前方後円墳とは
前方後円墳は、円形の後円部と方形の前方部が結合した、鍵穴形の平面をもつ古墳である。世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の推薦書は、円丘と方丘が結合した鍵穴形の平面で、主たる埋葬施設は後円部に位置すると説明する。前方部は葬送儀礼の重要な場であったとする説が有力で、副次的な埋葬施設が設けられる場合もある。
前方部の形は時代とともに変わる。同じ推薦書によれば、前方部はもともと後円部より低く幅が狭かったが、時代が新しくなるにつれて高く幅広いものへと少しずつ変化していく。大型のものは墳丘を段に築き、くびれ部に造り出しと呼ぶ張り出しを設け、周囲に濠をめぐらす。
古墳の墳形はほかに、前方部の短い帆立貝形墳、円墳、方墳などがある。後ろも方形の前方後方墳は、名は似るが別の墳形である。百舌鳥・古市古墳群には、墳丘長約500メートルの仁徳天皇陵古墳をはじめとする前方後円墳と、帆立貝形墳・円墳・方墳の4種類が集まっている。
記録での書かれ方
史跡の解説は、全長(墳丘長)、後円部の径、前方部の長さと幅、段築や葺石の有無を数字で記すことが多い。山口県下関市の仁馬山古墳は、全長74メートル、後円部径46メートルで後円部を3段に築き、前方部は短小で、その幅は後円部径のほぼ2分の1とされる。前方部が短く幅も狭いのは、推薦書が説明する古い時期の前方部の形に合い、解説も周辺の古墳のなかで最も古い時期のものと推定している。
神奈川県逗子市と葉山町にまたがる長柄桜山古墳群は、2基の大型前方後円墳からなる。1号墳は全長90メートル、後円部径51メートル、2号墳は全長約88メートルで、いずれも4世紀に相前後して築かれたと考えられている。
現地では、墳丘の上より周囲から全体の形を確かめるほうがわかりやすい。後円部の高まりと前方部の向き、両者の境のくびれを見れば、平面が鍵穴形であることがつかめる。記事では、記録にある全長や後円部径を用い、「鍵穴形」「巨大」などの形容だけで規模を伝えないようにする。
参考文献
- 世界遺産推薦書「百舌鳥・古市古墳群―古代日本の墳墓群―」要約(文化遺産オンライン)
- https://bunka.nii.ac.jp/docs/special_content/recommendation/19_mozu_furuichi.pdf
- 文化遺産オンライン(文化庁)仁馬山古墳
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/162258
- 文化遺産オンライン(文化庁)長柄桜山古墳群
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/192582
最終更新: 2026.10.04