花園丘陵に眠る弥生の墓地

花園遺跡は、広島県の内陸北部、三次盆地の南縁にのびる低い丘陵の上にある。丘はJR三次駅へ向かって北へとゆるやかに下り、地元では花園丘陵と呼ばれている。その尾根筋を発掘したところ、弥生時代の中期から後期にかけて営まれた墳墓が、せまい範囲に折り重なるように見つかった。稲作が西日本一帯に定着し、川沿いの盆地に農耕の集落が根を下ろしていった時代の墓地である。

発見のきっかけは市営斎場の建設計画だった。昭和52年(1977年)から昭和55年(1980年)にかけて、三次市が丘の上に新たな斎場を設けるための事前調査を行ったところ、地中から弥生人の墓域が姿を現した。現代の火葬場を築こうとした丘が、二千年前の墓地でもあったことになる。調査ののち、尾根の上の台状墓三基がその場に保存された。

国史跡に指定された理由

花園遺跡が国の史跡に指定されたのは昭和53年(1978年)1月27日のことで、貝塚・集落跡・古墳などの遺跡を対象とする基準によるものである。指定の根拠は、尾根が抱える内容そのものにある。弥生時代のごく短い期間に限って使われた墓地でありながら、おびただしい数の埋葬がなされ、しかも性格の異なる二種類の墓が並んで築かれていた。

ひとつは貼石をもつ台状の墓域である。尾根の上に方形の平坦面を造成し、その縁を石で積み貼って仕上げることで、近づく者に対して整った正面を見せる構えとした。もうひとつは浅い溝で四方を区切った方形周溝墓で、こちらは弥生時代の各地に広く見られる形式である。性格の違うこの二者が一本の尾根の上に共存している点は珍しく、それがこの遺跡の価値の一端をなしている。県北の丘陵地帯において、弥生人がどのように死者を葬り、墓地を構えたのかを知るうえで、花園遺跡は得がたい記録となっている。

三つの墓域を歩く

第1号の台状墓域は、花園丘陵の最も高い地点を占める。指定時の記録では東西約32メートル、南北約18メートルとされ、北辺は傾斜面に造成して石を高さ1.3メートルほどに積み貼り、墓域の正面観を整えている。東西の両側辺にも貼石が見られるが、その手法はやや粗い。南辺には幅1〜2メートル、深さ0.2メートルほどの溝がめぐる。

この台状の平坦面に営まれた埋葬施設の数は目をみはるものがある。指定時には土壙40基、石囲い土壙23基、石棺23基の計86基が数えられた。発掘調査の完了後の報告では、第1号墓域だけで215基を超える埋葬施設が確認されており、指定の後にいかに多くの墓が掘り出されたかをうかがわせる。石棺のなかにはきわめて小規模なものがいくつも含まれ、早くから注目されてきた。これらは子どもの墓と考えられている。

第2号の台状墓域は第1号のすぐ北西に接し、軸をわずかにずらして築かれている。東西約15メートル、南北約9メートルの長方形で、北辺と両側辺を貼石で仕上げ、南辺は石を連ねて墓域の輪郭を明確にしている。内部の埋葬は数基にとどまる。第3号の墓域は第1号の北、第2号の東に接するが、範囲を区画する溝をもたないため広がりは判然としない。それでも土壙墓や石棺が確認されている。

この三基とは別に、軸を大きく変えて営まれた方形周溝墓状の遺構が北側にあり、それぞれが多くの埋葬施設を備えている。今日、尾根の上に立っても、目に入るのは静かな草地に近く、石を貼った台状墓の往時の姿を思い描くにはいくらかの予備知識がいる。下調べをしてから訪ねたい遺跡である。

遺跡のまわり

花園遺跡は、内陸西日本でも有数の遺跡密集地のただなかにある。東へ少し進めばみよし風土記の丘があり、その一角に広島県立歴史民俗資料館が建つ。三次盆地の弥生・古墳時代の墓制を体系的に学ぶことができ、現地を歩く前にまず立ち寄りたい場所である。

三次盆地は、四隅が突き出た方形の墳丘墓、いわゆる四隅突出型墳丘墓で知られる。この地域で発達した墓の形式で、その一例である矢谷古墳も同じ地区にある。ほかに若宮古墳や、県史跡の日光寺住居跡も近い。三次は土人形「三次人形」の窯元のある町でもあり、古代の墓地とあわせて、今に続く手仕事の一筋に触れることもできる。

Q&A

Q花園遺跡へはどう行けばよいですか。
A遺跡はJR三次駅の南側の丘の上にあり、駅から徒歩で約25分です。車であれば中国自動車道の三次インターチェンジから7分ほどです。見学は無料で、現地は開かれた場所になっています。
Q現地には見るものがありますか。それとも草地が広がるだけですか。
A花園遺跡は博物館ではなく屋外の遺跡です。尾根の地形や墓域のおおよその位置はたどれますが、背景を知っているほど見え方が深まります。近くの広島県立歴史民俗資料館を先に訪ねておくと、現地がぐっと読み取りやすくなります。
Q墓はいつの時代のものですか。
A墓地が営まれたのは弥生時代の中期から後期です。資料によっては古墳時代の初めまで使われたとするものもあります。暦のうえでは、おおむね紀元前数世紀から紀元後の数世紀にあたります。
Q「貼石をもつ台状墓」とはどのような墓ですか。
A尾根の上に方形の平坦面を造成し、その縁を石で積み貼って仕上げた、高まりをもつ墓域のことです。貼石は土を留める実用の役割と、墓域に整った正面を与える役割を兼ねていました。花園遺跡では第1号墓域の北辺がその正面として扱われています。
Qなぜ小さな石棺がいくつも見つかったのですか。
A第1号墓域には、ふつうより著しく小さな石棺がいくつも含まれています。これらは子どもの埋葬と考えられており、この墓地が一部の人々のためではなく、年齢を問わず共同体全体を葬る場であったことを示しています。

基本情報

名称花園遺跡(はなぞのいせき)
所在地広島県三次市十日市町
指定区分国史跡
指定年月日昭和53年(1978年)1月27日
時代弥生時代中期〜後期
種類弥生時代の墳墓群(貼石をもつ台状墓域・方形周溝墓)
保存されている遺構台状墓域三基および方形周溝墓状の遺構
アクセスJR三次駅から徒歩約25分/中国自動車道 三次ICから車で約7分
見学無料

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「花園遺跡」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2344
文化遺産オンライン「花園遺跡」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/202616
広島県教育委員会「国史跡 花園遺跡」
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekimin/syuhen-hanazono.html

最終更新日: 2026.05.22