安中原市のスギ並木 ― 中山道を見守り続けた巨木に出会う旅

群馬県安中市原市の県道沿いに、ひっそりと、しかし堂々と立ち並ぶ数本の巨大なスギ。これが「安中原市のスギ並木(あんなかはらいちのすぎなみき)」、江戸時代に整備された中山道(なかせんどう)の面影をいまに伝える、国指定天然記念物です。かつては延長一キロメートルを超え、樹数三百二十一本を数えた壮大な並木道は、今でこそ十数本を残すばかりとなりましたが、その一本一本が、四百年余りにわたり旅人や大名行列を見送り続けた「生きた証人」です。本記事では、この稀少な並木の歴史的背景、天然記念物に指定された理由、そして訪れる際のポイントをご紹介いたします。

中山道の面影をいまに伝える並木道

中山道は、江戸幕府が整備した五街道の一つで、江戸日本橋と京都三条大橋を内陸経由で結ぶ主要街道です。全長およそ五三〇キロメートルに六十九の宿場が置かれ、参勤交代の大名行列や旅人、商人、皇女和宮の降嫁行列までもがこの道を往来しました。なかでも上州(現在の群馬県)には、新町・倉賀野・高崎・板鼻・安中・松井田・坂本の七宿が置かれ、江戸から京都へ向かう旅人にとって重要な要衝地帯となっていました。

旅人を日差しや雨雪から守るため、幕府は街道沿いにスギや松を植えるよう命じました。安中宿と原市宿の間に植えられた本並木も、そうした旧街道並木の一つです。同じ江戸時代の街道並木として最も有名なのは栃木県の日光杉並木街道ですが、安中原市のスギ並木もまた、五街道沿いの並木としては有数の規模を誇るものでした。

植樹はいつ行われたのか

並木の植樹年代については、地元に三つの伝承が残されています。一つは慶長九年(一六〇四)説で、徳川幕府が中山道の整備を急いだ時期にあたります。二つ目は元和元年(一六一五)説、三つ目は安中藩主・板倉重形が植えさせたとする説です。どの説が史実に最も近いかは定かではありませんが、いずれも江戸時代初期から前期にかけて、街道整備の一環として植えられたという点では一致しています。

記録によって確実にわかるのは、並木がいかにして減少していったかという経緯です。天保十五年(一八四四)の調査では七三二本を数えましたが、国指定の前年にあたる昭和七年(一九三二)には三二一本にまで減少していました。さらに昭和四十二年(一九六七)には、枯死の進んだ安中部分が指定解除となり、現在は原市部分にわずか十数本を残すのみとなっています。残された一本一本が、その希少性ゆえに、ますます貴重な存在となっているのです。

なぜ国の天然記念物に指定されたのか

安中原市のスギ並木は、昭和八年(一九三三)四月十三日、「史蹟名勝天然紀念物保存法」のもと、国の天然記念物に指定されました。指定の理由は大きく二つあります。

第一は、植物学的・景観的な規模の大きさです。指定当時、並木の延長は一キロメートル余りに及び、樹数は三二一本、最大のものは目通り周囲(胸高の幹周)が約五〜六メートルに達していました。自動車交通や排気ガスの影響がまだなかった時代、これは全国でも有数の連続した街道並木として高く評価されました。

第二は、歴史的・文化的価値です。本並木は、江戸時代の街道制度を今に伝える物的証拠そのものでした。並木の下を歩けば、自動車もアスファルトもなかった時代の旅の感覚が、なお実感できる――そうした歴史的雰囲気を後世に残す意義が認められたのです。指定後、並木は大きく姿を変えてしまいましたが、その縮小という事実こそが、文化財保護の難しさと尊さを語る貴重な教材となっています。

魅力と見どころ

現在、残されたスギは旧中山道の道筋を今に伝える県道沿いに、ぽつりぽつりと立っています。かつての緑のトンネルのような景観こそ失われましたが、ゆっくりと歩けば、いくつもの発見があります。

第一の見どころは、何といってもその「大きさ」です。残された巨木は今なお幹周りが太く、見上げれば樹冠は遥かな高みに広がっています。スギは長命な針葉樹で、何百年にもわたって生き続けることができますが、間近に立つと、その長い時間が一本の木のなかに凝縮されていることを肌で感じられます。

第二の見どころは、地域の人々の記憶のなかでこの並木が占める位置です。群馬県の郷土かるた「上毛かるた」では、「な」の札に「中山道しのぶ安中杉並木」と詠まれています。県内で育った人々にとって、このスギ並木は単なる古木ではなく、子どものころから親しんできた一句のなかに生きる、ふるさとの風景そのものなのです。

第三は、周囲の里山風景との対比です。県道はのどかな田畑や住宅地のあいだを縫うように走っており、そのなかでスギの巨木だけが突然そびえ立つ姿は、まるで旧街道の道筋を示す「生きた道標」のように見えます。

周辺情報

スギ並木をめぐる散策は、安中の中山道遺産を半日〜一日かけて味わうのに最適な起点となります。車で少し移動すれば、安中宿の旧城下町地区があり、復元された武家長屋や旧碓氷郡役所が、宿場町・城下町としての江戸〜明治期の暮らしを伝えています。また、同志社大学の創立者である新島襄が幼少期を過ごした旧宅は「新島襄旧宅」として保存・公開されています。

さらに西へ向かえば、中山道屈指の難所として知られた碓氷峠があります。アプト式鉄道時代の橋梁や隧道を遊歩道「アプトの道」沿いに歩くことができ、なかでも煉瓦造のめがね橋(碓氷第三橋梁)は国の重要文化財に指定されています。そのほか、磯部温泉、妙義山、横川駅の「峠の釜めし」など、安中市周辺には日帰りで楽しめる名所が数多くあります。

訪問のご案内

安中原市のスギ並木は、有料施設ではなく、街道沿いに立つ屋外の文化財です。入場料も営業時間もなく、いつでも自由に観賞することができます。ただし、樹木はすべて県道沿いに立っているため、見学の際は通行車両に十分ご注意ください。樹木に触れたり、刻みつけたり、登ったりする行為は、ご遠慮願います。残されたスギは老木であり、極めて繊細な存在です。

公共交通機関でのアクセスはやや限られています。お車の場合は、上信越自動車道・松井田妙義インターチェンジまたは安中榛名インターチェンジが便利です。JR信越本線安中駅、JR北陸新幹線安中榛名駅からのレンタサイクル利用もおすすめです。春と秋は気候も穏やかで散策に適しており、夏は緑陰の濃さを、冬は澄んだ冷気のなかでくっきりと浮かぶ巨木の姿を楽しめます。

Q&A

Q現在、スギの木は何本残っているのですか。
A原市部分に十数本ほどが残るのみとされています。昭和八年(一九三三)の国指定当時には延長一キロメートル余りにわたって三二一本を数えましたが、その後の樹木の枯死や老朽化、街道沿いの環境変化により、徐々に数を減らしてまいりました。
Q「上毛かるた」にはどのように詠まれているのですか。
A昭和二十二年(一九四七)に作られた群馬県の郷土かるた「上毛かるた」では、「な」の札に「中山道しのぶ安中杉並木」と詠まれています。県内で育った人々にとって、子どものころから親しんできた地域文化の象徴的存在となっています。
Qいつごろ植えられた並木なのですか。
A正確な植樹年代は判明していません。地元には、慶長九年(一六〇四)説、元和元年(一六一五)説、安中藩主・板倉重形が植えさせたとする説の三つの伝承があり、いずれも江戸時代初期から前期にかけての植樹であるとされています。
Q並木のあいだを歩いてもよいのですか。
Aスギ並木は現役の県道沿いに立っていますので、見学の際は通行車両に十分ご注意のうえ、路肩からご覧ください。樹木への接触、登攀、刻みつけなどの行為は、国の天然記念物として禁止されております。
Q現地に案内施設はありますか。
A安中市が並木のかたわらに解説看板を設置しておりますが、常駐スタッフがいるビジターセンターのような施設はございません。詳しい背景情報をお求めの場合は、訪問前に安中市の観光案内窓口や文化財課にお問い合わせいただくと、より深く楽しめます。

基本情報

名称 安中原市のスギ並木(あんなかはらいちのすぎなみき)
指定種別 国指定天然記念物
指定年月日 昭和八年(一九三三)四月十三日
管理団体 群馬県(昭和八年六月十五日指定)
所在地 群馬県安中市原市字一里山(県道一本木平小井戸安中線沿い)
樹種 スギ(杉、Cryptomeria japonica
当初の延長 旧中山道沿い、約一キロメートル余り
指定当時の樹数 三二一本(昭和七年・一九三二)/天保十五年(一八四四)には七三二本
最大幹周 目通り周囲約五〜六メートル
入場料 無料(屋外見学)
お問い合わせ 安中市役所 電話:027-382-1111

参考文献

安中原市のスギ並木|文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/162291
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/536
市内文化財の詳細|安中市ホームページ
https://www.city.annaka.lg.jp/page/2134.html
あんとりっぷ(安中市観光ポータル)
https://www.antrip.jp/view/
安中市|Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/安中市
安中宿|Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/安中宿
中山道上州七宿めぐり散策図|群馬県ホームページ
https://www.pref.gunma.jp/page/18421.html

最終更新日: 2026.05.13