門の北に建つ明治期の米蔵

石橋家住宅東の蔵は、千葉県成田市久井崎の石橋家住宅にある明治期(1868〜1911年)の米蔵で、平成11年(1999年)7月8日に国の登録有形文化財(登録番号12-0018)に登録された。表門の北に南北の棟を通して建つ土蔵造の平屋で、切妻造・平入の瓦葺屋根を載せ、建築面積は30平方メートルある。

登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。石橋家住宅東の蔵は、門と南の蔵とともに道路沿いに並び、屋敷の正面を受け持つ。

名前は「東の蔵」だが、文化庁の解説では門の北に位置するとされる。名の由来は手元の資料には示されていない。

石橋家住宅東の蔵の造り

文化庁と千葉県はいずれも、石橋家住宅東の蔵を南の蔵とほぼ同じ造りの米蔵と説明している。収穫した米を納める蔵が、門のすぐ脇、道路に面した位置に建っていることになる。

窓は道路沿いに1つ、南側の妻に観音開きの扉を備えた窓が1つ。道路と反対の西面には下屋が架かる。

門とのあいだは袖塀でふさがれている。門の反対側、南の蔵とのあいだが通用口になっているのとは対照的である。

鉢巻の直下まで張り上げた板

石橋家住宅東の蔵が南の蔵と見た目で大きく違うのは、外壁の板張りの高さである。南の蔵が壁の腰だけを板で覆うのに対し、東の蔵は軒の鉢巻のすぐ下まで板を張り上げている。

そのため道路から見ると、東の蔵は壁のほとんどが板に包まれ、土の壁が表に出るのは軒まわりにほぼ限られる。文化庁はこれを、ほぼ同じ造りの2棟に変化をつけた工夫とみている。窓の数も南の蔵の2つに対して道路側は1つで、門の両脇に似た蔵を据えながら、左右を同じ顔にはしていない。

石橋家住宅東の蔵の見学

石橋家住宅東の蔵は個人宅の一部で、成田市は公開状況を非公開としている。内部には入れない。道路に面した東面は公道から見られる。

南妻の観音開きの窓は門の袖塀側にあたり、道路からどの程度見えるかは確かめられていない。板張りの高さを南の蔵と見比べるなら、門を正面にして道の向かい側に立つと、左右の2棟が一度に視野に入る。

Q&A

Q石橋家住宅東の蔵はいつ建てられたのですか?
A文化庁は明治期(1868〜1911年)の建築としています。細かな建築年は示されていません。
Q石橋家住宅東の蔵は何に使われた蔵ですか?
A文化庁と千葉県は米蔵と説明しています。土蔵造の平屋で、瓦葺の切妻屋根、平入の造りです。
Q石橋家住宅東の蔵はなぜ門の北にあるのに「東の蔵」なのですか?
A文化庁の解説では門の北に位置するとされていますが、「東」と呼ばれる理由は資料に示されていません。
Q石橋家住宅東の蔵と南の蔵はどこが違いますか?
A東の蔵は外壁の板張りを軒の鉢巻の直下まで上げ、道路側の窓は1つです。南の蔵は板張りが壁の腰だけで、道路側の窓が2つあります。
Q石橋家住宅東の蔵は見学できますか?
A個人宅のため非公開で、内部には入れません。道路に面した東面は公道から見られます。

基本情報

名称石橋家住宅東の蔵
所在地千葉県成田市久井崎215
指定区分登録有形文化財(建造物)、登録番号12-0018
指定年平成11年(1999年)7月8日登録
員数1棟
寸法土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積30平方メートル
所有者個人(文化庁データベースは空欄)
公開状況非公開(道路側の外観は公道から見学可)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁):石橋家住宅東の蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001176
国指定文化財等データベース(文化庁):石橋家住宅門
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001174
千葉県教育委員会:石橋家住宅門ほか
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/q111-025.html
成田市:【国登録有形文化財】石橋家住宅門 ほか
https://www.city.narita.chiba.jp/shisei/page0152_00063.html

最終更新日: 2026.10.02