飛弾家住宅主屋:みかんの島に残る江戸後期の屋敷の起点

瀬戸内海の大崎下島、呉市豊町大長(おおちょ)。早生温州みかんの産地として知られるこの一帯で、不整形の屋敷地の北側に据わるのが飛弾家住宅の主屋である。敷地内に登録された五棟のうち最も古く、のちに蔵や離れ、蔵門、観音堂が加わっていく屋敷構えの起点にあたる。

建立は、文化九年(一八一二)に没したと伝わる当家三代目の手によるとされる。時代は江戸後期、西暦でいえば一七五一年から一八二九年の幅に収まる。構造は木造のつし二階建で、屋根裏に低い二階を納める。棟は東西に通り、切妻造の屋根の下、長辺側から入る平入とする。南・北・西の三方には下屋を廻し、屋根はすべて本瓦で葺く。

登録の理由と価値

主屋が国の登録有形文化財となったのは平成十五年(二〇〇三)三月十八日、告示は同年四月八日、第三十六回登録による。登録番号は34-0037。登録基準は「造形の規範となっているもの」で、その型式をよく残す建築に与えられる評価にあたる。

評価の核は、農家建築としては丁寧に過ぎるほどの仕事にある。軒廻りの漆喰塗込は端正で、下屋は登り梁風の差し掛け梁で受ける。いずれも本来は町屋の手法に近い。呉市の文化財解説は、この主屋を町屋の様式を取り入れた江戸後期の農家建築と位置づける。みかんの斜面を耕す一家が、町場の格式をもって家を建てた。そこに意味がある。

見どころ

屋敷地の北縁に立つと、主屋は背の低い横広がりの建物として目に入る。三方に葺き降ろした本瓦の下屋が段をなし、つし二階の壁が地上階の軒の上に浅い帯となって漆喰を白く見せる。

この主屋を軸に、屋敷は世代を追って建て継がれた群として読める。中庭を挟んだ南に蔵、西南に離れが建ち、東辺の道沿いには蔵門と小さな観音堂が並ぶ。まず主屋を見てから群を歩けば、江戸後期の農家から大正期の屋敷へと家が伸びていった経過が、建物の形そのものからたどれる。

Q&A

Q主屋はいつ建てられたのですか。
A江戸後期、一七五一年から一八二九年の幅に入ります。文化九年(一八一二)に没した三代目が建てたと伝わり、屋敷内の登録五棟では最も古い建物です。
Qつし二階とは何ですか。
A屋根裏に設けた低い二階で、居室というより収納や軽作業に用いる階層です。文化庁データベースの構造欄は「木造平屋建」と記しますが、解説文と呉市の記録は「つし二階建」とします。低い二階を平屋と数えるかどうかの違いです。
Q内部は見学できますか。
A飛弾家住宅は個人の住宅で、一般公開はされていません。外観は周囲の道から見られます。同じ島で歴史的建築の内部に触れたい場合は、近くの御手洗地区の町並みが公開されています。
Qなぜ農家が町屋の手法を用いたのですか。
A大長の家々はみかんの生産と瀬戸内の海運で富を蓄えました。端正な軒漆喰や登り梁風の差し掛け梁は、農家が町場の水準で建てたことを示し、近隣の港町との交流をうかがわせます。
Q大長へはどう行きますか。
A大崎下島はとびしま海道の橋で本土とつながり、路線バスも通います。瀬戸内産交バスの団地センター停留所から、屋敷まで徒歩約七分です。

基本情報

名称飛弾家住宅主屋(ひだけじゅうたくしゅおく)
所在地広島県呉市豊町大長5368
区分登録有形文化財(建造物)
登録平成15年(2003)3月18日登録/同年4月8日告示、登録番号34-0037
時代江戸後期(1751~1829)
員数・規模1棟、木造・瓦葺、建築面積約144平方メートル
公開個人住宅につき非公開(外観は周囲の道から見学可)

参考文献

文化庁 ― 国指定文化財等データベース「飛弾家住宅主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00003307
呉市 ― 呉市の文化財「飛弾家住宅主屋」
https://www.city.kure.lg.jp/site/bunkazai/kunitouyubun-7.html
文化遺産オンライン ― 飛弾家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/116387

最終更新日: 2026.07.11