わが国初のトンネル規格に倣う、直線状の煉瓦隧道

群馬県桐生市黒保根町、わたらせ渓谷線の単線が延長82メートルにわたって岩盤を直線状に貫く。わたらせ渓谷鐵道城下トンネルである。渓谷の上流側に見られる湾曲した隧道とは異なり、この城下トンネルはまっすぐで、列車が進入した瞬間に反対側の坑口が小さな明るいアーチとして見通せる。断面は馬蹄形、覆工は煉瓦4枚厚で、山肌が軌道に迫る区間に用いられる重厚な断面をとる。

この隧道に歴史的な重みを与えるのは、その断面形状である。断面は、官設鉄道が定めた「鉄作乙第4375号型」、すなわちわが国で最初に定められたトンネル規格の断面にほぼ倣う。規格が整う以前、トンネルは一基ごとに個別に設計されていた。城下トンネルは、日本が鉄道建設に反復可能な設計の型を採り入れていく初期の実例にあたる。南坑門は、日本の職人が「フランス積」と呼ぶ積み方に近い布積で築かれ、各段で煉瓦の長手と小口を交互に見せて、壁面を密で規則的な模様に仕上げている。

鉱石輸送の路線から登録文化財へ

トンネルの開通は大正元年(1912年)。私鉄の足尾鉄道が、足尾銅山へ達するため渡良瀬渓谷を遡って路線を延ばした時期にあたる。アジア有数の規模を誇った足尾銅山は、渡良瀬川流域の農地を損なった足尾鉱毒事件という初期の産業公害を引き起こした場所でもある。鉄道は大正7年(1918年)に国有化されて国鉄足尾線となり、閉山から16年後の平成元年(1989年)に第三セクターのわたらせ渓谷鐵道へ引き継がれた。

城下トンネルは平成21年(2009年)11月2日に登録有形文化財となり、告示は同月19日。路線に沿う約37件の構造物が一括登録された際の一基である。登録有形文化財は、指定文化財より緩やかな保護の枠組みで、おおむね建設後50年を経た建造物を、使用を続けながら守る制度だ。登録の根拠は、この隧道が「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である点に置かれる。その景観とは、今も走り続ける山あいの鉱山鉄道の景観である。

見どころと、名称についての注意

城下トンネルと城下橋梁は名を同じくし、近接して位置する。橋梁は約40メートル南西、川口川を渡る地点にある。いずれも黒保根町の短く樹木の深い一区間に属する。トンネルは、同じく大正元年の構造物である江戸川橋梁から約1800メートル南西にあたり、渓谷を辿る乗客は数分の乗車のうちに同時代の構造物を順に通り過ぎる。

現役の軌道を通すため、トンネルを歩いたり立ち入ったりはできない。見るなら列車からで、進入前に車両が減速する瞬間に煉瓦の坑門をよく味わえる。暖候期に走る窓のないトロッコ列車では、この区間の隧道や橋梁をひときわ生き生きと感じられる。日本の初期鉄道技術に関心のある人には、ここの直線状の城下トンネルと、上流側で緩く湾曲する神土の隧道とを見比べることをすすめたい。同じ谷を縫うという課題に対する、二つの解が浮かび上がる。

Q&A

Qこのトンネルの設計で特筆すべき点は。
A断面が、わが国最初のトンネル規格「鉄作乙第4375号型」にほぼ倣っており、規格化された鉄道技術の初期の実例である点です。
Q城下橋梁と同じものですか。
A別のものです。名を同じくして近接しますが、一方は隧道、もう一方は川口川に架かる鋼橋で、約40メートル離れています。ともに大正元年の竣工です。
Q煉瓦はどのように積まれていますか。
A馬蹄形断面の覆工が煉瓦4枚厚で、南坑門は長手と小口を交互に見せる、フランス積に近い布積で築かれています。
Qトンネル自体を訪ねられますか。
Aできません。現役の鉄道施設で、歩行者は立ち入れません。わたらせ渓谷線の列車から見学できます。

基本情報

名称わたらせ渓谷鐵道城下トンネル
所在地群馬県桐生市黒保根町宿廻
指定区分登録有形文化財(登録 平成21年11月2日/告示 平成21年11月19日)
登録番号10-0294
員数1基
年代大正元年(1912年)
構造及び形式煉瓦造及び石造、延長82メートル、擁壁付
公開状況わたらせ渓谷線の車窓から見学可。トンネル自体は非公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — わたらせ渓谷鐵道城下トンネル
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007867
わたらせ渓谷鐵道株式会社 — 沿革・歴史
https://www.watetsu.com/company/history.php
わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線

最終更新日: 2026.07.02