武勇旧釜蔵 ― 釜の蔵に残る戦時の記憶

茨城県結城市、武勇の仕込蔵の西北に接して、背の低い平屋の土蔵が建つ。漆喰の妻面を高く見せるこの建物が旧釜蔵である。明治37年(1904年)の建造。「釜」とは、かつて酒造りで米を蒸すのに使った大きな釜を指し、頭の「旧」の一字には、この蔵元の苦しい一章が結びついている。

武勇の創業は慶応年間、およそ1867年。越後(現在の新潟県)から来た初代・保坂勇吉が、絹織物で栄える城下町に酒蔵を開いた。第二次世界大戦のさなか、政府は寺の鐘から家庭の鍋まで全国から金属を供出させ、酒蔵も例外ではなかった。武勇も酒づくりに欠かせない金属の釜を手放し、木の釜を使うなどして細々と造りを続けた。旧釜蔵は、その釜がここで支えた仕事を覚えている建物である。

六件のうちのひとつとして登録

旧釜蔵は、2011年(平成23年)7月25日に国の登録有形文化財となった武勇の六件のひとつである。第70回登録でまとめて受け入れられ、登録番号は08-0247。記録には、平成6年(1994年)に改修されたことも記される。

区分は「指定」ではなく「登録」で、その違いははっきりさせておきたい。国宝や重要文化財は「指定」で、最も厳格に保護される。「登録」は1996年に始まった、より緩やかな制度で、築おおむね五十年以上を経て地域の歴史的な景観をかたちづくる建物が対象になり、使い続けることで残すことが促される。武勇の六件はいずれも「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という一つの基準で登録されている。

二つの部分からなる蔵

旧釜蔵は平屋の土蔵造で、建築面積はおよそ60平方メートル。主屋は桁行約11メートル、梁間約5.6メートル、東西棟の切妻造で桟瓦葺。漆喰塗りの妻面を大きく見せる姿は、内部に高さと風通しを要する釜場の蔵らしい顔つきである。

北面の西半には、もう一つの低い建物が付く。南北棟の切妻造で、桁行約8.9メートル、梁間約3.6メートルの木造平屋、真壁造の保冷室である。漆喰の高い妻面をもつ旧釜蔵と、低い棟の保冷室が並ぶことで、外観に変化が生まれている。地下では釜場が、近くに立つ煉瓦煙突とつながっている。通りからは見えないが、二つの登録建造物は働く歴史を分かち合っている。

Q&A

Qなぜ「旧釜蔵」と呼ばれるのですか。
A「釜」は酒造りで米を蒸す大きな釜、「蔵」は土蔵を指します。この建物が釜場の仕事を担いました。頭の「旧」は、かつての釜場であったことを示します。武勇では、戦時に金属の釜を供出させられ、一時は木の釜で凌いだ歴史も伝えられています。
Q建造と改修の年は。
A国の記録では明治37年(1904年)の建造で、平成6年(1994年)に改修されたとされます。武勇の敷地では比較的早い明治期の建物にあたります。
Q付属する低い部分は何ですか。
A北面に増築された木造の保冷室です。主屋より低く、柱を見せる真壁造で建てられています。高い漆喰の妻面と低い保冷室が並ぶことで、独特の二段構えの外観になっています。
Q見学できますか。
A現役の酒蔵の一部です。有料の見学がかつて行われていましたが、最新の案内では一時中止です。武勇の公式サイトをご確認ください。この建物は通りの正面ではなく、敷地内に建っています。
Q武勇の場所と、町の見どころは。
A武勇は結城市中心部の浦町にあり、JR水戸線・結城駅から徒歩約10〜15分です。結城は2010年にユネスコ無形文化遺産となった結城紬の産地で、蔵の残る町です。

基本情報

名称武勇旧釜蔵(ぶゆうきゅうかまぐら)
所在地茨城県結城市大字結城字浦町144
区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日2011年(平成23年)7月25日/登録番号08-0247
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
年代明治37年(1904年)/平成6年改修
構造及び形式土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積約60平方メートル、保冷室付
員数1棟
所有者株式会社武勇
アクセスJR水戸線・結城駅から徒歩約10〜15分

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)― 武勇旧釜蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008627
結城市公式ホームページ ― 登録有形文化財(武勇)
https://www.city.yuki.lg.jp/kosodate-kyouiku/shougaigakushuu/bunkazai/bunkazai/tourokuyuukei/page003240.html
株式会社武勇 ― 武勇の歴史
https://buyu.jp/history/

最終更新日: 2026.06.25