伊香保観光ホテル — 五重塔風の塔屋を頂く昭和初期の登録有形文化財
群馬県渋川市、榛名山の中腹に広がる伊香保温泉。その玄関口にあたる林の中にひっそりと佇んでいるのが、伊香保観光ホテルです。昭和4年(1929)に外国人向けホテルとして建てられた木造三階建の建築で、屋上に据えられた五重塔風の塔屋がひと目で人の心を惹きつけます。平成10年(1998)9月2日には国の登録有形文化財に登録され、近代日本における国際的なリゾート建築の貴重な遺構として位置づけられています。現在はホテルとしての営業を終えていますが、伊香保温泉の歴史を伝える文化財として、温泉街散策の見どころのひとつに数えられています。
外国人を迎えた国際リゾート時代の証人
伊香保観光ホテルがなぜここに建てられたのかを知るには、まず明治期の伊香保温泉が置かれていた特別な状況を理解する必要があります。明治の初頭から、伊香保は横浜や東京の外国人居留民のあいだで避暑地・湯治場として広く知られていました。ドイツ人医師エルウィン・ベルツをはじめとする医師や外交官、宣教師、商人たちが鉱泉を求めて山を上ってきたのです。その需要に応えるかたちで、明治後期から昭和初期にかけて、伊香保には外国人を主な客とするホテルや別荘が次々と建てられました。
伊香保観光ホテルもその系譜のなかに位置づけられる建築です。昭和4年に竣工し、伊香保温泉の入口にあたる場所に建てられました。第二次世界大戦後には連合国軍に接収され、米軍将校の保養所として利用された時期もあり、建物自体が国際交流の舞台であり続けたという特異な歴史を歩んできました。
登録有形文化財に指定された理由
明治から昭和初期にかけて伊香保には複数の外国人向けホテルが営業していましたが、二十世紀後半までに大半は姿を消しました。伊香保観光ホテルは、当時の外国人向けホテル建築の姿を今に伝える唯一の遺構として残された建物であり、これこそが平成10年(1998)9月2日に国の登録有形文化財として登録された大きな理由です。
建築のあり方そのものも特筆すべきものです。伊香保観光ホテルは日本の木造軸組構法に、長い廊下や大広間、テラスといった西洋ホテルの空間構成を組み合わせた和洋折衷の建築です。なかでも屋上に載る五重塔風の塔屋は、外国人客の目を意識した造形と考えられ、本来は仏教寺院に用いられる形を世俗の宿泊施設に転用したという点で極めて独創的です。これは単なる西洋風ホテルの模倣ではなく、外から訪れる旅人に「日本らしさ」を視覚的に印象づけるための、当時としては実に意欲的な意匠の選択だったといえるでしょう。
建築の見どころ
建物内部は現在公開されていませんが、外観だけでも歴史的建築としての魅力を十分に感じることができます。構造は木造三階建で、一部に鉄筋コンクリート造の地下室を備え、屋根は瓦葺き、複雑な部分には鉄板葺きを併用しています。建築面積は1,874平方メートルにおよび、木造ホテルとしては当時から大規模な建造物でした。
五重塔風の塔屋
建物の象徴ともいえるのが、屋根の上に立つ五重塔風の塔屋です。本体の屋根面からすっと立ち上がり、林冠を抜けて姿を現す塔屋は、稼働当時から最も多く写真に収められてきた要素でした。本来は仏教寺院に用いられる形を宿泊施設に転用するという発想は、訪れる外国人にひと目で「日本」を伝えようとした建主の意図を物語っています。
道路を跨ぐ大食堂
もうひとつの大きな特徴が、正門からの脇道を跨ぐかたちで配置された大食堂です。食堂の床下を一般通路が通る、という極めて遊び心のある構成で、食堂の三方にはテラスが巡らされていました。この時代の和風・洋風いずれのホテルにも類例の少ない平面計画で、敷地を訪れる人にひときわ強い印象を与える存在となっています。
木造の細部と昭和初期の意匠
営業当時の写真には、繊細な意匠の木造螺旋階段、半円アーチの窓、天井の高い大広間といった内装が記録されています。日本の木造建築の技法に、西欧十九世紀後半のホテル建築のボキャブラリーが組み合わされている様子が伝わります。外観からも窓枠やバルコニーの手すり、軒の納まりなど、当時の細やかな仕事の痕跡を読み取ることができます。
見学にあたってのお願い
海外からの旅行者の方には、ぜひ最初にお伝えしたい大切な点があります。伊香保観光ホテルは平成19年(2007)に営業を終え、現在はホテルとして稼働していません。建物は私有地内にあり、内部に立ち入ることはできませんが、敷地前の公道からその外観を眺めることは可能です。文化財として静かに残されている建築ですので、敷地内には入らず、公道から礼を尽くして外観を眺めていただくよう、心よりお願いいたします。観光のあり方としては、伊香保観光ホテルそのものを目的地とするよりも、伊香保温泉を散策する一日のなかでひとつの立ち寄り先として組み込むのがふさわしい場所です。
場所は伊香保温泉バスターミナルから東へ少し下ったあたり、境沢バス停の近くで、入口には今も小さな看板が残っています。バスターミナルから徒歩で5分から10分ほどで到着できる距離にあります。
周辺の見どころ
伊香保観光ホテルの魅力は、それ単体で味わうよりも、伊香保温泉という大きな歴史空間のなかに置いて感じるほうがいっそう深まります。伊香保は草津・水上・四万と並ぶ群馬四大温泉のひとつで、開湯から約400年の歴史を有する関東有数の名湯です。
石段街
伊香保温泉の象徴といえば石段街です。麓から伊香保神社まで続く石段は、現在では「一年365日にぎわうように」との願いを込めて365段に整備されています。両側には土産物屋、温泉まんじゅう屋、足湯、射的場などが並び、レトロな温泉情緒を味わうことができます。石段の側面に刻まれた与謝野晶子の詩や、十二支のプレートを探しながら歩くのもおすすめです。
伊香保神社と源泉地
石段の最上部に鎮座する伊香保神社は温泉と医療の神を祀る延喜式内社で、群馬県内でも格の高い古社です。神社からさらに奥へと進むと、茶褐色の「黄金の湯」の源泉地や、紅葉の名所として知られる朱塗りの太鼓橋・河鹿橋にたどり着きます。
日帰りで楽しめる温泉
宿泊しなくても伊香保の湯は楽しめます。源泉に近い「伊香保露天風呂」や、石段街の中腹にある「石段の湯」では、明治期に外国人の医師たちを引き寄せた鉄分豊かな黄金の湯に気軽に浸かることができます。
Q&A
- 伊香保観光ホテルに宿泊することはできますか。
- いいえ、現在は宿泊することはできません。平成19年(2007)に営業を終え、以降は宿泊施設としての稼働はありません。建物は登録有形文化財として残されていますが一般には公開されておらず、内部に立ち入ることもできません。伊香保温泉には他にも歴史ある旅館や近代的なホテルが多数ありますので、そちらでの滞在をご検討ください。
- 「重要文化財」ではなく「登録有形文化財」となっているのはなぜですか。
- 登録有形文化財制度は平成8年(1996)に創設された制度で、築50年以上を経過し、保存と活用が望まれる近代以降の建物などを比較的緩やかな枠組みで保護することを目的としています。重要文化財ほど厳格な規制はなく、所有者による活用と維持を促す趣旨を持つため、近代建築の多くがこの制度のもとで守られています。
- 東京から伊香保温泉へはどのように行きますか。
- 最も一般的な経路は、東京駅から上越新幹線で高崎駅に向かい、JR上越線で渋川駅へ、そこから関越交通バスに乗り換えて伊香保温泉まで25〜30分ほどの行程です。新宿高速バスターミナルからの直行高速バスも、繁忙期には1日数便運行されています。
- 訪れるのにおすすめの季節はありますか。
- 伊香保は通年楽しめる温泉地ですが、特におすすめなのは秋と春先です。10月中旬から11月中旬にかけては河鹿橋周辺をはじめ、伊香保観光ホテルを取り囲む雑木林も鮮やかな紅葉に彩られます。新緑の頃は気候が穏やかで散策に向いています。冬には雪化粧した塔屋が静かな佇まいを見せ、季節ごとに異なる表情を楽しめます。
- 建物を撮影することはできますか。
- 敷地外の公道からの撮影は基本的に問題ありません。建物の佇まいを記憶に残したい方は、公道側から外観を撮影する程度に留めていただくようお願いいたします。柵を越えての立ち入りや、敷地内での撮影、内部への侵入はご遠慮ください。文化財として静かに見守ることが、この建物を未来へ残していくうえで何より大切です。
基本情報
| 名称 | 伊香保観光ホテル(いかほかんこうほてる) |
|---|---|
| 所在地 | 群馬県渋川市伊香保町伊香保字甲境沢550-1 |
| 文化財種別 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 平成10年(1998)9月2日 |
| 建設年 | 昭和4年(1929) |
| 構造 | 木造三階建、一部鉄筋コンクリート造地下室付き、瓦葺一部鉄板葺 |
| 建築面積 | 1,874平方メートル(1棟) |
| 特徴 | 五重塔風の塔屋、正門の脇道を跨ぐ大食堂、三方に巡らされたテラス |
| 現在の状況 | 平成19年(2007)にホテルとしての営業を終了。内部非公開。敷地外の公道からのみ外観を見学可能 |
| アクセス | 伊香保温泉バスターミナルから徒歩約5〜10分、境沢バス停近く |
参考文献
- 伊香保観光ホテル|文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/147365
- 旧伊香保町地区の指定文化財|渋川市観光情報
- http://www.city.shibukawa.lg.jp/kankou-site/kankou/000373/000375/p000287.html
- 渋川市の指定文化財(旧伊香保町地区)|渋川市公式ホームページ
- https://www.city.shibukawa.lg.jp/kankou/midokoro/history/shiteibunkazai/p000286.html
- 伊香保の石段|渋川伊香保温泉観光協会
- https://www.ikaho-kankou.com/aboutikaho/ishidan/
- 伊香保|渋川伊香保温泉観光協会
- https://www.ikaho-kankou.com/sightseeing/ikaho/
最終更新日: 2026.04.29