延暦20年の年紀をもつ石塔
群馬県桐生市新里町、赤城山の南麓に広がる舌状台地の上に、ガラス張りの覆屋に収められた小さな石塔がある。高さは1.85メートル、材は多孔質の輝石安山岩。礎石の上に一石から彫り出した三層の塔身が垂直に立ち上がり、その上に屋蓋と相輪をのせる。四つの面には45の文字と一つの日付が刻まれている。延暦20年(801年)7月17日である。
国の文化財としての正式名称は「塔婆 石造三重塔」。通称は所在地名にちなんで山上多重塔と呼ばれる。銘文には、この塔を造立した僧・道輪の名と、その目的が記されている。如法経、すなわち書写した法華経を納め、その功徳を朝廷、天つ神と国つ神、父母、そして一切の生きとし生けるものに捧げるためであった。
つまりこの塔は墓標でも寺院の中心塔でもなく、祈りを込めた供養塔である。延暦20年は平安京遷都(794年)からわずか数年後にあたり、最澄が比叡山で天台の教えを広めはじめた時期とも重なる。東国の一角に、これほど早い年紀を明確に刻んだ石塔が残る例は少ない。
重要文化財としての価値
この塔の価値は、二つの事実に支えられている。一つは年代である。明確な年紀をもつ層塔のうち、これより古いのは奈良県明日香村の竜福寺層塔(天平勝宝3年・751年銘)だけで、山上多重塔はそれに次ぐ。もう一つは形である。経を納めるために造られた石塔としては同時代に並ぶものがなく、研究者はこれを現存最古の石製経塔とみている。
史料としての重みも大きい。8世紀から9世紀の東国の仏教について、確かな文字記録は乏しい。年紀をもち、造立の目的を造立者自身の言葉で記した遺物は、後世の編纂物よりもはるかに雄弁である。道輪の名は、ほかの史料には見えない。銘文中の「小師」という肩書きは解釈が分かれており、地方の僧官を指すとも、自らをへりくだった呼び方とも読める。鑑真の弟子・道忠の一門が上野・下野で活動していたことから、道輪をその系譜に連なる僧とみる説もある。
塔が文献に初めて載ったのは昭和4年(1929年)、前年に銘文が確認された後のことである。発見は明治から昭和初期にかけて、台地の雑木林を開墾した際の偶然によるものとされ、正確な地点はわかっていない。評価は早く、昭和18年(1943年)6月9日に旧国宝へ、昭和25年(1950年)8月29日には文化財保護法の施行にともない重要文化財に指定された。
見どころ
訪れる目的は、やはり銘文である。45文字は三層の四面に分かれ、上層の南面から右回りに、上層・中層・下層へと下りながら読み進める。上層と下層は一面に四字、中層は三字。順に追うと、経を納めること、功徳を捧げる相手、道輪の名と日付、そして無間地獄の苦しみを受ける者が永く安楽を得て彼岸に至るようにとの願いが、過不足なく並ぶ。
文字とあわせて、色にも目を向けたい。三層の塔身にはかつて朱が塗られ、その痕跡が今も残る。基壇・基礎・笠石には墨が塗られており、これは朱を引き立てるための意図的な対比だったとみられる。中層と上層は裾がわずかに開き、「八」の字に似た形をなす。塔身の上部には円形のくぼみが穿たれ、ここに巻いた経が納められたと考えられている。
立地も見どころのうちである。台地は赤城山の南麓にあたり、晴れた日には裾野を長く引いた山容が北に大きく広がる。所在地の小字「相ケ窪」は、古くは「僧ケ窪」だったとする見方があり、近くには護摩堂・釈迦堂といった地名も残る。寺院の遺構は確認されていないが、こうした地名の集まりは、この静かな農地がかつて地方の信仰の場であった可能性をうかがわせる。
周辺の見どころ
新里地区には、古代の仏教にかかわる遺跡が、車で行ける範囲にいくつか点在する。国指定史跡の武井廃寺塔跡は、長く寺院跡と考えられてきたが、昭和44年の発掘で八角形の石積み基壇が見つかり、現在は奈良時代の火葬墳墓とする見方が有力である。多重塔とあわせて見ると、8〜9世紀のこの一帯の活発さがうかがえる。同じ台地には県指定史跡の山上城跡があり、いまは公園として整備されている。
子ども連れなら、近くの「ぐんま昆虫の森」を組み合わせる人も多い。新里町関の磨崖仏は、集塊岩に三尊像を彫り込んだ県指定の文化財である。織物の町として知られる桐生の中心市街は東へ進んだ先にあり、保存された町並みとあわせて一日の行程を組みやすい。
Q&A
- 塔を間近で見られますか。
- 塔は覆屋の中に安置されており、内部に立ち入ることはできませんが、覆屋の外から常時見学できます。門や決まった開館時間はなく、見学は無料です。
- アクセス方法を教えてください。
- 上毛電鉄の新里駅から北西へ約3.9キロメートル、徒歩で40分ほどです。多くの人は車で訪れます。現地には駐車場が用意されています。
- 現地に説明はありますか。
- 現地の案内板は日本語で、銘文の翻刻と読み下しが掲げられています。銘文がいちばんの見どころなので、事前に内容を知っておくと理解が深まります。
- 本当にそれほど古いのですか。年代は信頼できますか。
- 延暦20年(801年)という年紀は石そのものに刻まれており、これが信頼の根拠です。年紀をもつ層塔としては国内で二番目に古く、石製経塔としてはおそらく最古とされています。
- トイレなどの設備はありますか。
- 現地にはトイレと駐車場があります。トイレは冬期、凍結のため利用できません。売店はないため、特に寒い時期は必要なものを持参してください。
基本情報
| 名称 | 塔婆 石造三重塔(通称・山上多重塔) |
|---|---|
| 指定区分 | 重要文化財(石造物)。昭和18年(1943年)6月9日に旧国宝、昭和25年(1950年)8月29日に重要文化財へ指定 |
| 年代 | 延暦20年(801年)7月17日 |
| 構造・寸法 | 輝石安山岩製。高さ1.85メートル、下層の幅48センチメートル |
| 構成 | 相輪・屋蓋・塔身・礎石の四石。三層の塔身は一石彫成で、塔身に45文字を刻む |
| 所在地 | 群馬県桐生市新里町山上2555 |
| 所有者 | 桐生市 |
| アクセス | 上毛電鉄・新里駅から北西へ約3.9キロメートル(徒歩約40分)。駐車場あり |
| 公開状況 | 覆屋内に安置。覆屋の外から常時見学可能(無料) |
参考文献
- 桐生市「塔婆 石造三重塔」
- https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/bunkazai/1010700/kunishitei/1001986.html
- 桐生市「山上の多重塔(国指定重要文化財)」
- https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/spot/niisato/1001846.html
- 文化庁「国指定文化財等データベース」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/416
- 桐生市「武井廃寺塔跡」
- https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/bunkazai/1010700/kunishitei/1001987.html
- ウィキペディア「山上多重塔」
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E5%A4%9A%E9%87%8D%E5%A1%94
最終更新日: 2026.06.03