多田家住宅離れ及び渡廊下とは
多田家住宅離れ及び渡廊下は、福岡県朝倉郡筑前町森山にある明治35年(1902年)建築の離れ座敷と、主屋からそこへ通じる渡廊下で、平成25年(2013年)3月29日に国の登録有形文化財に登録された。木造平屋建、瓦葺で、建築面積は100平方メートルある。
離れと渡廊下は別々ではなく、1件としてまとめて登録されている。主屋からあえて距離をとった場所に座敷を置き、そこまでを屋根のある廊下で結ぶ構成で、屋敷の南東側を占めている。
太鼓橋を越えて離れへ
渡廊下は主屋の南東の隅から出て、敷地の南の辺に沿ってのびる。途中に反りのついた太鼓橋があり、それを越えた先が離れである。平らな廊下がいったん持ち上がって下りる区間は、主屋の日常から客の座敷へ移る境目になっている。
庭の側から見れば、この橋の部分が景色の一部になる。多田家住宅離れ及び渡廊下は、建物そのものだけでなく、そこへ向かう道筋まで含めて設計された離れといえる。
縁と高欄、南の広縁からの眺め
離れは寄棟造の桟瓦葺で、庭に面した側には縁をめぐらせ、高欄を付けている。南側は広い縁で、そこから森山の集落を見晴らすことができる。屋敷が集落よりひと段高い場所にあることは、この広縁の向きからも読み取れる。
主室の座敷飾りには銘木が使われ、軒の垂木は扇垂木に配られている。垂木を平行に並べず、隅へ向かって扇のように開いていく手法である。文化庁は多田家住宅離れ及び渡廊下を、瀟洒で開放的なつくりの離れと評している。
多田家住宅離れ及び渡廊下が登録された理由
登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。主屋の完成(1890年)から12年後に、接客のための独立した座敷として加えられたもので、明治後期の旧家が客を迎える場をどう整えたかを示す。
閉じた構えの主屋に対し、多田家住宅離れ及び渡廊下は庭と眺めに向かって開く。屋敷のなかで性格の異なる2つの住まいが並んでいる点に、この離れの意味がある。
多田家住宅離れ及び渡廊下の見学
多田家住宅離れ及び渡廊下は敷地の南辺寄りにあるが、南の通りからどこまで見えるかは確認できていない。一般公開や見学会の案内は見当たらず(2026年9月確認)、太鼓橋や扇垂木を近くで見る機会は現状ではない。撮影の可否の案内もないため、外から写す場合は住む人への配慮を忘れないようにしたい。屋敷への行き方は多田家住宅(筑前町)のページを参照してほしい。
Q&A
- 多田家住宅離れ及び渡廊下はいつ建てられましたか?
- 明治35年(1902年)です。主屋(1890年)より12年後に加えられました。
- 多田家住宅離れ及び渡廊下の渡廊下はどんなつくりですか?
- 主屋の南東の隅から敷地の南辺に沿ってのび、途中の太鼓橋を越えて離れに至ります。
- 多田家住宅離れ及び渡廊下の離れの特徴は?
- 寄棟造の桟瓦葺で、庭側に縁と高欄をめぐらせ、南の広縁から集落を見晴らします。座敷飾りに銘木を使い、軒は扇垂木です。
- 多田家住宅離れ及び渡廊下が登録有形文化財になったのはいつですか?
- 平成25年(2013年)3月29日です。離れと渡廊下が1件として登録されています。
- 多田家住宅離れ及び渡廊下は見学できますか?
- 一般公開の案内は見当たりません(2026年9月確認)。敷地の外から眺めるにとどめてください。
基本情報
| 名称 | 多田家住宅離れ及び渡廊下 |
|---|---|
| 所在地 | 福岡県朝倉郡筑前町森山字耳取417-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 平成25年(2013年)登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 建築面積100㎡(木造平屋建、渡廊下付) |
| 所有者 | 非公表 |
| 公開状況 | 一般公開の案内なし |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)多田家住宅離れ及び渡廊下
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009543
- 文化遺産オンライン 多田家住宅離れ及び渡廊下
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/269566
- 国指定文化財等データベース(文化庁)多田家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009542
最終更新日: 2026.09.30