陣山墳墓群——三次盆地が生んだ、四隅突出型墳丘墓の出発点
広島県三次市の北、馬洗川を見下ろす丘陵の尾根に、五基の小さな墳丘が南北に並んで遺されている。一見すれば、土に覆われた緩やかな高まりにすぎない。しかしこの陣山墳墓群こそ、後に山陰から北陸まで広がる弥生時代の特異な墓制——四隅突出型墳丘墓——の、現在知られているもっとも古い実例である。
所在は三次市四拾貫町陣山および向江田町日野目。標高298mの陣山西麓に張り出した低い丘陵尾根の頂部から東斜面にかけて五基の墓が築かれている。1~5号墓の南北延長は約40m、東西幅はわずか8mほど。決して大規模な墓域ではないが、市道改良に伴う発掘調査(昭和五十年代)でその全容が把握され、四隅突出型墳丘墓発生期の標式遺跡として平成12年(2000年)12月20日に国の史跡(告示第194号)に指定された。
「四隅が突き出す」墓のかたち
四隅突出型墳丘墓とは、方形の墳丘の四隅を舌状に長く突き出させた、独特の平面形をもつ墓である。中国山地から日本海沿岸にかけての地域で、弥生時代中期後葉から古墳出現直前(おおむね紀元前後から3世紀中頃)まで、首長層の墓として築かれた。中国地方の例では墳丘斜面に河原石を貼り(貼石)、裾には石列を巡らせる。北陸の例には石材は使われない。これまで全国で約110基が確認されているが、その分布の起点が三次盆地である。
陣山墳墓群が考古学上きわめて重視されるのは、五基それぞれが「まだ定型化していない」点にある。貼石の手法、四隅の突出の程度、墳丘の規模、埋葬施設のあり方——いずれも墓ごとに異なっている。明瞭な突出部をもつ3号墓に対し、他の墓は突出が控えめなものもある。築造者たちは確立した規格に従ったのではなく、墓の形そのものを試行錯誤しながら造りあげていたと考えられる。
五基の配置と築造の順序
墓域は二つに分かれる。最初に造られたのは1号墓で、独自の主軸をもち、後に造られた2号墓の盛り土の下に取り込まれる位置にある。一方、2~5号墓は同一区画内に直線状に配列され、明らかな企画性をもって築かれている。1号墓と2~5号墓の主軸の食い違いは、世代交代あるいは集団内の方針転換を反映している可能性が指摘されている。
五基すべてからこの地域の弥生時代中期後葉の指標土器である塩町(しおまち)式土器が出土したことから、墓群はきわめて短期間のうちに築かれたと推定される。一つの小さな丘陵尾根に集中して残された五代分の首長墓——三次盆地に芽生えた地域社会の階層構造の物証である。
四隅突出型墳丘墓はこの後、伯耆・因幡(鳥取県)へ、そして弥生後期後葉には出雲(島根県東部)で大型化し、最終的には日本海を伝って北陸地方へ広がっていく。陣山の五基は、その長い系譜の出発点にあたる。
訪ねるなら
墓群は静かな農地と山林に挟まれた尾根上にあり、JR芸備線三次駅から車でおよそ11分の距離。現地に案内板が設置されており、五基の位置関係や築造順を確認することができる。施設・売店等はなく、見学は短時間で終わる素朴な史跡である。
ただ、墓の現状の高まりだけを眺めてもその意義は伝わりにくい。事前または事後に、南東方向のみよし風土記の丘ミュージアム(広島県立歴史民俗資料館)に立ち寄ることを強く勧めたい。常設展示には三次盆地の弥生時代を概観する考古資料が並び、塩町式土器や、四隅突出型墳丘墓を二基組み合わせたような特異な形をもつ国指定史跡・矢谷古墳の出土品(重要文化財)も見ることができる。開館は9時から17時(入館は16時30分まで)、月曜および年末年始は休館。
三次盆地は中国地方屈指の古墳密集地で、陣山墳墓群の周辺にも国指定史跡が点在する。すぐ近くには176基からなる浄楽寺・七ツ塚古墳群、寺町廃寺跡、花園遺跡などがあり、弥生から古代までを通観する半日コースが組める。
Q&A
- 陣山墳墓群が「四隅突出型墳丘墓の発祥地」と呼ばれるのはなぜですか。
- 出土した塩町式土器によって、墓群が弥生時代中期後葉(およそ1世紀)に位置づけられること、そして五基がいずれも貼石や突出部の手法を統一せず墓ごとに違いを見せること——この二点が大きな理由です。築造の細部がまだ「定型化」していない初源的な姿が、四隅突出型墳丘墓という墓制が生まれていく過程そのものを示しているとされます。
- 現地で墳丘の四隅突出は見て分かりますか。
- 明瞭な突出部をもつ3号墓を除けば、地表面からヒトデ形の輪郭を読み取るのはやや難しいと言えます。墓群そのものは保存されていますが、現状は低い草付きの高まりとして見える程度です。先にみよし風土記の丘ミュージアムで遺構図や出土品を確認しておくと、現地で見るべきポイントがつかみやすくなります。
- 塩町式土器とは何ですか。
- 広島県北部から島根県南部にかけての弥生時代中期後葉を代表する標式土器で、地域名「塩町」(三次市塩町)に由来します。陣山の五基すべてからこの土器が出土したことが、墓群が短期間のうちに築かれたと推定される根拠となっています。
- 四隅突出型墳丘墓は前方後円墳とどう関係しますか。
- 直接的な系譜関係にはありません。畿内で前方後円墳が登場し古墳時代が始まるのとほぼ並行する時期、中国山地から日本海沿岸では四隅突出型墳丘墓が首長墓として用いられていました。両者は別系統の墓制で、3世紀中頃に前方後円墳が全国に広まると、四隅突出型墳丘墓は造られなくなります。
- あわせて巡るならどこが良いですか。
- みよし風土記の丘ミュージアム、国指定史跡・浄楽寺七ツ塚古墳群(176基が史跡公園として保存)、四隅突出型墳丘墓を二基合わせたような特異な形態の矢谷古墳(出土品は重要文化財)、寺町廃寺跡などが車で十数分圏内にまとまっており、半日から一日の周遊コースが組めます。
基本情報
| 名称 | 陣山墳墓群(じんやまふんぼぐん) |
|---|---|
| 指定 | 国指定史跡(告示第194号) |
| 指定年月日 | 平成12年(2000年)12月20日 |
| 指定基準 | 一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡 |
| 時代 | 弥生時代中期後葉(およそ1世紀) |
| 構成 | 四隅突出型墳丘墓5基(1~5号墓)/南北延長 約40m、東西幅 約8m |
| 主な出土品 | 塩町式土器(全墓から出土) |
| 所在地 | 広島県三次市四拾貫町陣山・三次市向江田町日野目 |
| アクセス | JR芸備線 三次駅から車で約11分/みよし風土記の丘ミュージアムと併せての訪問が便利 |
| 関連施設 | みよし風土記の丘ミュージアム(広島県立歴史民俗資料館)— 開館9:00〜17:00、月曜・年末年始休館 |
参考ページ
- 文化庁 国指定文化財等データベース「陣山墳墓群」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/3273
- 文化遺産オンライン「陣山墳墓群」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192512
- 三次市ホームページ「陣山墳墓群」
- https://www.city.miyoshi.hiroshima.jp/soshiki/49/3522.html
- 広島県教育委員会「国史跡 陣山墳墓群」
- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekimin/syuhen-jinyama.html
- 広島県教育委員会「広島県の文化財 陣山墳墓群」
- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-106120220.html
- みよし風土記の丘・みよし風土記の丘ミュージアム(広島県立歴史民俗資料館)
- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekimin/
最終更新日: 2026.05.16