胴の中から灯る人形

間口およそ七メートル、奥行およそ八メートルの掛小屋が建つ。前方には高さ一・四メートルほどの勾欄幕が張られ、その向こうで全長六〇〜九〇センチの人形が動く。人形の胴には、回転式の豆カンテラが仕込まれている。割竹の骨組に西ノ内紙を貼った胴を、その小さな灯が内側から照らす。光は和紙を透かして広がり、人形そのものが発光しているように見える。

これが、群馬県安中市中宿に伝わる糸操燈籠人形である。明かりを宿した人形を糸で操るこの芸能は、昭和五十二年(一九七七年)に国の重要無形民俗文化財に指定された。庶民が暮らしのなかで生み育ててきた芸能や習俗のうち、特に重要なものに与えられる区分である。

諏訪神社の祭りから途絶、そして復活

中宿の燈籠人形の起こりは、明暦二・三年(一六五六・五七年)ごろと伝えられる。地元の諏訪神社の例祭で演じられた芸能で、人形をつくり操ったのは専業の芸人ではなく、土地の農民だった。およそ三世紀にわたって、祭りのたびに掛小屋が建ち、灯がともされ、人形が短い演目を演じてきた。

昭和四年(一九二九年)、上演はいったん途絶える。

人形が再び舞台に戻るまでには、長い空白があった。昭和二十五年(一九五〇年)、地区の民家から人形が見つかる。これをきっかけに地元の人々が動き、昭和二十八年に保存会が結成され、芸能が復活した。その後、昭和四十年にはドイツ・ミュンヘンの人形博物館へ出品され、同四十三年には東京の国立劇場で上演されている。昭和五十二年の国指定は、こうした歩みの上に置かれたものだった。

それでも、伝承の基盤は細いままだった。平成十三年(二〇〇一年)の上演を最後に、掛小屋は二十四年のあいだ建たなかった。令和七年(二〇二五年)十一月、保存会は中宿公民館で本格的な上演を再開する。午後と夕刻の二回の公演に、それぞれ二百五十人ほどの観客が集まった。

なぜ重要無形民俗文化財に指定されたのか

国がこの人形を指定した理由は、大きく二つに分けられる。一つは操法である。糸操りの人形は、ふつう舞台の上方から操る。中宿では、人形につけた糸をいったん小屋の天井の框に通し、そこから下へおろす。操る者は土間に立ち、人形を見上げながら糸を引く。一体の人形につく糸は十数本にのぼり、二〇二五年の上演では一体に十四本の糸を八人で扱う場面もあった。習熟には長い年月がかかる。

もう一つは、この芸能が残しているものの性格である。中宿の人形は、人形芝居が移り変わっていく途中の一つの姿をとどめ、地域ごとの特色をそなえている。こうした民俗芸能は、ある土地の人々が自分たちの手と素材で芸能をつくりあげた過程を、後の世に示すものとされる。

見どころと独特の操法

上演は、口上読みの声で幕を開ける。演目は四つ。

最初は三番叟。日本の芸能で、祝いの幕開けに置かれてきた舞である。続く三番は、いずれも短く、動きの軽い演目だ。馬乗り小僧は、若い小僧が馬の上で芸を見せる曲馬の趣向。俵小僧は、米俵を使った力自慢を見せる。最後の清姫は、安珍清姫の伝説を下敷きにした演目で、人形による綱渡りが組み込まれている。

見どころは、灯と、その不揃いさにある。豆カンテラの光は、和紙に描かれた衣裳をやわらかく、むらのある明るさで照らす。衣裳の彩色には菜種油と蝋を混ぜた絵の具が使われ、光をよく通す。人形の動きは、なめらかなときもあれば、たどたどしいときもある。何人もの手が、何本もの糸を呼吸を合わせて引いた結果である。操り手は土間に隠れて見えない。客席から見えるのは、灯る人形と、五段に仕掛けられて糸で開閉する背景だけだ。

人形を見るには

燈籠人形の上演は、定期的な行事ではない。これは、訪れる人がまず知っておきたい点である。本格的な上演は、平成十三年、そして二十四年の空白をはさんで令和七年と、ごくまれにしか行われてこなかった。実際の舞台を見たい場合は、決まった日に合わせて旅程を組むよりも、安中市の文化財担当課や保存会に今後の公演予定を問い合わせるのが確実である。

上演がない時期でも、人形そのものは見られる。馬乗り小僧と安珍清姫の人形二体が、安中市の「学習の森」内にあるふるさと学習館の二階に展示されている。二〇二五年の上演会場となった中宿公民館(安中市中宿一四五)は、保存会の活動拠点でもある。

安中をめぐる

安中市は群馬県の南西部、旧中山道沿いに位置する。中宿の人形を訪ねるなら、周辺もあわせて歩きたい。よく知られているのは、旧碓氷峠の鉄道施設である。廃線跡を整備した遊歩道「アプトの道」は、煉瓦造りのトンネルや、四連アーチの碓氷第三橋梁(通称めがね橋)のそばを通る。橋は高さ三一メートル、二百万個を超える煉瓦が積まれている。南西には、奇岩で知られる妙義山がそびえ、国の名勝に指定されている。

中宿の近くでは、五料の茶屋本陣が、中山道を行き来した大名らの休憩所だった二軒の建物を今に残す。六世紀初頭の大形前方後円墳である簗瀬二子塚古墳も市内にあり、原市には江戸時代に植えられた中山道の杉並木の一部が残る。市内の磯部は、地図記号の温泉マーク発祥の地として知られる温泉地である。

Q&A

Qいつでも上演を見られますか。
Aいいえ。燈籠人形の上演は、ごくまれにしか行われません。平成十三年と令和七年の本格上演のあいだには、二十四年の間隔がありました。公演の予定は、安中市の文化財担当課などにお問い合わせください。
Qなぜ「燈籠」人形と呼ぶのですか。
A人形の胴の中に、小さな豆カンテラを灯すためです。胴は割竹に西ノ内紙を貼ってつくられ、灯が内側から人形を照らします。燈籠と同じしくみです。
Q中宿の操法は、どこが珍しいのですか。
A糸操りの人形はふつう舞台の上から操りますが、中宿では糸を天井の框に通して下へおろし、土間に立つ操り手が人形を見上げながら操ります。
Qどのくらい古い芸能ですか。
A明暦二・三年(一六五六・五七年)ごろに始まったと伝えられます。地元の諏訪神社の例祭で演じられた芸能でした。
Q上演がないとき、人形を見ることはできますか。
Aできます。馬乗り小僧と安珍清姫の人形二体が、安中市のふるさと学習館(学習の森内)の二階に展示されています。

基本情報

名称安中中宿の燈篭人形(あんなかなかじゅくのとうろうにんぎょう)
所在地群馬県安中市中宿
指定区分重要無形民俗文化財(国指定)
指定年月日昭和五十二年(一九七七年)五月十七日
種別民俗芸能(渡来芸・舞台芸)
保護団体中宿糸繰燈篭人形保存会
起源明暦年間(一六五六〜五七年ごろ)と伝わる
人形の大きさ全長およそ六〇〜九〇センチ
演目三番叟、馬乗り小僧、俵小僧、清姫
人形の展示ふるさと学習館(安中市・学習の森内)二階に二体を展示

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/35
文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/208220
安中市ホームページ「市内文化財の詳細」
https://www.city.annaka.lg.jp/page/2134.html
東京新聞(二〇二五年の本格上演に関する報道)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/449165

最終更新日: 2026.05.22