釧路川流域チャシ跡群──道東に残るアイヌの歴史を歩く
北海道東部、釧路川の両岸に広がる丘陵や湖畔、河岸段丘の上に、ひっそりと佇む土の遺跡があります。「釧路川流域チャシ跡群」は、北海道の先住民族であるアイヌの人々が、およそ16世紀から18世紀にかけて築いたとされる11か所のチャシ(砦・館・柵囲い)跡を、ひとつの国指定史跡としてまとめたものです。本州の城郭や寺社とは異なる、もう一つの日本の文化遺産が、ここ道東には息づいています。
釧路川は屈斜路湖を源とし、釧路湿原を蛇行しながら太平洋へと注ぐ、北海道内で完結する水系としては最長クラスの河川です。チャシ跡群は、その上流の弟子屈町から、中流の標茶町、釧路町、そして河口の釧路市までの広い範囲に分布しており、アイヌの人々がいかに「川」を中心に暮らしを営んでいたかを物語っています。
チャシとは何か
「チャシ」とはアイヌ語で「砦」「館」「柵囲い」などを意味する語です。長らくチャシは戦闘用の施設、すなわち「アイヌの城」と理解されてきましたが、近年の発掘調査や口頭伝承の研究が進むにつれ、その性格はもっと多面的だったことが分かってきました。儀礼や祭祀の場、見張り台、コタン(村)の重要事項を話し合うチャランケ(談判)の場、そして時には敵に備える防衛拠点と、用途は時代や地域によってさまざまに変化したと考えられています。
多くのチャシは、川や湖、海に向かって張り出した自然の丘陵や台地の先端を巧みに利用し、その上に壕(ほり)を掘り、土塁を盛り、木の柵をめぐらせて造られました。北海道全体では現在までに500か所以上のチャシ跡が確認されており、特に日高、十勝、釧路、根室など道東に集中して分布していることが知られています。地形によって「丘頂式」「丘先式」「面崖式」「孤島式」の四つに分類されるのが一般的です。
チャシが盛んに造られた時代は、考古学では「近世アイヌ文化期」と呼ばれる16世紀から18世紀ごろに当たります。19世紀になると多くのチャシは使われなくなりましたが、アイヌの口頭伝承の中では英雄の居館や神の家として語り継がれ、地域の記憶の中に残されてきました。
4つの市町にまたがる広域史跡
「釧路川流域チャシ跡群」は、釧路市・釧路町・標茶町・弟子屈町の4市町に所在する11か所のチャシ跡を、一体の国史跡として保護・活用していくために再編されたものです。もとは1935年(昭和10年)12月24日に、釧路市内のモシリヤ砦跡と鶴ヶ岱チャランケ砦跡が国の史跡に指定されました。その後、2015年(平成27年)に、釧路町・標茶町・弟子屈町の9か所のチャシ跡を新たに加え、名称を「釧路川流域チャシ跡群」と改めて統合・再指定しました。
具体的な構成は、釧路市にモシリヤチャシ跡とハルトルチャランケチャシ跡、釧路町にタプコプチャシ跡とテンネル第1チャシ跡、標茶町にマタコタンチャシ跡・シラルトロ第1チャシ跡・シラルトロ第2チャシ跡、そして上流の弟子屈町にウランコウシチャシ跡・クッシャロシペ第1チャシ跡・クッシャロシペ第2チャシ跡・プイラクニチャシ跡が含まれます。
釧路川筋では湖沼部を含めると約40か所ものチャシ跡が確認されているとされ、この11か所はその中でも特に保存状態が良く、学術的価値の高い遺跡が選ばれています。下流から上流へとたどることで、釧路川という一本の水系がアイヌの暮らしと文化をどのように結びつけていたかを、現地で体感できる構成になっています。
国史跡に指定された理由
釧路川流域チャシ跡群が高い文化的価値を持つ理由は、いくつもあります。第一に、北海道全体で500か所以上確認されているチャシ跡のうち、構築者や利用者など歴史的背景が文献から判明している例は非常に少ないという事実があります。中でも釧路市のモシリヤチャシ跡は、江戸時代の和人による日誌類の中に、宝暦年間(1751〜1764年)に実在したとされるトミカラアイノというアイヌの首長が築造に関わったとの記録が残されており、その子孫であるタサニセやメンカクシらの名前も伝えられています。これは北海道のチャシ研究において極めて貴重な資料です。
第二に、釧路川という一つの河川流域に沿って、上流・中流・下流の各地点に残るチャシ跡をまとめて保護することで、地域全体の景観・地理・社会構造を一体として研究できる点が挙げられます。コタン(村)とチャシの関係や、河川交通の要衝としての立地など、単独のチャシだけでは見えてこない広域的な視点を提供してくれるのが、この跡群の大きな魅力です。
第三に、2015年の再編は、4つの市町の境界を越えてアイヌの歴史的景観を一体的に守ろうとする、文化財保護政策上の意義ある一歩でもありました。これにより各自治体や関係機関の連携が進み、案内板の整備や教育活動など、跡群全体としての活用の道が広がっています。
見どころ
11か所のチャシ跡はそれぞれ異なる表情を持ち、訪れる順にさまざまな歴史の物語を伝えてくれます。
モシリヤチャシ跡──釧路市民に親しまれる「お供え山」
モシリヤチャシ跡は、釧路川河口から約1.7km上流の左岸、標高およそ18mの段丘上に位置しています。本砦と副砦が深さ約7mの壕で隔てられた構造で、二段ないし三段の平坦面を持つ重ね餅のような独特の外観から、釧路市民の間では古くから「お供え山」と呼ばれ親しまれてきました。アイヌ語で「モシリヤ」は「川の中島の対岸にある丘」を意味するとされています。
江戸期の記録から、宝暦年間に活躍したトミカラアイノが築造に関わったと伝えられ、構築者と利用の系譜が分かる極めて稀なチャシです。頂部からは釧路川の河口域や市街地を一望でき、アイヌの首長たちが見渡していたであろう景観を、今も追体験することができます。
ハルトルチャランケチャシ跡──「談判」の名を持つ湖畔のチャシ
釧路市東部、春採湖の北岸に半島のように突き出した丘の上にあるのが、ハルトルチャランケチャシ跡です。主体部の標高は約12mで、二条の壕で区画され、壕の周辺には掘り上げた土が低い土塁状に盛られています。「チャランケ」とはアイヌ語で「弁論・談判」を意味し、この地形が話し合いの場としてふさわしいと考えた和人によって名付けられたと伝えられます。チャシの東側には擦文時代の竪穴住居跡も残されており、南岸には船着き場があったとも伝えられています。1916年、旧制釧路中学校長を務めた阿部與作氏によって学術的に発見されたチャシでもあります。
弟子屈町の上流域チャシ群──屈斜路湖を望む高台に
釧路川源流部の弟子屈町には、4つのチャシ跡が点在しています。屈斜路湖南西岸の標高128mの段丘先端にあるウランコウシチャシ跡は「カツラの木が群生する所」を意味すると考えられ、弧状の壕がめぐらされています。クッシャロシペ第1・第2チャシ跡は、釧路川が屈斜路湖から流れ出すまさにその地点の右岸にあり、地理的・象徴的にも重要な場所に築かれています。プイラクニチャシ跡は熊牛原野と呼ばれる広大な高原地帯の中、標高84mの河岸段丘上にあります。
標茶町・釧路町のチャシ──中流域の静かな景観
標茶町のシラルトロ第1・第2チャシ跡はシラルトロ湖周辺、マタコタンチャシ跡は釧路川中流域の景観の中にあります。釧路町のタプコプチャシ跡とテンネル第1チャシ跡は、河口へと続く道筋に位置しています。これらはモシリヤチャシ跡ほど整備が進んでいるわけではありませんが、湿原や森に抱かれた静かな佇まいの中に、確かなアイヌの歴史の重みを感じられる場所です。
見学について
11か所のチャシ跡の多くは、国史跡として保護するために柵で囲まれており、自由に立ち入ることはできません。実際に登ったり、解説を受けたりして見学したい場合には、所在する自治体の博物館・教育委員会へ事前に連絡することが推奨されています。
釧路市内のモシリヤチャシ跡とハルトルチャランケチャシ跡については、釧路市立博物館(釧路市春湖台1-7)が窓口となります。モシリヤチャシ跡では例年、山の日(8月11日前後)に一般開放が行われ、ガイドの解説を聞きながら頂部まで登ることができます。釧路町のチャシは釧路町教育委員会、標茶町のチャシは標茶町教育委員会、弟子屈町のチャシは弟子屈町教育委員会が窓口です。立ち入りが制限されている場合でも、近隣の見学ポイントや案内板から外観を眺めることは可能です。
道東の自然は厳しく、夏は虫除けと歩きやすい靴、冬は深い積雪への備えが欠かせません。春から秋にかけて訪れるのが最も快適で、チャシ周辺の自然景観も最も豊かに楽しめる時期です。
周辺の見どころ
釧路川の流域には、道東を代表する自然と文化のスポットが数多く点在しています。中流部に広がる釧路湿原は、日本最大の湿原でラムサール条約登録地としても知られ、特別天然記念物のタンチョウの生息地としても有名です。上流域には、神秘的な美しさで世界に知られる摩周湖と、北海道最大のカルデラ湖である屈斜路湖があり、これら屈指の景勝地と上流のチャシ跡群が近接しています。屈斜路湖畔の川湯温泉は、湯量豊富な天然温泉地として、チャシ巡りの拠点に最適です。
河口部の釧路市では、市の象徴的存在である幣舞橋、新鮮な海産物が並ぶ和商市場、そしてチャシやアイヌ文化に関する資料が充実した釧路市立博物館などを楽しめます。チャシの見学と合わせて、道東ならではの自然・温泉・食・先住民族の歴史を一度に味わえる、奥行きのある旅を計画することができるでしょう。
Q&A
- そもそもチャシとは何ですか。本州のお城との違いは?
- チャシは、北海道の先住民族であるアイヌの人々が16世紀から18世紀ごろに築いた施設で、自然の地形を活かし、壕や柵で区画して造られています。本州の石垣や天守を持つ城とは異なり、規模はそれほど大きくなく、防衛だけでなく祭祀・談判・見張りなど多様な用途を持っていたと考えられています。本州の城郭の劣化版ではなく、まったく別の文化的伝統に基づく構造物です。
- チャシの上に登って見学することはできますか。
- 国史跡として保護されているため、原則として柵で囲まれており、自由な立ち入りはできません。ただし、釧路市のモシリヤチャシ跡は例年8月11日前後の山の日に一般開放され、ガイドの案内のもと登ることができます。それ以外の時期に見学を希望する場合は、釧路市立博物館へ事前に連絡することで対応してもらえる場合があります。
- 釧路川流域のチャシは誰が造ったのですか。
- 築造者は明確に分かっていないチャシも多くありますが、モシリヤチャシ跡については、江戸期の文献から、宝暦年間(1751〜1764年)に実在したとされるトミカラアイノというアイヌの首長が築造に関わったことが知られています。その子孫であるタサニセやメンカクシといった人物がチャシを利用したことも記録に残されています。
- チャシは戦いのためだけに使われた施設ですか。
- いいえ、戦闘目的だけではなかったと考えられています。「砦」と訳されることが多いものの、近年の研究や口頭伝承から、チャシは祭祀の場、首長たちが議論を行うチャランケ(談判)の場、川や交易路を見張る場所など、さまざまな用途を持っていたことが分かってきました。防衛はその一つの側面に過ぎません。
- チャシ跡群を巡るには、どのくらいの時間がかかりますか。
- 車での移動を前提とすれば、釧路市内の2か所のチャシ跡と釧路市立博物館は半日ほどで巡ることができます。屈斜路湖や摩周湖、川湯温泉と組み合わせて、上流の弟子屈町まで足を延ばす場合は、2〜3日かけてゆっくり巡るのがおすすめです。河口から源流部までの直線距離はおよそ100km、釧路湿原や森林の中をドライブする道のりも見どころの一つです。
基本情報
| 名称 | 釧路川流域チャシ跡群(くしろがわりゅういきちゃしあとぐん) |
|---|---|
| 指定区分 | 国指定史跡 |
| 当初指定年月日 | 1935年(昭和10年)12月24日 |
| 跡群としての再指定 | 2015年(平成27年)3月10日 |
| 所在地 | 北海道釧路市城山一丁目(モシリヤチャシ跡)ほか、釧路市・釧路町・標茶町・弟子屈町 |
| 構成 | 11か所のチャシ跡 |
| 時代 | 近世アイヌ文化期(およそ16〜18世紀) |
| 管理団体 | 釧路市(昭和11年4月4日指定) |
| 問い合わせ先 | 釧路市立博物館(北海道釧路市春湖台1-7・電話 0154-41-5809) |
参考文献
- 史跡釧路川流域チャシ跡群|釧路市ホームページ
- https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/bunkazai/1005708/1002737/kushirogawa.html
- 釧路川流域チャシ跡群|文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215629
- 釧路川流域チャシ跡群|弟子屈町ホームページ
- https://www.town.teshikaga.hokkaido.jp/kurashi/soshikiichiran/kyoikuiinkai_shakaikyoikuka/furureki/kyoudoshi/4484.html
- チャシ|ウィキペディア
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%B7
- 釧路市の記念物〈史跡〉|釧路市ホームページ
- https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/bunkazai/1005708/1002737/kushiro-shiseki.html
最終更新日: 2026.05.07