箕谷古墳群 — 但馬の谷あいに眠る、兵庫県下最古の漢字資料

兵庫県北部の山あいに、ひっそりと佇む小さな谷があります。養父市八鹿町小山の「箕谷(みいだに)」と呼ばれるこの谷の奥には、7世紀前半から中頃にかけて造られた4基の古墳が、復元されたかたちで保存されています。「箕谷古墳群」と呼ばれるこの史跡は、つるぎが丘公園の文化的中核として親しまれてきた場所であり、平成4年(1992年)に国の史跡に指定されました。

2号墳の石室から発見された一振りの鉄刀には、「戊辰年五月」の銀象嵌銘文が刻まれており、西暦608年に当たると考えられています。これは兵庫県下で最古の年号を記した漢字資料であり、古代但馬の在地豪族が大和政権や朝鮮半島とどのような関わりを持っていたかを物語る、たいへん貴重な遺物です。本記事では、箕谷古墳群の概要、史跡指定の経緯、見どころ、そして周辺の楽しみ方をご紹介します。

歴史的背景

箕谷古墳群は、円山川の支流である八木川下流域の左岸、山の尾根が八木川に向かって張り出してできた幾つかの谷の一つ、「箕谷」の谷奥に立地しています。地下に眠っていた古墳群が脚光を浴びるきっかけとなったのは、昭和58年(1983年)。八鹿町教育委員会が、体育総合施設「つるぎが丘公園」の建設に先立って発掘調査を行ったところ、銘文入りの鉄刀が出土したのです。これを受けて文化庁の指導のもと、現地での保存整備が決定されました。

当初、この谷では1号墳から5号墳までの5基の古墳が確認されましたが、現在は2号墳から5号墳までの4基が復元保存されています。2号墳から始まり3号墳、4号墳、5号墳と順に造られていったと考えられており、新しいものほど規模が小さくなり、立地もより谷の北側、標高の高い位置へと移っていきます。出土した須恵器(陶邑編年TK217形式に併行する時期)の検討から、築造年代は7世紀前半から中頃と推定されています。これは推古天皇や聖徳太子が活躍した時代、すなわち飛鳥文化が花開いた時代にあたります。

箕谷古墳群から南東へ約4キロメートルの場所には、6世紀後半から7世紀中頃にかけて但馬を支配したとされる豪族の墓と考えられている「大薮古墳群」があります。箕谷古墳群の被葬者は、こうした但馬の支配層を支えた一族であった可能性が高いと推定されています。

国史跡に指定された理由

箕谷古墳群は、平成4年12月18日に7,000平方メートルが国の史跡として指定されました。指定の決め手となったのは、銘文入り鉄刀をはじめとする2号墳出土品の歴史的価値の高さに加え、3号墳に見られる朝鮮半島との関連を示唆する独特の墳丘構造など、7世紀の東アジアにおける文化交流の様相を生き生きと伝える点にあります。

戊辰年銘大刀 — 兵庫県下最古の年号

2号墳から出土した鉄刀には、刀身の基部付近に「戊辰年五月(中力か)」の銀象嵌の銘文が施されています。「戊辰年」(ぼしんねん)は60年に一度めぐる干支の年で、これを西暦608年とする説が現在では有力です(一部に668年説もあります)。いずれの説をとっても、兵庫県下に残る最古の年号入り漢字資料であることは間違いありません。さらに、干支の年号を含む銘文を持つ鉄刀としては、全国でも2例目にあたる極めて貴重な遺物です。

2号墳の石室内から発見された出土品103点は、銘文入り鉄刀をはじめ、武器類、馬具類、金銅耳環、土師器、須恵器など多岐にわたり、平成8年(1996年)に「兵庫県箕谷二号墳出土品」として国の重要文化財に指定されました。原品は別途保管され、史跡公園では精巧な復元品を見学することができます。

3号墳の3重列石 — 朝鮮半島とのつながり

3号墳は約17メートルの円墳で、墳丘の盛土を3段に積み上げ、各段の周囲を石垣状の列石で囲った大変珍しい構造を持っています。但馬には列石をもつ古墳が数多くありますが、3重もの列石を巡らす例は兵庫県下でも稀有なものです。この特徴的な築造技法は、韓国の釜山市付近、たとえば昌寧(チャンニョン)校洞4号墳の列石などにも認められることから、朝鮮半島にルーツを持つ古墳技術が但馬まで伝わったのではないか、という説も提唱されています。

見どころ

古墳公園の佇まい

箕谷古墳公園は、平成4年度から5年度にかけての文化庁の史跡保存整備事業として整備され、平成6年(1994年)5月にオープンしました。谷の窪地に造られた4基の古墳を雑木林が外界から優しく遮り、「古代の空間」が静かに保たれています。古墳を取り囲むように芝生広場が広がり、自由に散策できます。芝生のなかに置かれた花崗岩のベンチに腰を下ろせば、木漏れ日のなかで時が止まったような感覚を味わえるでしょう。

2号墳の石室と強化ガラスの天窓

2号墳は古墳群中で最大の円墳で、直径約14メートル、復元高は3.5メートルです。石室は長さ8.6メートル、幅1.2メートル、高さ1.7メートルの「無袖式(むそでしき)」横穴式石室で、玄室と羨道の区別がない構造となっています。側壁の最下段には奥壁から大型の石材を4石続けて据え、その上に丁寧に整形された長方形の石材を3段積み上げており、安定感ある美しい造作が見て取れます。

この2号墳には、天井石1枚分のスペースに特別製の強化ガラスを設置し、自然光を取り入れた天窓が設けられています。石室内には、人形の板を中心に置き、その周囲に埋葬当時の姿を復元した土器、鉄刀、矢などの出土品が並べられており、ガラス越しに古代の埋葬空間を覗き見ることができます。

復元された戊辰年銘大刀

石室内の中央付近には、戊辰年銘大刀の復元品が安置されています。刀身は約65センチ、鞘は70センチ、柄は15センチ。鞘は黒漆塗りで、金メッキを施した金具が金色に輝きます。柄には銀線に刻みを入れたものが巻かれ、鍔は小さな喰出し鍔、切先は奈良時代に多いカマス切先となっています。形状は「圭頭大刀(けいとうたち)」と呼ばれる種類で、奈良の正倉院宝物にも類似品が伝わっており、飛鳥地方で製作され但馬の有力者に贈られたと考えられています。

風水思想による選地

古墳群の中心に立つと、後方(北側)から山の尾根がせまって袋状の地形をなし、前方(南側)は土地が低く開けていることに気づきます。さらに各古墳の石室入口は南を向いています。こうした地形と方位の選び方は、中国伝来の風水思想に基づく「選地」と呼ばれるものです。同様の特徴は7世紀の奈良県飛鳥地方の古墳にも見られ、箕谷古墳群が大和政権の文化と歩を一にしていたことが窺えます。

訪問のご案内

箕谷古墳群は「つるぎが丘公園」の一角にあり、入場無料で年間を通じて見学できます。園内には体育館や温水プールも備わっており、地域の方々の憩いの場となっています。古墳公園の散策は自由気ままに楽しめますが、芝生や園路には起伏もあるため、歩きやすい靴でのご来訪をおすすめします。

  • 入場料:無料
  • 開園:屋外史跡のため通年見学可
  • おすすめの季節:新緑の初夏、紅葉の秋
  • 所要時間:30〜60分程度

周辺情報

養父市と但馬地方には、箕谷古墳群と合わせて訪れたい歴史・自然のスポットが点在しています。

大薮古墳群

南東へ約4キロメートル。但馬地域を代表する大型横穴式石室を持つ4基の古墳が並び、但馬・丹後・丹波・播磨地方のなかでもトップクラスの規模を誇ります。箕谷の被葬者と密接な関係にあったとされる、但馬の支配層の墓です。

八木城跡

同じく国指定史跡。戦国時代の八木氏、豊臣時代の別所氏が治めた大規模な山城跡で、登城路を辿ると但馬の谷々を一望する絶景に出会えます。

養父歴史街道

養父市では市内の文化財を結ぶ「養父歴史街道」が整備されており、神社仏閣や伝統的な集落、考古遺跡などを連ねた散策コースをお楽しみいただけます。

竹田城跡

隣接する朝来市にある「天空の城」竹田城跡は、秋から冬にかけて雲海に浮かぶ姿で世界的に知られる山城の遺構です。但馬の旅程に組み込めば、忘れがたい風景に出会えるでしょう。

Q&A

Q箕谷古墳群で最も重要な発見は何ですか。
A2号墳の石室から出土した「戊辰年五月」の銀象嵌銘文をもつ鉄刀です。「戊辰年」は西暦608年と考えるのが有力で、兵庫県下で最古の年号を記した漢字資料となっています。
Qどのような人物が埋葬されたと考えられていますか。
A7世紀前半の但馬地域で活躍した有力豪族の一族と考えられています。南東4キロメートルにある大薮古墳群に眠る但馬の支配層を支えた人々で、推古天皇や聖徳太子の時代に生きた人物の可能性が高いとされます。
Q古墳の内部を見学することはできますか。
A2号墳の天井石1枚分に強化ガラスがはめ込まれており、自然光が差し込む石室内部を覗き見ることができます。中央には人形の板を置き、その周囲に復元品の土器・鉄刀・矢などが、埋葬当時の姿で並べられています。
Q出土した鉄刀の本物を見ることはできますか。
A出土した103点は国の重要文化財に指定されており、保存のため別途管理されています。史跡公園内ではいずれも精巧な復元品を見学できます。黒漆塗りの鞘に金メッキの金具が施された大刀は、当時の威光を今に伝える出来栄えです。
Qアクセス方法を教えてください。
A兵庫県養父市八鹿町小山の「つるぎが丘公園」内にあります。最寄り駅はJR山陰本線の八鹿駅で、駅からはタクシーが便利です。大阪・京都方面からは特急で姫路または福知山経由でアクセスできます。

基本情報

名称 箕谷古墳群(みいだにこふんぐん)
指定区分 国指定史跡(平成4年12月18日指定)/2号墳出土品103点は国の重要文化財
所在地 兵庫県養父市八鹿町小山字箕谷283番地ほか
古墳数 復元保存された4基(2号墳〜5号墳)
築造年代 7世紀前半〜中頃(古墳時代終末期/飛鳥時代)
2号墳 円墳。直径約14メートル、復元高3.5メートル。横穴式石室は長さ8.6メートル・幅1.2メートル・高さ1.7メートル
発掘調査 昭和58〜59年(1983〜1984年) 八鹿町教育委員会
古墳公園オープン 平成6年(1994年)5月
指定面積 7,000平方メートル
入場料 無料
お問い合わせ 養父市教育委員会 歴史文化財課 電話 079-661-9042

参考文献

最終更新日: 2026.05.10