アートスペース谷尾(旧十七銀行直方支店)|筑豊の近代を映す大正ロマン建築

福岡県直方市の古町通りを歩いていると、角地にふと立ち止まりたくなる建物があります。煉瓦風タイルに花崗岩のアクセント、南東隅を塔屋風に張り出させた端正なシルエット。大正時代の空気を今に伝えるこの建物こそ、国登録有形文化財「アートスペース谷尾(旧十七銀行直方支店)」です。

かつて筑豊炭田の繁栄を金融の面から支えた銀行建築が、現在は直方市美術館別館として生まれ変わり、国内外のガラス工芸品や高取焼の出土品を展示する文化拠点となっています。訪れる人を静かに迎え続ける、直方の街を代表するランドマークのひとつです。

歴史的背景:炭都・直方の金融を担った銀行

直方市は明治から昭和初期にかけて、日本有数の石炭産出量を誇った筑豊炭田の中心都市として発展しました。炭鉱経営の拡大とともに、資金の移動や商取引を支える金融機関の整備が急務となり、明治・大正期の直方には複数の銀行が支店を構えたといわれています。

十七銀行の起源は、明治10年(1877年)に福岡藩旧家と御用商人らによって設立された「第十七国立銀行」に遡ります。その後の私立銀行への転換を経て、大正期には県下の有力地方銀行として成長し、直方にも支店を開設しました。その拠点として建てられたのが、この旧十七銀行直方支店です。

時代は流れ、昭和20年(1945年)、十七銀行は筑邦銀行・嘉穂銀行・福岡貯蓄銀行と合併して「福岡銀行」となり、直方支店もその流れの中で福岡銀行の店舗として利用されました。そして平成9年(1997年)、故・谷尾欽也氏の尽力により、直方市美術館別館「アートスペース谷尾」として再生。銀行の建物が文化と芸術の発信拠点へと転身を遂げました。

文化財としての価値と指定理由

本建物は、平成25年(2013年)12月24日に国の登録有形文化財(建造物)として登録されました。文化庁の公式解説では、建物の設計上の特徴と地域における意義が次のように評価されています。

角地に建つ木造及び煉瓦造2階建、鉄板葺の建物で、南東隅を塔屋風に張り出す意匠。外壁は煉瓦風タイルの小口貼で仕上げ、基礎やバンド、窓台などに花崗岩を用いて横方向のアクセントをつけています。玄関廻りや柱形などの細部はゼツェッション様式でまとめられており、20世紀初頭のヨーロッパ建築の影響を受けた意匠が随所に見られます。

また、直方市内に残る唯一の大正期銀行建築であることも、登録文化財としての大きな価値のひとつです。金庫室など当時の銀行の機能を伝える内部の痕跡も残されており、地域のランドマークとして長く親しまれてきた歴史的・景観的な存在感も、登録の重要な根拠となっています。

見どころ:細部に宿る大正モダン

規模は決して大きくありませんが、この建物は大正期の日本人建築家が西洋の古典様式と新しい近代建築の語彙を巧みに融合させた好例です。一見地味に見えて、近づけば近づくほど細部の魅力に気づかされる建築といえます。

角地を飾る塔屋風の張り出し

最大の見どころは、南東隅に設けられた塔屋風のボリュームです。主要な交差点に立つ建物の象徴として機能し、視線を自然と上へと導きます。建設当初は屋根にドームを戴いた優雅な姿だったと伝えられており、現在は失われているものの、当時はさらに堂々とした外観だったと想像できます。

煉瓦風タイルと花崗岩のコントラスト

外壁には本物のレンガではなく、小口貼の煉瓦風タイルを用いています。レンガの温かみある色調と質感を保ちながら、軽量で施工しやすいこの仕上げは、大正期に広く採用された手法のひとつです。基礎や窓台、腰回りに用いられた花崗岩が水平のリズムを与え、銀行建築らしい落ち着きと威厳を演出しています。

ゼツェッション様式の繊細な装飾

玄関廻りや柱形に目を凝らすと、直線的で幾何学的な装飾が施されていることに気づきます。これは19世紀末のウィーンで始まった分離派(ゼツェッション)の影響を受けたデザインで、重厚な古典様式とは異なる、簡潔で都会的な表現が特徴です。明治期の歴史主義建築から近代建築への移行期を示す貴重な実例といえます。

内部に残る銀行時代の面影

館内には、かつての金庫室がそのまま残されており、銀行建築特有の重厚な空気を体感することができます。高い天井と大きな窓、落ち着いた造作が、往時の営業室の雰囲気を今に伝えています。

コレクション:ガラス工芸品と高取焼

通常開館時の館内では、故・谷尾欽也氏が収集した多彩なコレクションを鑑賞することができます。メインとなるのは約260点のガラス工芸品で、チェコ・ドイツ・フランス・中国などのエングレーブ(彫刻ガラス)やゴブレット(装飾瓶)に加え、日本の江戸切子が含まれます。大正期の高い窓から差し込む光がガラスの細やかなカットに反射し、展示室全体を柔らかく照らす光景は、この建物ならではの美しさです。

もうひとつの柱は、高取焼の発掘出土品約90点。宅間窯跡・内ヶ磯窯跡から出土した茶陶の名品で、福岡が誇る陶磁器文化の一端に触れることができます。ヨーロッパのガラス工芸と九州の伝統陶芸、異なる文化の造形が同じ空間で出会う──ここにしかない鑑賞体験を楽しめる展示館です。館内にはギャラリーレストランも併設され、鑑賞の合間にゆったりと過ごせる場所として親しまれてきました。

ご来館にあたってのご案内

旅の計画に際して、一点ご注意いただきたいことがあります。2025年度に実施された耐震診断の結果、建物の耐震性能が現行基準を下回っていることが判明しました。このため、来館者の安全を最優先として、2025年12月26日(金)17時をもってアートスペース谷尾および併設のTELBOXミニギャラリーは休館となっています。本記事執筆時点で、再開の時期は未定です。

ただし休館中であっても、建物の外観は古町通り沿いから引き続き鑑賞することができます。塔屋風の張り出しや煉瓦風タイルの壁面、大正期の街並みを伝える佇まいは、散策の途中で立ち寄るだけでも十分に楽しめます。最新の再開情報やガラス工芸品の巡回展示については、直方市の公式ウェブサイトや公益財団法人直方文化青少年協会(ユメニティのおがた)の情報を事前にご確認ください。

所在地は、JR筑豊本線・直方駅東口から徒歩9分ほど。駅から古町通りを歩きながら、直方の旧市街の雰囲気を楽しむルートがおすすめです。

周辺の見どころ

直方市の中心部には、徒歩圏内で巡れる歴史スポットが数多く点在しています。アートスペース谷尾から程近い「直方谷尾美術館」は、大正期の旧奥野医院を活用した洋館と、旧奥野家住宅主屋の和館からなり、いずれも国登録有形文化財です。

また、同じく登録文化財の「向野堅一記念館(旧讃井病院)」や、筑豊の炭鉱王・堀三太郎の旧邸宅を活用した「直方歳時館」も、ゆっくり歩きながら見学できる距離にあります。直方市石炭記念館を訪ねれば、この地域を支えてきた筑豊炭田の歴史を深く知ることができ、なぜ直方に銀行建築が必要とされたのかという背景もより理解が深まるでしょう。

少し足を延ばせば、春には桜、夏には花火大会の舞台となる遠賀川の河川敷、城下町の鎮守である多賀神社、レトロな雰囲気の明治町商店街もあります。大正建築の鑑賞と、直方という街そのものの散策をぜひ組み合わせてお楽しみください。

Q&A

Q現在、館内を見学することはできますか?
Aいいえ。耐震診断の結果を踏まえ、2025年12月26日17時をもって休館となっています。再開時期は未定ですが、建物の外観は通り沿いから引き続き鑑賞することができます。
Q福岡市や北九州市からのアクセス方法を教えてください。
AJR筑豊本線の直方駅をご利用ください。JR博多駅からは約60分、JR小倉駅からは約45分です。直方駅東口から古町通り方面へ徒歩9分ほどで到着します。
Q「アートスペース谷尾」という名前の由来は何ですか?
A平成9年(1997年)に直方市美術館別館として再生する際、尽力された故・谷尾欽也氏のお名前に由来しています。地元では愛着を込めてこの通称で呼ばれています。
Qどのような建築様式の建物ですか?
A大正期に建てられた洋風の銀行建築で、外壁は煉瓦風タイルと花崗岩で構成されています。玄関廻りや柱形の細部には、20世紀初頭にウィーンで興ったゼツェッション(分離派)の様式が取り入れられている点が特徴です。
Q入館料はかかりますか?
A通常開館時は入館無料で運営されていました。再開後の利用条件等については、直方市公式ホームページやユメニティのおがたのウェブサイトで最新情報をご確認ください。

基本情報

名称 アートスペース谷尾(旧十七銀行直方支店)
指定区分 国登録有形文化財(建造物)
登録年月日 2013年(平成25年)12月24日
時代 大正時代(1913年頃)
構造 木造及び煉瓦造2階建、鉄板葺
建築面積 約375㎡
員数 1棟
所在地 福岡県直方市古町929-1他
所有者 直方市
アクセス JR筑豊本線 直方駅東口より徒歩約9分
現状 2025年12月26日17時をもって休館中(再開時期未定)

参考文献

アートスペース谷尾(旧十七銀行直方支店)|文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/274603
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009854
直方市公式ホームページ|アートスペース谷尾(現在休館中)
https://www.city.nogata.fukuoka.jp/shisei/_1242/_2795/_2685.html
公益財団法人直方文化青少年協会 ユメニティのおがた|別館アートスペース谷尾
https://yumenity.com/pages/112/
(公式)直方市観光ポータルサイト|アートスペース谷尾
https://nogata-kankoh.com/hangout/676.html
直方市バーチャルミュージアム|旧十七銀行直方支店(アートスペース谷尾)
http://nogata-virtualmuseum.jp/assets.php?no=185
クロスロードふくおか|直方市美術館別館(アートスペース谷尾)
https://www.crossroadfukuoka.jp/spot/10033

最終更新日: 2026.04.22