家の味噌をおさめる蔵
茨城県土浦市小山崎、岩瀬家の屋敷では、主屋の背面に蔵が扇状に広がって並ぶ。岩瀬家は江戸時代を通じて小山崎村の名主を務めた家で、その格の家には相応の貯蔵がいる。扇形に並ぶ蔵群の東端、米蔵の隣に建つのが味噌倉である。家の食卓を支えた味噌をおさめるための蔵であった。
建物は木造2階建で、切妻造の桟瓦葺。桁行5.6メートル、梁間5.0メートルをはかる。1階の内部は二室に分かれ、味噌の置場と物置とに使い分けられた。西面から南面にかけては深い下屋庇がまわり、その下は土間で、西面は壁を立てずに吹き放つ。外壁は真壁造で、白漆喰に仕上げる。
味噌倉は明治後期に属し、近くに建つ江戸末期の米蔵や屋敷蔵よりは新しい。江戸期の中核ができあがったのちも、屋敷になお手が加えられていた時期を示す建物である。
実用の蔵が登録された理由
味噌倉は平成22年(2010年)4月28日、第67回の登録で国の登録有形文化財(建造物)となった。登録番号は08-0235である。登録有形文化財は平成8年(1996年)に設けられた制度で、築後おおむね50年以上を経て歴史的景観に寄与する建造物などを対象とする。重要文化財の指定より緩やかな枠組みで、家がふだん使っていたような実用の建物を、使い続けながら守ろうとするものである。
味噌倉は主屋ほか7棟という一群の一部として登録された。その面白さは、装飾よりも記録としての価値にある。立派な門や主屋が家の格を示すとすれば、味噌倉はその家がどう自らを養っていたかを示す。米蔵や屋敷蔵とあわせて残ることで、穀物から発酵食品、家財にいたるまで、有力農家の暮らしの仕組みがひとそろい保たれている。
立ち止まって見たいところ
建物に落ち着いた姿を与えているのは、深い下屋庇である。西と南の面に屋根を低く張り出すことで、雨を壁から遠ざける土間の縁ができ、ずんぐりした2階建の箱に広く据わった足もとが生まれる。実用の工夫がそのまま均整につながっており、味噌倉が頭でっかちにならず安定して見える理由はここにある。
白漆喰は、隣り合う蔵と見くらべると味わいが増す。主屋の西南に建つ屋敷蔵が黒漆喰の肌をまとうのに対し、味噌倉は白で仕上げられ、屋敷の蔵群のなかで静かな変化を見せる。主屋の背後に扇状に広がる蔵群を一群として眺めると、大きな農家が機能ごとに蔵を分けていたさまがよくわかる。米はこの蔵、味噌はあの蔵、家財はまた別の蔵、というわけである。
岩瀬家の屋敷は私邸であり一般公開はされていない。蔵は道沿いではなく敷地の内側にあるため、味噌倉を外から見ることはできない。この種の蔵に関心のある方は、各地の野外建築博物館や、関東一円で保存・公開されている農家屋敷で土蔵を見ることができ、構造を間近に確かめられる。
よくある質問
- この蔵は何に使われたのですか。
- 家でつくる味噌をおさめる蔵でした。1階は味噌の置場と物置の二室に分かれていました。
- どれくらいの大きさですか。
- 木造2階建で、桁行5.6メートル、梁間5.0メートル、建築面積はおよそ40平方メートル。切妻造の桟瓦葺です。
- いつ建てられたのですか。
- 明治後期に属し、同じ敷地の江戸末期の米蔵や屋敷蔵より新しい建物です。
- 下屋庇は何のためにあるのですか。
- 西と南の面に深くまわる下屋庇は、土間の縁とともに壁を雨から守り、建物に広く安定した足もとを与えています。
- 味噌倉は見学できますか。
- できません。敷地の内側にあり、非公開で道からも見えません。同種の蔵は各地の野外博物館や保存された農家で見ることができます。
基本情報
| 名称 | 岩瀬家住宅味噌倉(いわせけじゅうたくみそぐら) |
|---|---|
| 所在地 | 茨城県土浦市小山崎字道知411-1他 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 08-0235 |
| 登録年月日 | 平成22年(2010年)4月28日(第67回登録) |
| 員数 | 1棟 |
| 構造・形式 | 木造2階建、瓦葺、建築面積約40平方メートル |
| 年代 | 明治後期 |
| 所有 | 個人所有 |
| 公開状況 | 非公開(敷地内に所在) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)「岩瀬家住宅味噌倉」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008090
- 茨城県教育委員会 いばらきの文化財「岩瀬家住宅主屋ほか7棟」
- https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/bunkazai-registered-6043/
最終更新日: 2026.06.25