利根川の北岸に続く真言宗の古刹
光恩寺は、群馬県邑楽郡千代田町赤岩にある真言宗の寺院で、寺伝では弘仁5年(814年)に弘法大師が密教の道場として再興したとされ、境内の長屋門・庫裏・客殿・石蔵の4棟が平成11年(1999年)に国の登録有形文化財となった。山号は赤岩山、院号は地蔵院。利根川の北岸にあり、川向こうは埼玉県である。
寺の縁起はさらに古い時代から語られる。寺伝によれば、雄略天皇が勅して全国に建てさせた9か寺の一つに数えられ、推古天皇33年(625年)には高句麗から大和朝廷に遣わされた僧恵灌が、この地の豪族に招かれて寺を開いたという。弘法大師の再興を大同元年(806年)とする説もある。いずれも寺の伝えであり、他の史料で確かめられた年代ではない。
中世以降の歩みも、寺の記録によれば焼失と再建の繰り返しである。元亨元年(1321年)に後醍醐天皇が兵火で失われた堂宇を再建させ、「赤岩山光恩寺」の称号を与えたと伝える。永享12年(1440年)の結城合戦で伽藍は焼け、慶安元年(1648年)には徳川家光から16石8斗余の寺領を認められた。
江戸時代後期からは火災が続いた。文政13年(1830年)の落雷で本堂・庫裏・疱瘡神堂・仁王門を失い、天保14年(1843年)に本堂を上棟、文久2年(1862年)に造作を終えたものの、慶応2年(1866年)にふたたび堂宇を焼いた。いまの本堂は明治16年(1883年)の造営である。
登録された4棟のうち長屋門と庫裏は、この明治の復興期に外から運ばれてきた建物である。寺の奥向きの一部が、よその家を移して組み立てられている。光恩寺の建物群を見るうえで、まず押さえておきたい点である。
4棟がそろって登録された理由
4棟はいずれも平成11年(1999年)2月17日付の登録で、登録番号は10-0035から10-0038まで続いている。長屋門は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、庫裏・客殿・石蔵の3棟は「造形の規範となっているもの」という基準によった。
建てられた時代も来歴もそろっていない。長屋門は江戸時代末期に利根川対岸の俵瀬(現在の埼玉県熊谷市)で名主荻野家の門として建ち、明治20年(1887年)ごろに移された。日本で初めて公許の女性医師となった荻野吟子の生家の門である。庫裏も江戸時代末期の豪農の主屋を移したもので、文化庁の解説は館林から移築したと記す。客殿は明治時代後期、石蔵は昭和8年(1933年)ごろの建築とされる。
4棟を結びつけているのは役割である。長屋門は庫裏へ通じる通用門を務め、庫裏の北東端に客殿がつながり、客殿の東の妻面に石蔵が接する。文化庁は庫裏・客殿・石蔵を寺の奥向きを構成する主要素と位置づけている。火災で建物を失った寺が、檀家の手を借りて生活の場を組み立て直した経過が、この配置にそのまま残っている。
移築の年代は資料によって食い違う。文化庁のデータベースは長屋門の移築を明治20年(1887年)ごろ、庫裏の移築を明治20年代(1887〜1896年)とし、客殿については移築に触れていない。寺の公式サイトは、明治16年(1883年)の本堂造営と同じころに客殿と長屋門を移築したとし、庫裏は慶応2年(1866年)の火災のあと、館林藩家老の岡谷繁実の勧めで豪農の荒川弥五左衛門弘文が自宅を寄進したものと伝える(典拠は『舘林叢談』)。どちらが正しいかは現時点で確かめられていないため、ここでは両方を記しておく。
境内の歩き方
山門をくぐると正面に本堂が建つ。山門を入ってすぐ左手の吹き放しの堂には、文永8年(1271年)の地蔵菩薩画像板碑が祀られ、「爪引き地蔵」の名で親しまれている。本堂の天井には、金剛界と胎蔵界の竜王を描いた70畳に及ぶ天井画がある。
境内には堂山古墳もある。寺の説明では墳丘全長90メートルの前方後円墳で、7世紀初頭の築造と考えられている。その上に鐘楼が建ち、元禄16年(1703年)に鋳られた梵鐘を吊る。墳丘の上には館林城を築いた赤井照光の五輪塔が立つ。照光は天文14年(1545年)に没し、遺言によってここに葬られたと伝わる。
登録された4棟は境内の一角にまとまっている。長屋門を入ると庫裏の大きな妻が目に入り、突き当たりに客殿、その東に石蔵が続く。いずれも寺の暮らしと接客のための建物で、展示施設ではない。見学は外観が中心になる。
寺はほかにも文化財を伝えている。国指定の銅五種鈴は鎌倉時代と推定される密教法具で、宝珠鈴・宝塔鈴・五鈷鈴・三鈷鈴・独鈷鈴の5種がそろう。平成19年(2007年)の指定で、現在は公開されていない。阿弥陀堂の阿弥陀三尊像と先の地蔵菩薩画像板碑は昭和52年(1977年)に群馬県の指定を、梵鐘は昭和63年(1988年)に千代田町の指定を受けた。阿弥陀堂は昭和53年(1978年)の再建である。
年中行事
本尊の不動明王は秘仏で、正月と春秋の大祭に開帳される。3月28日の春季不動尊大祭では、午前11時から本堂で大般若転読法会が営まれ、午後1時30分から柴燈大護摩供と火渡りが行われる。行者が渡ったあと、火を抑えてから一般の参拝者も渡ることができる。秋季不動尊大祭は10月28日である。
5月1日には阿弥陀三尊会がある。8月18日には利根川で水難者を供養する川施餓鬼が営まれ、灯籠が流される。明治10年(1877年)に赤岩の豆腐店で働いていた男性が川で亡くなり、店の主人が光恩寺の住職と相談して供養したのが始まりとされ、令和4年(2022年)に千代田町の民俗文化財に指定された。現在の主催は地元の実施委員会である。
拝観とアクセス
拝観時間は午前9時から午後4時30分まで。境内の拝観料について寺の案内に記載はない。本堂など堂内の見学を希望する場合は、事前に電話(0276-86-2157)で申し込む。撮影の決まりは公式サイトに示されていないので、堂内や法要中に撮る場合は寺に確かめたい。
鉄道の駅からはタクシーを使うことになる。東武伊勢崎線の館林駅からタクシーで約20分、JR高崎線の吹上駅から約25分。車では東北自動車道の館林インターチェンジから約30分、関越自動車道の東松山インターチェンジから約40分で、境内に隣接して駐車場がある。寺の案内する住所は群馬県邑楽郡千代田町大字赤岩1041で、文化庁の登録上は大字赤岩甲1041と記されている。
長屋門がもと建っていた俵瀬は、利根川をはさんだ対岸の埼玉県側にあたる。
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)|光恩寺長屋門
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001036
- 国指定文化財等データベース(文化庁)|光恩寺庫裏
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001037
- 国指定文化財等データベース(文化庁)|光恩寺客殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001038
- 国指定文化財等データベース(文化庁)|光恩寺石蔵
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001039
- 赤岩山 光恩寺 公式ホームページ|由緒
- https://www.akaiwasan-kouonji.or.jp/
- 赤岩山 光恩寺 公式ホームページ|文化財・寺宝
- https://www.akaiwasan-kouonji.or.jp/treasure.html
- 赤岩山 光恩寺 公式ホームページ|年中行事
- https://www.akaiwasan-kouonji.or.jp/event.html
- 赤岩山 光恩寺 公式ホームページ|ご参拝・アクセス
- https://www.akaiwasan-kouonji.or.jp/access.html
- 千代田町|千代田町の文化財
- https://www.town.chiyoda.gunma.jp/kyoiku/syogai/syogai003.html
最終更新日: 2026.09.25
基本情報
| 名称 | 光恩寺 |
|---|---|
| 所在地 | 群馬県邑楽郡千代田町大字赤岩甲1041 |
| 所有者 | 光恩寺 |
| 指定 | 登録有形文化財 4件 |
| 座標 | 36.20816, 139.43968 |