ピリカノカ──アイヌ語が照らす北海道の聖なる景観群

北海道の北の宗谷から、南の襟裳岬まで。日本海岸からオホーツク海岸まで。広大な大地の各地に点在する一群の自然景観が、ひとつの名のもとに国の名勝として指定されています。その名は「ピリカノカ」。アイヌ語で「ピリカ=美しい」「ノカ=形」を意味するこの言葉は、アイヌの人々が幾世代にもわたり物語に謡い、祈りを捧げ、生活の指針としてきた風致景観群を総称するものです。平成21年(2009年)、文化財保護法に基づいて初めて名勝に指定されたこのピリカノカは、その後も新たな構成資産が追加されながら、北海道全土に広がる類例のない文化財として育ちつづけています。

現在、ピリカノカは10の構成資産から成り立っています。名寄市・石狩市・枝幸郡浜頓別町および枝幸町・幌泉郡えりも町・紋別郡遠軽町・虻田郡豊浦町・帯広市・室蘭市・河西郡中札内村・沙流郡平取町・新冠郡新冠町。これらは山岳・岬・岩塊・海岸線とその姿を変えながら、いずれもアイヌの口承文学や信仰、地名にまつわる物語を内に湛えています。地質も、立地も、それぞれに大きく異なるこれらの地は、ただひとつの共通項──「アイヌ文化に彩られた優れた景勝地である」という事実によって結ばれているのです。

アイヌ民族と聖なる地理

アイヌは、北海道、千島列島南部、サハリンに暮らしてきた先住民族です。アイヌの世界観では、山も川も、動植物も、火や道具に至るまで、自然界のあらゆるものに「カムイ」(神・霊)が宿るとされてきました。なかでも、際立って美しく、また険しく印象深い自然の地形には、特に強いカムイが鎮まっていると考えられ、その地は祈りと敬意をもって扱われてきたのです。

そうした地のなかには、「チノミシリ」(我々が祀る山)と呼ばれる山岳もありました。これらは安易に登るための山ではなく、麓から拝み、季節の行事や狩猟の目印として大切にされてきた山でした。また、「ユカラ」と呼ばれる長大な英雄叙事詩のなかには、特定の山や岩や岬が舞台として登場し、神々や英雄の物語と土地が結びつけられてきました。ピリカノカは、こうした景勝地のなかでもとくに優れたものを集めて保護する目的で設けられた名勝の枠組みなのです。

なぜ国の名勝に指定されたのか

北海道の自然景観の素晴らしさは古くから知られてきましたが、二十世紀のあいだ、文化財としての名勝指定は、日本本土の和漢の伝統に根ざした名園・古来の景勝・文学的名所などに偏りがちでした。アイヌ文化と深く結びついた景勝地は、長らく十分な保護の枠組みを与えられていなかったのです。

ピリカノカの指定は、このギャップを埋めるために構想されました。アイヌ語の名で呼ばれるこれらの地を、一括して保護することによって、その文化的価値が、まさにアイヌの言語・物語・精神性と一体である点にあることを国家として明確に位置づけたのです。指定は単に景観の視覚的な美しさを評価するだけではなく、その地がアイヌの宇宙観・歴史・日常生活のなかで担ってきた意味を尊重しています。日本の名勝制度のなかで初めて、先住民族の文化的理解を出発点として景勝地を捉える枠組みが設けられた、画期的な指定といえます。

各構成資産は、自然的特徴・口承伝承との関わり・景観的優秀性を丁寧に調査したうえで、段階的に追加されてきました。このため、ピリカノカは固定された一群ではなく、研究と理解の深まりに応じて成長していく重層的な文化財でもあります。

10の構成資産──それぞれの見どころ

九度山(クトゥンヌプリ)──名寄市

名寄市街から望むことができる標高673.6メートルの山で、アイヌ語名「クトゥンヌプリ」は「岩崖がある山」を意味します。非対称の稜線と山頂の岩稜が独特の山容を生み、名寄コタンのアイヌの人々にとって日々の祈りの対象であり、狩猟の際の目印として欠かせない山でした。現在はピヤシリスキー場のある山として、四季を通じて登山客やウィンタースポーツ愛好家に親しまれています。

黄金山(ピンネタイオルシペ)──石狩市

石狩市浜益にそびえる標高739.1メートルのピラミッド状の美しい山で、アイヌ語名「ピンネタイオルシペ」は「樹叢の平原の中に聳える雄山」を意味します。少年英雄ポイヤウンペが活躍するユカラの拠点として伝承を育んできた山であり、平原の中に屹立する姿は今も変わらず、訪れる者を惹きつけます。

神威岬(カムイエトゥ)──枝幸郡浜頓別町・枝幸町

北海道北部のオホーツク海に突き出した岬で、同名の岬と区別するためしばしば「北見神威岬」と呼ばれます。アイヌ語の「カムイエトゥ」は「神の岬」を意味し、切り立った断崖と沖の岩塊、そして海そのものに満ちる神霊の気配は、古来力ある神々の領域として畏敬されてきました。

襟裳岬(オンネエンルム)──幌泉郡えりも町

日高山脈が太平洋に没する南端の岬。アイヌ語名「オンネエンルム」は「大きな岬」を意味します。平成22年(2010年)8月に追加指定されました。強風と急峻な海流、そして沖合の岩礁に暮らすゼニガタアザラシの群れで知られ、日本でも屈指の野生的かつ原初的な海景を見せてくれる場所です。

瞰望岩(インカルシ)──紋別郡遠軽町

湧別川の河岸段丘から突き出すように切り立つ高さ約78メートルの岩塊。アイヌ語の「インカルシ」は「見張りをする所」を意味します。火山角礫岩からなる極めて硬い岩盤が、湧別川の側方侵食に耐えて取り残されたもので、自然の物見台のように立ち上がっています。湧別アイヌと十勝アイヌの古戦場として「インカルシの戦い」の伝説が伝わるほか、町名「遠軽」もこの岩のアイヌ語名に由来しています。瞰望岩は平成23年(2011年)2月に追加指定され、ピリカノカ5番目の構成資産、オホーツク管内では初めての指定となりました。

カムイチャシ──虻田郡豊浦町

「チャシ」とはアイヌの城・砦に類する施設の名称で、「カムイチャシ」は「神のチャシ」を意味します。豊浦町の太平洋岸に位置するこの地は、要害的な地形と祭祀的要素、ドラマチックな海景観が一体となった、アイヌ聖地の典型的な姿を伝えています。

絵鞆半島外海岸──室蘭市

平成24年(2012年)1月に指定された、室蘭の絵鞆半島太平洋岸の景勝地群です。指定範囲はハルカラモイ・増市浜・地球岬・トッカリショ浜の4か所からなり、地球の丸さを感じる地球岬の大パノラマや、奇岩と岩礁の織りなすトッカリショ浜の景観など、北海道屈指の海岸景観が展開しています。

十勝幌尻岳(ポロシリ)──帯広市・河西郡中札内村

札内川上流の日高山脈北東部に位置する標高1,846メートルの山岳です。アイヌ語の「ポロシリ」は「大きい山」を意味し、帯広のアイヌの人々にとって、神(カムイ)が鎮まる聖なる山「カムイヌプリ」として崇められてきました。切り立った稜線と山頂付近に発達するカール(圏谷)地形は、最終氷期の名残でもあります。平成24年(2012年)9月に、ピリカノカの8番目の構成資産として追加指定されました。

幌尻岳(ポロシリ)──沙流郡平取町・新冠郡新冠町

こちらの幌尻岳は、十勝幌尻岳と同じ「ポロシリ」の名を持ちながら、日高山脈全体の最高峰、標高2,052メートルの主峰です。日本百名山にも数えられ、山頂付近のカールに彩られる稜線、そして高山植物の見事さは、登山者に強い印象を残します。山頂までの登山道は何度も渡渉を要するルートで、本格的な登山経験と装備が不可欠です。

オキクルミのチャシ及びムイノカ──沙流郡平取町

アイヌ文化の中心地のひとつとして知られる沙流川流域に位置する、二つの岩山です。オキクルミは、人間に狩猟法や穀物の栽培を伝授したとされる文化神で、アイヌ神話においてもっとも重要な神格のひとり。最初の岩山はオキクルミが居を構えたという「チャシ」(砦)の伝承地、もうひとつの岩山「ムイノカ」は、オキクルミの妻が地上に残した「ムイ(箕)」が岩に変じたものとされます。平取町荷負には視点場が整備され、訪れる人がこの重層的な景観を一望できるよう配慮されています。

ピリカノカを訪ねる──実用情報

ピリカノカは北海道全域に点在しているため、一度の旅ですべてを巡ることは現実的ではありません。多くの旅行者は、自分の旅程に重なる1〜2か所を選んで訪れています。比較的アクセスの良い構成資産としては、絵鞆半島外海岸(室蘭市中心部から徒歩・市内交通で到達可)、瞰望岩(JR遠軽駅から徒歩圏)、襟裳岬(帯広方面または日高方面から国道336号線経由のバスでアクセス可能)、平取のオキクルミ視点場(二風谷アイヌ文化博物館とあわせての訪問が推奨)などが挙げられます。十勝幌尻岳および幌尻岳は本格的な登山対象であり、適切な装備・経験・──幌尻岳については事前申請──が不可欠です。

登山道の利用可能な晩春から初秋が訪問のベストシーズンです。襟裳岬や絵鞆半島などの海岸の構成資産は通年訪問可能ですが、強風や寒気を考慮し、特に冬季は十分な防寒装備を携えてお越しください。

周辺の見どころ

ピリカノカの構成資産の多くは、北海道を代表する文化施設や自然景観の近くに位置しています。平取町では、二風谷アイヌ文化博物館や萱野茂二風谷アイヌ資料館でアイヌの暮らし・言語・精神文化を深く学ぶことができます。室蘭では絵鞆半島の絶景に加え、近代化産業遺産や白鳥大橋の夜景もあわせて楽しめます。襟裳岬には風と海洋環境を解説する「風の館」があり、沖合のゼニガタアザラシの群れを観察することもできます。名寄にはサンピラーパーク天文台があり、九度山の天空的な雰囲気と相性の良い夜空を堪能できます。アイヌ文化のより広い文脈を学びたい方は、白老ポロト湖畔にある国立アイヌ民族博物館「ウポポイ」を訪ねることを強くお勧めします。

Q&A

Q「ピリカノカ」とはどのような意味ですか。
Aアイヌ語で「ピリカ=美しい」「ノカ=形」を組み合わせた言葉で、アイヌの言語・口承文学・信仰と深く結びついた優秀な景勝地群を総称する名称として使われています。
Q10の構成資産はすべて近くにあるのですか。
Aいいえ。北は名寄から南は襟裳まで、日本海側からオホーツク海側まで、北海道全域に広く点在しています。各構成資産は別個に訪れる必要があり、多くの方は旅程と重なる1〜2か所を選んで訪問されます。
Qピリカノカが最初に指定されたのはいつですか。今後も追加されますか。
A最初の指定は平成21年(2009年)7月23日で、九度山と黄金山の2山から始まりました。その後段階的に構成資産が追加され、現在は10件を数えます。今後も研究と調査の進展に応じて、新たな構成資産が追加される可能性があります。
Q公共交通でアクセスしやすい構成資産はどこですか。
A瞰望岩(インカルシ)はJR遠軽駅から徒歩圏内にあり、駐車場から山頂までも数分で登れるためアクセス良好です。室蘭の絵鞆半島外海岸も市内交通で各見どころに到達できます。
Q訪問にあたって特別な許可やガイドが必要ですか。
A展望地として整備されている構成資産は、特別な許可なく自由に訪れることができます。ただし、日高山脈の最高峰である幌尻岳に登山する場合は、アクセス道路の規制により事前申請が必要であり、本格的な登山技術と装備が不可欠です。一部の構成資産には自治体が視点場を整備しており、現地での解説と景観保護に役立てられています。

基本情報

指定区分 国指定名勝(文化財保護法)
当初指定年月日 平成21年(2009年)7月23日
構成資産 九度山(クトゥンヌプリ)/黄金山(ピンネタイオルシペ)/神威岬(カムイエトゥ)/襟裳岬(オンネエンルム)/瞰望岩(インカルシ)/カムイチャシ/絵鞆半島外海岸/十勝幌尻岳(ポロシリ)/幌尻岳(ポロシリ)/オキクルミのチャシ及びムイノカ
所在地 名寄市/石狩市/枝幸郡浜頓別町・枝幸町/幌泉郡えりも町/紋別郡遠軽町/虻田郡豊浦町/帯広市/室蘭市/河西郡中札内村/沙流郡平取町/新冠郡新冠町
文化的背景 アイヌの口承文学(ユカラ)、聖山(チノミシリ)、カムイへの祈り、アイヌ語起源の地名
アクセス 各構成資産は個別にアクセス。主要拠点はJR遠軽駅・室蘭駅・名寄駅・帯広駅・日高三石駅周辺

参考文献

文化遺産オンライン|ピリカノカ(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163318
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/00003649
名寄市|国指定文化財 九度山
http://www.city.nayoro.lg.jp/section/museum/vdh2d10000008hj9.html
えりも町|ピリカノカと襟裳岬
http://educ.erimo.hokkaido.jp/pirkanoka/pirika_top/pirika.html
遠軽町観光協会|瞰望岩
https://engaru.jp/tourism/page.php?id=441
室蘭観光情報サイト|名勝ピリカノカ
http://muro-kanko.com/see/pirikanoka.html
帯広市|十勝幌尻岳
https://www.city.obihiro.hokkaido.jp/bunka/rekishi/bunkazai/1011019/1005207.html
中札内村|国指定名勝ピリカノカ十勝幌尻岳
https://www.vill.nakasatsunai.hokkaido.jp/kyouiku/bunkageijutsu/meisyou_tokachi_poroshiri/
二風谷アイヌ文化博物館|ピリカノカリーフレット
http://nibutani-ainu-museum.com/wp/wp-content/uploads/2017/05/Pirikanoka.pdf

最終更新日: 2026.04.26