに改められた。蔵を建てたのは、別の大工だった。

棟札に名を残した大工

蔵を誰が建てたかが分かるのは、建物が記録をしまっておく場所――棟札のおかげである。棟上げのときに棟へ打ち付けられたこの木札に、大工棟梁として「鷺沼村 邑山岩吉」の名が記されていた。棟札は、施工者の署名であり、建築の年や施主、建物の無事を願う言葉をひとまとめにして屋根裏に納めたものだ。岩吉の建てた蔵は130年あまり立ち続けており、屋根の上に隠した仕事の確かさを、そのまま示している。

なぜ文化財として守られているのか

日本は古い建物を二つの段階で守っている。重い方の「指定」は、重要文化財や国宝を生み、所有者が手を加える範囲も厳しく定める。軽い方の「登録」は、建築後50年を超え、町並みを形づくってきた数多くの建物――民家、商家、橋、蔵――を、暮らしのなかで使いながら守るために、平成8年(1996年)に設けられた制度である。

廣瀬家住宅蔵は、この登録有形文化財にあたる。平成15年(2003年)7月、同じ屋敷内の主屋・倉庫・井戸上屋とあわせて4棟が登録された。蔵について記された登録の理由は「造形の規範となっているもの」。つまり、明治の雑穀問屋が使った蔵として、よくまとまった見本だということだ。ありふれていたがゆえに失われやすい、その種の建物である。

見どころ

外から探したいのは、壁の仕上げである。下方の壁は横板を細い縦の押縁で留めた簓子下見になっていて、背後の土壁に雨を当てず、それでいて湿気を逃がす。海に近い土地の気候に対する、実際的な答えだ。

北面には幅1間の下屋が張り出し、その下に蔵前と呼ぶ作業用の土間を取る。荷を蔵の戸口から出し入れするための、ひさしの掛かった空間で、ここが見せるための場所ではなく、働くための場所だったことを思い出させる。

強く印象に残るのは内部だ。この規模の蔵にしては、梁組がいかにも重い。屋根を支えるだけなら不要なほど太い梁が頭上を渡るのは、二階に積み上げた穀物の重みを受けるためである。雑穀蔵の大工はあえて材を太く取った。薄暗く、梁の交差する二階の空間は、1891年からもっとも変わっていない部分でもある。

屋敷全体のなかの蔵

蔵は単体で建っていたわけではない。それは、内陸の旧上総街道と東京湾の海岸線とのあいだという、土地の歴史を示す線の上に置かれた問屋の屋敷の一部だった。海岸線は、埋め立てが進んだ現在からは想像しにくいほど近くにあった。雑穀問屋には、荷車と客のための道と、舟のための海の両方が要る。

ほかの登録建物が、その全体像を補ってくれる。明治42年(1909年)に建てられ、のちに曳家・改造された倉庫は、厚い土壁ではなく柱を細かく立て並べる「角寄せ蔵」風のつくりが特徴だ。昭和10年(1935年)ごろの井戸上屋は、四方を吹き放しにした軽い建物で、問屋の屋敷が日々どう動いていたかを、こまやかに伝えている。

見学と周辺

訪ねる前に、ひとつ確かめておきたい。廣瀬家住宅は今も廣瀬家が所有し、暮らしている個人の住まいである。資料館ではなく、見学公開もしていない。登録という制度は、所有者に建物を公開する義務を課していない。観光地として戸口を訪ねるのではなく、町並みのなかにある一棟として知っておきたい。

房総の民家に実際に上がってみたいなら、習志野市内には無料で公開されている古民家が二つある。実籾本郷公園の旧鴇田家住宅は、東北に多くこの地方では珍しいL字型の曲屋。藤崎森林公園の旧大沢家住宅は、寛文4年(1664年)築と伝わる茅葺の主屋を持ち、東日本でも最古級の住宅建築に数えられる。いずれも千葉県指定有形文化財で、おおむね午前9時30分から午後4時30分まで開館、月曜は休館。茅葺の葺き替え工事で長期休館することがあるため、事前に確認しておくとよい。

自然の見どころも近い。国際的に登録された干潟である谷津干潟には観察センターがあり、街に囲まれた泥の上に渡り鳥が降りる。谷津バラ園は晩春と秋に花の盛りを迎える。津田沼へはJR総武線と京成線で行ける。都心から短い行程で、これらをひとめぐりできる距離だ。

Q&A

Q蔵の中を見学できますか。
Aできません。今も人が暮らす個人の住宅の一部であり、一般公開はされていません。情報として知るのはよいのですが、住まいを観光地のように訪ねることはお控えください。
Qいつ建てられた蔵ですか。
A明治24年(1891年)の建築で、130年あまりを経ています。
Q国宝なのですか。
Aいいえ。重要文化財や国宝のような「指定」ではなく、より軽く幅広い「登録有形文化財」にあたります。
Qもとは何に使われていたのですか。
A廣瀬家の雑穀問屋の商品蔵で、米・麦・粟などの穀物を保管していました。
Q近くで中に入れる古民家はありますか。
A習志野市の実籾本郷公園にある旧鴇田家住宅と、藤崎森林公園にある旧大沢家住宅が、無料で公開されています。

基本情報

名称廣瀬家住宅蔵(ひろせけじゅうたくくら)
所在地千葉県習志野市津田沼6-5-11
区分登録有形文化財(建造物)/「廣瀬家住宅主屋ほか」4棟のうちの1棟
登録年月日平成15年(2003年)7月1日(登録番号 12-0052)
建築年明治24年(1891年)
構造・形式木造2階建の土蔵、切妻造・桟瓦葺、平入、外部は簓子下見
規模桁行4間・梁間2間半、建築面積 約52㎡
もとの用途雑穀問屋の商品蔵
大工棟梁鷺沼村 邑山岩吉(棟札による)
所有個人
公開非公開(個人の住宅)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)/廣瀬家住宅蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00003390
千葉県/廣瀬家住宅主屋ほか
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/q111-015.html
習志野市/新ならしの散策 No.68 登録有形文化財 廣瀬家住宅
https://www.city.narashino.lg.jp/citysales/shizen/walk/sansaku/h16/sansaku068.html
文化遺産オンライン/廣瀬家住宅主屋
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/194389
習志野市/旧鴇田家住宅
https://www.city.narashino.lg.jp/soshiki/shakaikyoiku/gyomu/shisetu/koenshiseki/kyutokitake.html

最終更新日: 2026.06.20