千年家と呼ばれる茅葺の曲屋 ― 新宮町上府
横大路家住宅(よこおおじけじゅうたく)は、福岡県糟屋郡新宮町大字上府にある江戸中期の民家で、昭和52年(1977年)1月28日に国の重要文化財(建造物)に指定された。指定番号は02022、通称を「千年家」という。
訪問を考える前に、ひとつ断っておかねばならない。現在この建物は休館中である。新宮町は期間を定めずに内部公開を停止している。外観の見学は引き続き可能で、この家の見どころの多くは屋根と接近路の側にあるのだが、土間に立つことを目的とするなら、出発前に町の歴史資料館へ確認したほうがよい。
建物は「曲屋(まがりや)」と呼ばれる、平面がL字に折れる茅葺の農家である。文化庁のデータベースは、桁行16.0メートル、梁間8.0メートル、東面突出部が桁行10.7メートル・梁間9.1メートル、寄棟造、茅葺、四面庇付、桟瓦葺と記す。種別は「近世以前/民家」、時代は江戸中期、西暦では1661年から1750年の幅で示される。新宮町の説明では、これを17世紀中期と絞っている。
この年代こそが、この家が全国的な意味をもつ理由である。文化庁の解説は「九州地方最古の民家と考えられる」と結んでいる。建築年を示す文書は残っていない。判断の根拠は、木そのものにある。
木組みが年代を語る仕組み
解説文を読み込むと、書かれているのはほぼ架構の話である。桁行方向には一間ごとに柱を立てる。梁間方向は柱間を広くとる。この組み合わせと、部材の仕上げの具合が、建築年代の古さを示すものとして挙げられている。
民家の年代判定に馴染みのない読者のために、理屈を開いておきたい。長手方向に柱が密に立つのは、架構がまだ大きく飛ばせない段階にあることを意味する。江戸時代を通じて技術が進むと、少数の太い部材で荷重を受ける自信が育ち、柱間は広がっていく。片方の軸で一間ごとに柱を立て続けている家は、より古い構造の論理で建っている。仕上げも第二の手がかりになる。手斧の痕、材の削り出しの精度、仕口の納まりの許容度は、時代とともに測定可能なかたちで変わる。
平面の形について
曲屋は、棟がL字に折れる農家形式で、日本の複数の地域に分布する。ここでは短い腕に広い土間、長い腕に床上部が入る。九州の民家研究では、この家がもともと北部九州に特徴的な「くど造り」で、「御成間」を備えた屋敷であったものが、文化・文政年間(19世紀初頭)に現在のL型寄棟造・茅葺の曲屋へ縮小改造されたとされる。棟には竹を半円状に押さえた「タゴ」と呼ばれる棟飾りが付くことも指摘されている。ただしこの復原的な解釈は国の記録ではなく二次的な建築調査に拠るもので、有力な読み方として受け取っておくのが妥当である。
建物の傷みが進んだため、平成12年(2000年)から平成14年(2002年)にかけて修復工事が行われた。現在の所有者は新宮町である。古い記録では個人所有として載っており、同じ家系が住み継いできた住宅が町に移ったことを示している。
最澄と、火と、井戸
「千年家」という通称には話がついている。そしてその話こそ、この家が建築の世界を越えて知られている理由でもある。
伝承によれば、日本天台宗の開祖である最澄は、唐での留学を終えて延暦24年(805年)に帰国し、この付近に上陸したのち、現在の新宮町立花口に独鈷寺を開いたという。その際に協力した家に対する礼として、「横大路」の姓と、毘沙門天の像、「法理の火」と呼ばれる火、そして「岩井の水」の井戸を贈ったと伝わる。この三つを守るかぎり家は絶えないとされ、家系は現在まで続いた。千年続くという意味で「千年家」と呼ばれるようになった。
これらはいずれも、指定記録が寸法を記すような意味での文書的裏づけをもたない。地域に伝わる話として読むべきものである。確かめられるのは、そこから生まれた慣行のほうだ。毎年4月13日には毘沙門天像の御開帳の法要が営まれ、この日にかぎって像を拝することができる。
竈の火にも、継続をめぐる話が伝わる。取材記事によれば、この家では釜戸の火を絶やさないという。相続としての意味に加えて、茅葺屋根に煙を通せば防虫になり、建材の耐久性も上がるという実際的な理由もある。なお報道では、「法理の火」そのものは現在、太宰府の庵に移されたとされる。休館中の現在、この点を訪問者が自分の目で確かめることはできない。
行き方と、いま見られるもの
内部公開は停止中。外観の見学は可能で、無料である。駐車場は6台分(中型バスも可)で無料。問い合わせ先は新宮町立歴史資料館(シーオーレ新宮内)、電話092-962-5511。
バスでは、JR新宮中央駅前または西鉄新宮駅前からマリンクス相らんど線に乗り、「千年家」で下車する。西鉄バスの上府太郎丸バス停からなら徒歩約15分。
外から見るなら、まず茅葺屋根である。これだけの規模の屋根を四面とも寄棟に葺き、その下に桟瓦の庇を回した姿は、周囲の瓦葺農家とはまったく違う立ち方をしている。平面の折れも、近づいていく途中で読み取れる。外観の撮影は自由に行える。ただし住宅地の中にある敷地なので、公道側の見学路から外れないようにしたい。
近くまで来たなら、伝承の相手方にあたる立花口の独鈷寺を合わせて訪ねる手がある。両方の現況は新宮町立歴史資料館で確認できる。新宮港から渡船で渡る相島を午後に組み込めば、一日の行程として自然にまとまる。
Q&A
- 横大路家住宅(千年家)の内部は見学できますか?
- 現在はできません。新宮町が期間を定めずに休館としています。外観の見学は可能で無料です。出発前に新宮町立歴史資料館(092-962-5511)へ最新の状況を確認してください。
- 横大路家住宅が九州最古の民家とされる根拠は何ですか?
- 建築年を示す文書は残っていないため、判断は建物自体に拠ります。文化庁は、桁行方向に一間ごとに柱を立てること、梁間方向は柱間を広くとること、部材の仕上げの具合を古さの指標として挙げ、九州地方最古の民家と考えられると結論しています。
- 横大路家住宅(千年家)へは公共交通でどう行きますか?
- JR新宮中央駅前または西鉄新宮駅前からマリンクス相らんど線に乗り、「千年家」バス停で下車します。西鉄バス上府太郎丸バス停からは徒歩約15分です。現地に無料駐車場が6台分あります。
- 横大路家住宅に伝わる最澄の伝説とはどのようなものですか?
- 天台宗の開祖・最澄が延暦24年(805年)に唐から帰国して付近に上陸した際、協力した家に礼として「横大路」の姓と、毘沙門天像・法理の火・岩井の水の三つを贈ったと伝わります。文書で裏づけられた史実ではなく、地域の伝承です。
- 横大路家住宅の毘沙門天像はいつ見られますか?
- 毎年4月13日に御開帳の法要が行われ、この日だけ拝顔できます。現在は建物が休館中のため、実施の有無を新宮町立歴史資料館に事前確認してください。
- 横大路家住宅のL字型の平面にはどういう意味がありますか?
- 「曲屋」と呼ばれる農家形式です。短い腕に広い土間、長い腕に床上部が入ります。建築調査では、当初は北部九州特有の「くど造り」であったものが、19世紀初頭に現在の形へ縮小改造されたとみられています。
基本情報
| 名称 | 横大路家住宅(よこおおじけじゅうたく) 通称「千年家」 |
|---|---|
| 所在地 | 福岡県糟屋郡新宮町大字上府420番地 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) 指定番号 02022 種別:近世以前/民家 |
| 指定年 | 昭和52年(1977年)1月28日 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 桁行16.0メートル、梁間8.0メートル、東面突出部 桁行10.7メートル・梁間9.1メートル、寄棟造、茅葺、四面庇付、桟瓦葺 |
| 所有者 | 新宮町 |
| 公開状況 | 内部は期間未定で休館中。外観の見学は可能・無料。駐車場6台無料。問い合わせは新宮町立歴史資料館 092-962-5511 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース 横大路家住宅(福岡県粕屋郡新宮町)(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3486
- 文化遺産オンライン 横大路家住宅(福岡県粕屋郡新宮町)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/191323
- 新宮町 横大路家住宅(千年家)の概要
- https://www.town.shingu.fukuoka.jp/soshiki/sangyo_shinko/3/2/1089.html
- 新宮町 横大路家住宅(千年家)臨時休館のお知らせ
- https://www.town.shingu.fukuoka.jp/kanko_bunka/kanko/2/5336.html
最終更新日: 2026.08.26