標高356メートルの山頂に残る戦国の城
兵庫県丹波市春日町。JR黒井駅で電車を降りると、正面に猪ノ口山が立ちはだかる。標高356メートルのこの山の頂を中心に築かれていたのが、戦国期の山城・黒井城である。別名を保月城という。山頂に積まれた荒々しい石垣と、三方の尾根に点々と残る砦の跡が、かつての城域の広さを今に残している。
城主だった赤井(荻野)直正は、織田信長の命で丹波に攻め込んだ明智光秀の包囲を、いったんは退けた武将である。「丹波の赤鬼」と呼ばれ、敵から恐れられた。
城跡は平成元年(1989年)8月11日に国の史跡へ指定された。平成29年(2017年)には続日本100名城(163番)にも選ばれている。
赤松氏から「丹波の赤鬼」へ
城の起こりは南北朝期までさかのぼる。氷上郡春日部荘を与えられた赤松貞範(則村の次男)が、はじめて猪ノ口山の頂に城を構えたと伝わる。その後およそ二百年、赤松氏に代わって荻野氏が城主の座についた。
現在の遺構につながる大改修を進めたのが、天文23年(1554年)に城へ入った赤井直正である。直正はもともと荻野一族の出で、荻野秋清を倒して黒井城の主となり、悪右衛門を名乗った。やがて赤井・荻野一族を束ね、永禄8年(1565年)には丹波守護代格の内藤宗勝(松永長頼)を討ち取る。氷上郡に加えて天田郡・何鹿(いかるが)郡、さらに船井郡の一部までを勢力下に収め、丹後や但馬へも兵を進めた。山上に石垣をめぐらせた今日の姿は、この時期にほぼ整ったと考えられている。
その勢いは都にも届いた。永禄11年(1568年)ごろには前関白・近衛前久が黒井城に滞在したとされ、『赤井家譜』は前久の娘が直正に嫁いだと記している。
二度の攻防と落城
元亀元年(1570年)、直正は信長から丹波奥三郡の支配を認められた。だが関係は長く続かない。天正の初めごろから直正は反信長の立場をとり、武田勝頼や石山本願寺、毛利方の吉川元春らと連絡を取り合った。
天正3年(1575年)、信長は明智光秀に丹波平定を命じる。同年10月、直正は但馬の竹田城を退いて黒井城に籠もり、光秀の包囲を受けた。籠城は三か月に及ぶ。ところが天正4年(1576年)正月半ば、光秀方についていた波多野秀治が突如として光秀の本陣を襲い、光秀勢は総崩れとなって退却した。この劇的な逆転は、黒井城の名を今に残す一因となっている。
天正6年(1578年)、直正は病に倒れて世を去る。弟の赤井幸家が幼い嫡子・直義の後見として城を率いたが、赤井方の勢いは次第に衰えた。翌天正7年(1579年)、光秀は羽柴秀長の援軍を得て再び氷上郡へ攻め込む。郡内の城は次々と落ち、孤立した黒井城も8月についに開城した。このときの経緯は『信長公記』に詳しい。
永禄から天正にかけて築かれた石垣や土塁が、後世に大きく造り替えられることなく良好に残されている。天下統一へ向かう時代の山城の姿を、改変の少ないかたちで確かめられる点に、この城の価値がある。これが国史跡に指定された大きな理由である。
山上で見ておきたいもの
主要部は尾根に沿って南北およそ150メートル。北から本丸・二の丸・三の丸と続き、その一段下を東くるわ・西くるわ・帯くるわと呼ばれる平坦地が取り巻く。
最大の見どころは石垣だ。加工しない自然石を積み上げた野面積みで、16世紀半ばらしい素朴な姿をしている。本丸と二の丸の間には、長さ約30メートル・高さ約5メートルの石垣が立つ。隅をよく見ると、長短の石を交互に重ねて角を固める算木積みが確認できる。城下町に面した側ほど石垣が立派で、防御のためだけでなく、麓に城の威容を示す意図もあったとみられている。
城の備えは山頂だけにとどまらない。斜面には太鼓の段や石踏の段といったくるわが連なり、頂から伸びる尾根の先には、北の千丈寺砦、東の竜ヶ鼻砦と百間馬場、南の的場砦が配されている。この一部を歩くだけでも、山全体を要塞にした規模が実感できる。
頂上からの眺めは広い。秋から冬の冷え込んだ朝には盆地が雲海に沈むこともあり、黒井城は丹波の「天空の城」のひとつに数えられている。
麓の城下町とアクセス
山のふもとには、黒井城の下館跡に建つ興禅寺がある。落城後、この下館には光秀の重臣・斎藤利三が入った。天正7年(1579年)にここで生まれた利三の娘が、のちに三代将軍徳川家光の乳母となる春日局である。幼少期をこの地で過ごしたとされ、寺の境内は下館跡として国の史跡に含まれている。境内には春日局が腰かけたという石も残る。
登城は山城としては比較的やさしい。JR福知山線の黒井駅から、黒井小学校の裏手にある登山口まで徒歩約10分。道はゆるやかコースと急坂コースの二つがあり、途中で合流して本丸へ至る。歩きやすい靴で臨みたい。秋には熊の出没情報が出ることもあるので注意したい。
毎年11月には「黒井城まつり」が開かれ、手作りの甲冑をまとった武者が町を歩く。続日本100名城のスタンプや御城印は山頂ではなく、春日住民センターなど麓の施設で受け取れる。
Q&A
- 登山にどのくらいかかりますか。
- 黒井小学校近くの登山口から本丸までは、ルートにもよりますが、おおむね40分から1時間ほどです。急坂コースは距離が短い分きつく、ゆるやかコースは歩きやすくなっています。登りと下りで別のコースをとる人も多いです。
- なぜ赤井直正は「丹波の赤鬼」と呼ばれたのですか。
- 西丹波で勢力を広げた猛将として、敵から恐れられた呼び名です。守護代格の内藤宗勝を討ち、丹後や但馬にも進出し、明智光秀の最初の黒井城包囲を退けたことなどが、この異名の背景にあります。
- 春日局とはどんな関わりがありますか。
- 落城後、麓の下館(現在の興禅寺)に明智光秀の重臣・斎藤利三が入りました。その娘が天正7年(1579年)にこの地で生まれ、のちに三代将軍徳川家光の乳母・春日局となります。興禅寺の境内は下館跡として史跡に含まれています。
- 山頂には眺め以外に何がありますか。
- 本丸・二の丸・三の丸の区画がはっきり残り、長さ約30メートルの野面積みの石垣や、隅を固める算木積みも見られます。周囲の尾根に点在する小さなくるわや砦の跡も、足を延ばせば見て回れます。
- 訪れるのに良い時期はいつですか。
- 秋は登山に適し、冷え込んだ朝には雲海が見られることもあります。11月には麓で黒井城まつりが開かれます。春も歩きやすい季節です。夏は朝のうちに登るのがよく、秋は熊への注意も必要です。
基本情報
| 名称 | 黒井城跡(くろいじょうあと)/別名・保月城 |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県丹波市春日町 |
| 指定区分 | 国指定史跡 |
| 指定年月日 | 平成元年(1989年)8月11日 |
| 立地 | 猪ノ口山山頂(標高356メートル) |
| 時代 | 戦国時代。主要な石垣は永禄〜天正期(1560〜1570年代)に完成 |
| 選定 | 続日本100名城 第163番(2017年選定) |
| アクセス | JR福知山線・黒井駅から登山口まで徒歩約10分、登山口から本丸まで徒歩約40〜60分 |
| 関連史跡 | 麓の興禅寺(下館跡。国指定史跡) |
| 公開状況 | 常時開放の山城跡で入場無料。スタンプは春日住民センターに設置 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁):黒井城跡
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1900
- 丹波市観光協会:黒井城跡
- https://www.tambacity-kankou.jp/spot/spot-1530/
- 丹波市:続日本100名城「黒井城」スタンプの設置場所のご案内
- https://www.city.tamba.lg.jp/soshiki/shakaikyoikubunkazaika/gyomuannai/7/2747.html
最終更新日: 2026.05.28