飛弾家住宅離れ:みかんの富が建てた大正十三年の数寄屋座敷
大長の飛弾家、主屋の西南に建つのが離れである。屋敷内の登録五棟のうち最も新しく、そして最も仕立てが細かい。建立は大正十三年(一九二四)、大正末の年にあたる。日々の労働を映す江戸後期の主屋に対し、離れは家が接客と休息のために設けた棟で、東を向いた木造二階建として建つ。
一階は二階よりひとまわり大きく、下階が広い基部となって上階をその内側に納める。周囲には庇を廻し、東面には入母屋造の玄関を張り出す。屋根は桟瓦で葺く。一見して、周囲の建物とは意図の異なる棟であることがわかる。
登録の理由と価値
離れが国の登録有形文化財に加わったのは平成十五年(二〇〇三)三月十八日、告示は同年四月八日、第三十六回登録による。登録番号は34-0038。屋敷の他の建物と同じく「造形の規範となっているもの」として評価された。ここでの型は洗練された座敷棟であり、登録を支えた質は細部に集まる。
要は玄関にある。柱は通常の礎石ではなく、狛犬風に彫った石製の礎盤で受ける。軒には丸垂木を用い、要所に数寄屋風の細部を配する。茶室の語彙を住宅に持ち込んだ意匠である。呉市の記録は、この離れを豪華な意匠を凝らした二階建として特筆する。一九二〇年代までにみかん交易が支え得たものの、建築による記録といえる。
見どころ
東から近づくと、まず玄関が目に入る。柱の足もとに視線を落とせば、狛犬風の礎盤が小さくも意図的な見せ場となる。客に気づかせたい家が誂える種類の細部である。その上、丸垂木が軒に、角材の農家より柔らかな線を与える。
一歩下がって、離れを主屋と並べて読みたい。建立年こそ一世紀ほどしか隔たらないが、気配は大きく異なる。一方は町場の格式をまとった農家、他方は茶人の抑制をまとった座敷である。二棟を併せて見ることが、飛弾家が江戸後期から大正末までに歩んだ距離を、最も確かに感じさせる。
Q&A
- 離れはいつ建てられたのですか。
- 大正十三年(一九二四)の建立です。屋敷内の登録五棟では最も新しく、主屋より百年ほど後の建物にあたります。
- 数寄屋風とはどういう意味ですか。
- 茶室の影響を受けた洗練された建て方で、抑えた表現と自然素材への配慮を特徴とします。離れでは全体ではなく要所の細部に現れ、労働の家に座敷らしい気配を与えています。
- 玄関の柱を狛犬風の礎盤で受けるのはなぜですか。
- 狛犬をかたどった石製礎盤は玄関の装飾的な選択で、本来は社寺の参道に見る意匠を借りたものです。訪れる客を意識した、見せる玄関であることを示します。
- 離れは見学できますか。
- できません。飛弾家住宅は個人の住宅で一般公開はされておらず、外観のみ道から見られます。同種の島の建築の内部を見たい場合は、近くの御手洗地区が公開されています。
- 他の建物とはどう関わりますか。
- 離れは主屋の西南に建ち、蔵・蔵門・観音堂とともに屋敷を構成します。五棟は江戸後期の農家から大正期の屋敷へと至る一家の歩みを示します。
基本情報
| 名称 | 飛弾家住宅離れ(ひだけじゅうたくはなれ) |
|---|---|
| 所在地 | 広島県呉市豊町大長5368 |
| 区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録 | 平成15年(2003)3月18日登録/同年4月8日告示、登録番号34-0038 |
| 時代 | 大正13年(1924) |
| 員数・規模 | 1棟、木造2階建・瓦葺、建築面積約148平方メートル |
| 公開 | 個人住宅につき非公開(外観は周囲の道から見学可) |
参考文献
- 文化庁 ― 国指定文化財等データベース「飛弾家住宅離れ」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00003308
- 呉市 ― 呉市の文化財「飛弾家住宅離れ」
- https://www.city.kure.lg.jp/site/bunkazai/kunitouyubun-11.html
- 呉市 ― 呉市の文化財(一覧)
- https://www.city.kure.lg.jp/site/bunkazai/
最終更新日: 2026.07.11