短刀 銘来国俊 ― 将軍家から伝わる鎌倉期の国宝短刀
大阪と神戸の間、兵庫県西宮市苦楽園の閑静な丘陵地に建つ公益財団法人黒川古文化研究所には、日本を代表する中世の名刀のひとつが収蔵されています。「短刀 銘来国俊」と呼ばれるこの作品は、鎌倉時代後期から南北朝期にかけて京都で活躍した名工・来国俊の手になる国宝で、刃長わずか24.5センチの小品ながら、洗練された鍛冶の粋を凝縮した名品です。徳川将軍家から大名家へと伝来したその来歴をたどりながら、年に二度の展観期間にこの一口と対面できる貴重な機会をご紹介します。
この短刀について
本作は、鎌倉時代後期に京都を本拠として隆盛を誇った刀工流派・来派の名工、来国俊の手になる短刀です。茎には「来國俊」の三字銘が切られており、作者については疑問の余地がありません。刃長24.5センチ、元幅2.1センチ、茎長9.3センチ弱、重量およそ150グラム。形姿はゆるやかに反った優美な振袖形で、平造、三ッ棟という古典的な構成をとります。表には護摩箸(ごまばし)と呼ばれる二条の彫り、裏には腰樋(こしひ)と呼ばれる短い樋が配され、信仰と装飾性が一体となった意匠が施されています。
来派と来国俊
来派は山城国、すなわち平安京を中心とする現在の京都府南部を本拠とした刀工流派で、鎌倉時代中期から南北朝期にかけて全盛期を迎えました。室町時代の刀工系図『観智院本銘尽』によれば、その祖は朝鮮半島から渡来した一族と伝えられますが、確実な作刀が現存する最古の人物は鎌倉時代中期の国行で、これが事実上の流祖とされます。
来国俊はその一族の系譜にあって、特に著名な刀工です。年紀のある作刀は弘安元年(1278)から元亨元年(1321)にまで及び、正和5年(1316)の銘には「七十五歳」と記されることから、生年は仁治2年(1241)頃と推定されています。前期の作風は豪壮な姿に丁子乱れの華やかな刃文をそなえ、後期には細身で直刃を基調とした瀟洒な作風へと移行しました。現存する作のうち多くは後期に属しますが、太刀・短刀ともに得意とした中でも、ことに短刀は格別の出来として古来高く評価されてきました。
本作は来国俊の代表作のひとつにかぞえられる優品です。文化庁の指定解説では「本短刀は同作中出来が優れ、その健全さにおいて右に出るものがない」と評されており、七百年以上の歳月を経てなお創建当初の姿をよく留めていることが特筆されています。
江戸城から大名家へ ― 由緒ある伝来
本作は、徳川将軍家のお膝元から大名家へと下賜され、その後の伝来も明らかな来歴をもつ点でも貴重です。白鞘に貼られた菱葉紋の朱印を捺した和紙から、大和郡山藩柳沢家の旧蔵であることが判明しており、大正13年(1924)に行われた柳沢家の売立目録には、本作と特徴の一致する短刀が掲載されています。
柳沢家はもともと上野館林藩士でしたが、柳沢吉保(1659〜1714)が、五代将軍として江戸城に入る藩主徳川綱吉に近侍として従い、側近として重用されたことから、石高15万石を超える大名へと昇りつめた家柄です。柳沢邸には綱吉の御成(おなり、将軍の臣下宅への正式訪問)が58回にも及び、そのたびに刀剣をはじめとする贈答品が交わされたため、同家には幕末に至るまで数多の名刀が伝えられました。
柳沢吉保の日記『楽只堂年録(らくしどうねんろく)』によれば、元禄4年(1691)3月22日に綱吉が訪れた際、長男安暉(やすてる、のち吉里)に「来国俊の脇指、長さ八寸一分、代黄金弐拾枚の折紙有」を賜ったと記されており、研究所の研究では本作がこの記述に該当する一口とみられています。本作の鎺(はばき)には葵紋が配され、付属する豪奢な金梨子地塗りの拵えにも、大小さまざまに変化をつけた葵紋が散らされており、当代一流の蒔絵師の技量がいかんなく発揮されています。
国宝指定の理由
本作は昭和10年(1935)4月30日に重要文化財(旧国宝)に指定され、戦後の文化財保護法の施行を経て、昭和28年(1953)11月14日に国宝に指定されました。その評価の理由は大きく三つに整理できます。
第一は、作品そのものの卓越した質です。地鉄は山城物の特色である小板目肌がよくつみ、わずかに柾がかった肌に地沸が美しくつきます。刃文は中直刃に小足が入り、匂口は締まり気味に小沸がつき、物打あたりには金筋(きんすじ)と呼ばれる輝く線が走ります。帽子は小丸となり、表側はやや光ごころを帯びるという、鑑賞刀剣として最高水準の出来栄えを示します。
第二は、その類まれな健全性です。茎は生ぶで磨上げや改鑽(かいさん)の跡がなく、振袖形の原型と鑢目(やすりめ)、銘振りまで往時のままを留めています。本作が「短刀の名手」来国俊の作中でも特に健全な一振であることは、文化庁の指定解説でも明確に記されています。
第三は、歴史資料としての価値です。徳川将軍から大名へ、そして近代の蒐集家へと辿られる伝来が文献・銘・付属の拵えによって裏づけられており、単に金属工芸の傑作であるだけでなく、近世武家社会の儀礼や贈答慣行を物語る歴史資料としても、稀有の存在となっています。
鑑賞の見どころ
展示ケースの前で本作を鑑賞する際、ぜひ注目していただきたい見どころをご紹介します。
- 明るく冴える直刃の刃文。研ぎ澄まされた刃の白さと地肌の対比は、光の当たり方によって表情を変えます。
- 小板目肌のきめこまかな地鉄。地沸がうっすらと粒立ち、京の刀工特有の上品な肌合いを示します。
- 表に施された護摩箸の彫り。仏教の護摩供で用いる箸を象ったもので、中世の刀剣に込められた祈りの心がうかがえます。
- 茎に刻まれた「来國俊」の三字銘。小ぶりながら整った銘振りで、来国俊後期作の典型を示します。
本作はしばしば、葵紋を散らした金梨子地塗りの華麗な拵えとともに展示されます。鎺に三つ葉葵紋が配され、葉の表現や大きさに変化をつけた蒔絵の意匠は、それ自体が江戸期工芸の一級品です。刀身と拵えの両方を一度に鑑賞できる機会は決して多くなく、来訪の価値を高めています。
黒川古文化研究所と訪問のご案内
黒川古文化研究所は、大阪で証券業を営んだ黒川家三代が収集した東洋美術コレクションを基礎として、1950年(昭和25年)に芦屋市で設立され、1974年(昭和49年)に現在の西宮市苦楽園へ移転しました。コレクションには国宝2件、国の重要文化財16件(162点)、重要美術品62件(78点)が含まれ、特に日本刀のコレクションは質・量ともに国内屈指と評価されています。
来訪にあたって最も重要な点は、当研究所が一般公開を行うのは年二回の特別展会期中、すなわち春期(4月中旬から5月中旬頃)と秋期(10月から11月頃)の各約一か月間に限られているということです。会期外は閉館しています。また、本作が常時展示されているわけではなく、展示の有無は各回の展観テーマによって決まりますので、特に本作を目当てに訪れる場合は、事前に研究所のウェブサイトや電話で確認されることをお勧めします。
研究所は急峻な丘の上に位置しています。阪急神戸線の夙川駅から「さくらやまなみバス」山口方面行きに乗車し、柏堂町(かやんどうちょう)停留所で下車後、徒歩15〜20分ほど坂を登ります。同駅からタクシーを利用すると約10分で到着します。展観会期中の土日祝には、阪急苦楽園口駅前から無料のシャトルカー(9人乗りハイヤー)が往復運行されており、約30分間隔で利用できます。
周辺の見どころ
苦楽園・夙川一帯は、研究所訪問とあわせて散策する価値のある地域です。夙川公園は関西有数の桜の名所として知られ、4月上旬の桜の季節には川沿いに見事な花のトンネルが現れます。少し足を延ばせば、全国のえびす神社の総本社である西宮神社があり、毎年1月10日の「十日えびす」では、開門と同時に境内を駆け抜けて福男を競う神事が有名です。
西宮は日本最大の酒どころ「灘五郷」の一翼を担う地でもあり、海岸沿いには見学や試飲を受け付ける老舗の酒蔵が点在しています。日本刀により深く触れたい方には、来国俊が活躍した京都までは電車で30分ほどであり、京都国立博物館をはじめ、名刀を所蔵する寺社や博物館が数多くあります。神戸方面へ少し移動すれば、神戸市立博物館や有馬温泉も訪問の選択肢に入るでしょう。
Q&A
- 黒川古文化研究所を訪れれば、いつでもこの短刀を見ることができますか。
- いいえ、必ず見られるわけではありません。研究所の開館は春期(4月中旬〜5月中旬頃)と秋期(10月〜11月頃)の特別展会期中のみで、それぞれ約一か月です。さらに、本作の展示の有無は各回の展観テーマによって決まりますので、訪問前に必ず公式ウェブサイトや電話で確認されることをお勧めします。
- 来国俊とはどのような刀工ですか。
- 来国俊は鎌倉時代後期に京都で活躍した来派の名工です。年紀のある作は弘安元年(1278)から元亨元年(1321)に及び、太刀と短刀の両方を巧みに鍛えましたが、特に短刀の名手として古来高く評価されてきました。多くの作品が日本各地の博物館や寺社に所蔵されており、国宝・重要文化財に指定されているものも少なくありません。
- 付属の拵えに葵紋が施されているのはなぜですか。
- 三つ葉葵紋は徳川将軍家の紋章です。本作は元禄4年(1691)に五代将軍徳川綱吉から、近侍であった柳沢吉保の長男に下賜された一口とみられており、その由緒を示すものとして拵えに葵紋が配されています。研究所には他にも柳沢家旧蔵で葵紋付き金具をそなえた拵えが伝わっており、将軍と柳沢家の300年前の深い関係を今に伝えています。
- 「短刀」は他の日本刀とどう違うのですか。
- 短刀は、おおむね刃長30センチ未満の片刃の短い刀剣です。中世以降、武士は太刀や打刀(うちがたな)といった長い刀のほかに、護身や接近戦、あるいは儀礼用に短刀を帯びました。武器としてだけでなく、贈答品や鑑賞の対象としても重んじられ、本作のように一級の美術品として遺された例も少なくありません。
- 大阪や京都からのアクセスはどうすればよいですか。
- 大阪からは、阪急神戸線で阪急梅田駅から夙川駅まで約25分、夙川駅からタクシーで約10分、もしくは「さくらやまなみバス」で柏堂町停留所まで行き、徒歩15〜20分ほど坂を登ります。京都からは、阪急京都線・神戸線を乗り継ぐかJRを利用してアクセスします。展観会期中の土日祝には、阪急苦楽園口駅前から無料シャトルカーが運行されています。
基本情報
| 名称 | 短刀 銘来国俊(たんとう めいらいくにとし) |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(工芸品) |
| 指定年月日 | 重要文化財:昭和10年(1935)4月30日/国宝:昭和28年(1953)11月14日 |
| 作者 | 来国俊(活動年代 1278〜1321、山城国) |
| 時代 | 鎌倉時代後期(13世紀末〜14世紀初頭) |
| 法量 | 身長24.5センチ/元幅2.1センチ/茎長9.3センチ弱/重量約150グラム |
| 形状 | 平造、三ッ棟、振袖形茎、表に護摩箸、裏に腰樋の彫り、表に「来國俊」三字銘 |
| 所有者 | 公益財団法人黒川古文化研究所 |
| 所在地 | 兵庫県西宮市苦楽園三番町14-50 |
| 公開時期 | 春期展(4月中旬〜5月中旬頃)と秋期展(10月〜11月頃)の特別展会期中のみ。展示は展観テーマにより異なる。 |
| 伝来 | 大和郡山藩柳沢家旧蔵(元禄4年・1691、徳川綱吉より下賜)。大正13年(1924)の売立を経て黒川家コレクションへ。 |
参考文献
- 短刀 銘 来國俊|公益財団法人 黒川古文化研究所
- https://www.kurokawa-institute.or.jp/pages/55/
- 短刀〈銘来国俊/〉|文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/197470
- 収蔵品紹介|公益財団法人 黒川古文化研究所
- https://www.kurokawa-institute.or.jp/pages/53/
- アクセス|公益財団法人 黒川古文化研究所
- https://www.kurokawa-institute.or.jp/pages/29/
- 来派|Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/来派
- 黒川古文化研究所|Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/黒川古文化研究所
最終更新日: 2026.04.25