大正14年の本堂、令和7年の登録

本行寺本堂は、北海道釧路市弥生にある浄土真宗本願寺派・真如山本行寺の本堂で、大正14年(1925年)の建築、令和7年(2025年)3月13日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

幣舞橋の南詰から坂を上がると、米町と呼ばれる高台に出る。港を見下ろすこの一帯には寺社が集まっており、本行寺はその境内中央に西を向いて建つ。建築面積841平方メートル。地方都市の一寺院としては、かなり大ぶりな部類に入る。

釧路には戦前の建物が少ない。昭和20年(1945年)夏の空襲で市街の多くが失われ、それ以前の建築は郊外か、この南側の丘の上に点在するにとどまる。

本行寺の開教は明治18年(1885年)頃。現在の本堂は、この地に建てられた最初の本堂ではない。

石に見えて、石ではない

まず外壁を見てほしい。モルタルを塗ったうえで規則正しく目地を切ってあり、数歩下がって眺めると切石を積んだ壁にしか見えない。もちろん石ではない。金網の上からコンクリートを塗るという、当時としては先進的な工法が用いられている。

背面には本物の石が使われた。札幌軟石である。札幌近郊で採れる溶結凝灰岩で、火に強いことから明治以来北海道各地の建物に用いられてきた。釧路は霧の街だ。湿気は木材をゆっくりと傷める。背面に石を回したのは、装飾というより気候への実務的な対処と読める。

技の見せ場は玄関まわりにある。寺院建築で木鼻、つまり向拝の隅から突き出す横材の先端は、通常なら木を彫って仕上げる。本行寺ではこれを左官が塗って造形した。文化庁は登録に際して「外部木鼻彫刻など精緻な左官技術を示す」と評価しており、この一点が登録理由の中核を成している。

近づくと印象が反転する。遠目に石と見えた壁は塗り壁の肌理を見せ、彫刻と見えた木鼻は、鏝で湿ったまま形づくられたものだと分かる。

外は和風、天井の上は洋式

屋根は入母屋造、銅板葺。長い年月で緑がかった色に落ち着いている。正面の屋根面には千鳥破風が付き、その下の玄関も小ぶりな入母屋造とする。ここまでは正統的な和風の語彙で構成されている。

ところが天井裏に入ると様子が変わる。小屋組はトラスである。日本の伝統的な和小屋のように梁と束を積み上げるのではなく、部材を三角形に組む西洋式の構法が使われている。トラスは少ない材で長い距離を渡せる。841平方メートルの内部空間を柱で分断せずに覆うには、この選択が合理的だった。そして参拝者の目には触れない。

外観は和風、構造は洋式。この組み合わせを、建築史では近代和風と呼ぶ。

なお構造の記載は「木造平屋一部2階建一部地階付」。文化庁の解説文では「木造二階建」と簡略に記されており、表現の粒度が異なるが、指す建物は同一である。

越後から来た大工

施工にあたったのは、新潟県間瀬出身の宮大工集団「間瀬大工」と伝えられる。明治から大正にかけての北海道は、農民や漁民と同じように職人も本州から呼び寄せた土地であり、新潟はその主要な供給地のひとつだった。寺の説明によれば、同じ系譜の職人は道庁赤れんが庁舎をはじめ道内各地の歴史的建造物にも関わっているという。

経歴の裏づけを離れても、建物そのものが力量を語っている。開港からまだ40年ほどの東の果ての港町で、この規模と密度の本堂が建てられた。

啄木が見たのは、この建物ではない

歌人・石川啄木は明治41年(1908年)の年明けから春にかけて釧路に滞在し、地元紙の記者として働いた。寺の記録によれば、同年3月3日に本行寺を訪れ、寺の子どもたちとカルタに興じている。ただし、そのとき啄木が上がったのは前代の本堂だった。現在の建物が完成するのは、その17年後である。

この事実を知ったうえで訪ねても、興趣が減るわけではない。山門脇には啄木の釧路詠を刻んだ歌碑が立ち、本堂の一角には啄木資料館が置かれている。館内には釧路滞在を追う年表、文庫、くしろ啄木一人百首歌留多、そして初代住職・伊藤浄栄の時代の本堂を再現した模型が並ぶ。文芸評論家・鳥居省三の肉筆原稿が展示されたこともある。

資料館の出発点は昭和61年(1986年)、5代目住職・菅原弌也と北畠立朴館長が本堂の一角に「啄木資料室」を開いたことにある。翌年には資料館へと発展した。平成4年(1992年)に弌也住職が亡くなってからしばらく活動が途絶えたが、北畠館長と7代目住職・菅原顯史の手で再開された。この菅原住職が、令和7年7月1日に鶴間秀典釧路市長から登録証を受け取っている。

訪ねるときに知っておきたいこと

JR釧路駅からおよそ2キロ。幣舞橋を渡って坂を上る道のりで、徒歩なら30分ほど、タクシーなら10分に満たない。郵便の住所は釧路市弥生2丁目11-22だが、文化財の所在地表記は「弥生二丁目31他」となっている。後者は地番であり、両者に矛盾はない。

本行寺は現役の寺院であって、受付のある観光施設ではない。境内は日中であれば入ることができ、外観の撮影も自由で、拝観料もかからない。ただし本堂内部と啄木資料館については、事前に電話(0154-41-5329)で確認したい。葬儀や法要が入っていれば、そちらが優先される。坂を上ってから断られるより、一本かけておいたほうがよい。

隣接する米町公園には灯台を模した展望台があり、霧の晴れた日には港が一望できる。市内にはもうひとつの国登録有形文化財、旧五十嵐家住宅事務所兼主屋がある。本行寺の登録により、釧路市の文化財は29件となった。

Q&A

Q本行寺本堂の内部は拝観できますか。拝観料はかかりますか。
A拝観料はかかりません。ただし本行寺は現役の寺院で、受付窓口はありません。境内は日中入れますが、本堂内部と啄木資料館の見学は法要等の予定次第です。0154-41-5329へ事前にお問い合わせください。
Q本行寺本堂はいつ建てられ、いつ登録有形文化財になったのですか。
A大正14年(1925年)の建築で、平成4年(1992年)に改修されています。令和6年11月22日に文化審議会が答申し、令和7年(2025年)3月13日付の官報告示で登録有形文化財(建造物)となりました。登録番号は01-0172です。
Q本行寺本堂は何が評価されて登録されたのですか。
A登録基準のうち「建設後50年を経過し、造形の規範となっているもの」に該当します。外壁に目地を切って石造風に見せる仕上げ、そして本来は木彫とする木鼻を左官仕事で造形した精緻な技術が、近代和風建築の好例として評価されました。
Q本行寺本堂は石川啄木が訪れた建物そのものですか。
Aいいえ。啄木が本行寺でカルタに興じたのは明治41年3月3日で、当時建っていたのは前代の本堂です。現在の本堂は大正14年の建築にあたります。旧本堂の模型は本堂内の啄木資料館に展示されており、山門脇には歌碑があります。
Q釧路駅から本行寺本堂までのアクセスを教えてください。
AJR釧路駅から南へ幣舞橋を渡り、米町方面の坂を上ります。距離にして約2キロ、徒歩30分ほどです。タクシーなら10分足らず。隣の米町公園に展望台があるので、坂を上ったついでに港の眺めも合わせて楽しめます。
Q本行寺本堂で最初に見るべきところはどこですか。
A外壁と玄関まわりです。モルタルに目地を切って切石積みのように見せた壁と、木彫ではなく左官の塗りで造形された木鼻。背面には火に強い札幌軟石が使われており、霧の多い土地への備えが読み取れます。

基本データ

名称本行寺本堂(ほんぎょうじほんどう)
所在地北海道釧路市弥生二丁目31他(郵便住所は釧路市弥生2丁目11-22)
指定区分国登録有形文化財(建造物)/登録基準「造形の規範となっているもの」/登録番号 01-0172
指定年令和7年(2025年)3月13日登録(令和6年11月22日答申)
員数1棟
寸法木造平屋一部2階建一部地階付、銅板葺、建築面積841平方メートル。大正14年(1925年)建築、平成4年(1992年)改修
所有者宗教法人本行寺
公開状況境内は日中自由、拝観料なし。本堂内部・啄木資料館は要事前連絡(0154-41-5329)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース — 本行寺本堂
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00015271
釧路市 — 「本行寺本堂」及び「本行寺旧納骨堂」(国登録有形文化財)
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/bunkazai/1005708/bunkazai/hongyoji.html
本行寺公式サイト — 国登録 有形文化財登録・本行寺
https://hongyouji946.com/introduction/
本行寺公式サイト — 石川啄木資料館
https://hongyouji946.com/takubokumuseum/
文化遺産オンライン — 北海道・釧路市
https://online.bunka.go.jp/heritages/region/1/1206

最終更新日: 2026.08.28