重要文化財のなかで、いちばん小さな建物
旧三戸部家住宅(きゅうみとべけじゅうたく、指定名称は「旧三戸部家住宅(北海道有珠郡伊達町)」)は、北海道伊達市梅本町にある茅葺の開拓農家で、文化庁は年代を明治20年頃とし、昭和46年(1971年)12月28日に国の重要文化財に指定された。
名称の括弧書きは、いまは存在しない住所を留めている。指定が告示された昭和46年12月の時点で、この土地は有珠郡伊達町だった。伊達町が市制を施行して伊達市となるのは翌47年4月、指定の4か月後である。原簿の表記はそのまま今日まで引き継がれている。
重要文化財としては、きわめて小さい。桁行9.1メートル、梁間6.4メートル、寄棟造の茅葺。床面積はおよそ58平方メートルにすぎない。内部は土間と二室だけ。堂塔でも城郭でも町家でもなく、一軒の農家である。
ただし、こうした家を建てた人々は、長く農民だったわけではない。戊辰戦争で仙台藩が大幅に領地を没収されると、一門の亘理伊達家も家禄をほとんど失った。15代当主・伊達邦成は明治政府に北海道移住と開拓地の割り当てを願い出て、明治2年8月、胆振国有珠郡の開拓が許可される。ただし費用の支援は一切なかったため、伊達家は先祖伝来の宝物や装身具まで売り払って移住費を工面した。移住は明治3年から14年までに9回、伊達市の記録では総勢約2,700人。刀を置いて鍬を握った人々が、原生林を拓くところから始めている。
木割の太さが語るもの
これほど質素な建物が国の指定を受けている理由は、何の証拠であるかにある。北海道の開拓農家は安く建て、酷使し、傷めば取り壊された。移住初期の20年ほどの間に建てられたものはほとんど残っていない。文化庁の評価も、当時の開拓農家の貴重な遺例である、という一点に集約されている。
もう半分の論拠は、架構そのものにある。この規模の建物としては部材が重い。木割が太く、スパンが要求する以上の断面が使われており、評価文もその良質さを指摘する。地元の解説はさらに踏み込んで、鉋を用いず手斧で削り、釘を一本も使わずに組み上げた仙南地方の建築様式によるものだと伝える。この点は文化庁のデータベースには記載がないため、伝えられてきた説明として受け取っておきたい。外壁は荒土塗、玄関のある正面は屋根を90センチほど張り出して雪除け・雨除けとし、左手に引戸の入口を設けたとされる。
文化庁の解説文には、読み飛ばしやすい一節がある。土間と二室という平面が、のちに造られる屯田兵屋と似ている、という指摘である。禄を失った士族が自力で建てた民家の間取りが、その後に国家が屯田兵へ支給する住居の型を先取りしていたことになる。東北の大工仕事に共通する下地があったのか、それ以上の関係があるのかは、はっきりしていない。
建築年については資料が割れている。文化庁は明治20年頃。伊達市の公式ページは「明治10年後半」と簡潔に記す。明治10年代の後半、すなわち1880年代半ばを指すと読め、文化庁の年代に近い。一方、日本歴史地名大系は明治5年(1872年)に現在の萩原町に建てられたとし、旅行系のサイトはこの数字を引くものが多い。一次資料が採るのは、遅いほうの年代である。
見学は外観のみ、料金は不要
出かける前にはっきりさせておきたい。伊達市は、外観のみ自由に見学できること、施設内の一般公開はないことを明記している。囲炉裏や開拓時代の食器が見られると書く旅行情報は、すでに実態と合っていない。建物に電話はなく、見学料もかからない。問い合わせは伊達市教育委員会生涯学習課文化財係、0142-82-3299。
現在地に移されたのは昭和44年で、市内萩原町にあった住宅を当時の伊達市開拓記念館の庭園内に移築したものである。その敷地は現在「だて歴史の杜」の一部となり、園内には梅本町57番地1のだて歴史文化ミュージアムがある。開館は午前9時から午後5時、休館は毎週月曜日と年末年始。平成31年4月3日に開館した施設で、亘理伊達家の資料はここで見ることができる。旧三戸部家住宅の駐車場は南第3駐車場、30台分。
JR伊達紋別駅からは徒歩でおよそ20分から25分。伊達は噴火湾に面した札幌と函館の中間に位置し、道内では雪が少なく気候が温暖で、「北の湘南」とも呼ばれる。亘理伊達家がこの地を選んだ理由のひとつでもある。住宅の周囲には桜が植えられているので、5月上旬は狙い目になる。外観の撮影について、市は特段の制限を告知していない。
正面に立ったら、軒先をしばらく眺めてみたい。張り出した屋根、低い壁の線、小さな開口部。ここでの判断はすべて、水と雪を落とし、熱を逃がさないためのものである。移住から十数年、まだ北海道の冬が建物に何をするのかを学びつつあった人々の手が、そこに残っている。
Q&A
- 旧三戸部家住宅の内部は見学できますか。
- できません。伊達市は「外観のみ、自由に見学することができます」「施設内の一般公開はありません」と明記しています。外観の見学は時間の制限も料金もありません。内部展示に触れた古い旅行情報が残っていますが、現在の運用とは異なります。
- 旧三戸部家住宅の場所と、行き方を教えてください。
- 北海道伊達市梅本町61番地2、「だて歴史の杜」の園内、だて歴史文化ミュージアムの近くに建っています。JR伊達紋別駅からは徒歩でおよそ20分から25分。車の場合は南第3駐車場(30台)を利用してください。
- 旧三戸部家住宅はなぜ重要文化財に指定されたのですか。
- 北海道開拓初期の農家がほとんど現存しないためです。文化庁は、亘理伊達家の集団移住による当時の開拓農家の貴重な遺例と評価し、小規模ながら木割が太く良質な架構である点を挙げています。
- 旧三戸部家住宅の建築年はいつですか。資料によって違うのはなぜですか。
- 文化庁は明治20年頃(1887年頃)とし、伊達市は「明治10年後半」と記し、明治10年代後半、つまり1880年代半ばを指すと読めます。一方、日本歴史地名大系は明治5年(1872年)とし、旅行サイトはこちらを引くことがあります。一次資料が採るのは明治20年頃です。
- 旧三戸部家住宅は建てられた場所に残っているのですか。
- いいえ。もとは現在の伊達市萩原町にあり、昭和44年に開拓記念館の庭園内へ移築されました。重要文化財の指定は、その2年後の昭和46年です。
基本情報
| 名称 | 旧三戸部家住宅(きゅうみとべけじゅうたく)/指定名称「旧三戸部家住宅(北海道有珠郡伊達町)」 |
|---|---|
| 所在地 | 北海道伊達市字梅本町61番地の2 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) 種別 近代/住居 指定番号 01820 |
| 指定年 | 昭和46年(1971年)12月28日 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 桁行9.1メートル、梁間6.4メートル、寄棟造、茅葺(床面積およそ58平方メートル) |
| 所有者 | 伊達市 |
| 公開状況 | 外観のみ自由に見学可、無料。内部の一般公開はなし。問い合わせは伊達市教育委員会生涯学習課文化財係 0142-82-3299 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース — 旧三戸部家住宅(北海道有珠郡伊達町)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/24
- 文化遺産オンライン — 旧三戸部家住宅(北海道有珠郡伊達町)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/120834
- 伊達市 — 旧三戸部家住宅(施設情報)
- https://www.city.date.hokkaido.jp/hotnews/detail/00001597.html
- 伊達市 — まちの歴史(亘理伊達家の集団移住)
- https://www.city.date.hokkaido.jp/hotnews/detail/00001367.html
- 伊達市 — だて歴史文化ミュージアム
- https://www.city.date.hokkaido.jp/hotnews/detail/00005836.html
最終更新日: 2026.08.27