塔をもたない相輪
西蓮寺相輪橖は、茨城県行方市の天台宗寺院・西蓮寺の境内に立つ鎌倉時代後期の青銅製相輪橖で、弘安10年(1287年)の建立と伝えられ、大正6年(1917年)8月13日に国の重要文化財に指定された。
相輪とは、多層塔の頂部に立つ金属製の柱状部材を指す。露盤・伏鉢・請花・九輪・水煙・宝珠などを心柱に重ねた、あの部分である。相輪橖はそれを屋根から下ろし、独立した基壇の上に据えたもので、頂部だけが単体の造形として自立する。西蓮寺の相輪橖は高さ9.16メートル。同種のものとして名が挙がるのは、比叡山延暦寺と日光輪王寺の二基だけである。天台宗の象徴として扱われてきた理由も、この希少さと本山との並置にある。
参道から仰ぐと、細長い軸の先で輪が一気に開く輪郭が目に入る。県および市の解説はこれを錫杖形と表現しており、僧の持つ錫杖の頭部を想起すれば形の理屈がつかめる。
弘安の役と、四度の修理
建立の経緯は寺伝による。比叡山無動寺から西蓮寺に入り中興の祖とされる慶弁阿闍梨が、弘安4年(1281年)の弘安の役における戦勝を記念し、信者の浄財を集めて弘安10年に建てたと伝わる。文化庁のデータベースは「青銅製相輪トウ」「1基」「鎌倉後期/1287」と記載するにとどまり、造立の趣旨には触れない。元寇との結び付きは寺伝として扱うのが妥当だろう。
とはいえ、この規模の造立を可能にした背景は史実の側にある。西蓮寺は中世から近世にかけて末寺三十余カ寺を擁し、常陸における天台宗の中核寺院のひとつであった。京都・曼殊院の門跡忠尋大僧正が乱を避けてこの寺に滞留し、曼殊院の額を山門に掲げたという伝えも残る。相輪橖はその寺格を可視化した造営と見てよい。
構造は特異である。心柱には木を用い、その上に銅板を鍛造した筒10個をかぶせて継ぎ、継目には幅7.6センチメートルの帯輪を巻く。橖身は円柱形で、包む銅板の面には寄進者と見られる多数の人名が刻まれている。金属の表面がそのまま寄進帳の役を果たしている。
橖は西に面し、基壇・橖身・頭部の三部に分かれる。基壇は石造で三段に積む。頭部は五輪塔形式をとり、頂に火焔を付した宝珠、それを囲む太い大輪、大輪に懸かる12個の小輪という構成で、大輪には卍字が飾られる。
修理は慶長9年(1604年)、天保12年(1841年)、明治36年(1903年)に行われ、昭和52年(1977年)には木心の腐朽による橖身の傾斜を受けて解体修理が実施された。附指定の棟札1枚は昭和29年(1954年)9月17日に追加指定されている。なお指定材質について、文化庁は青銅製とし、県・市の解説は銅板鍛造と記す。製作技法の記述と材質区分の記述が並存している点は留意したい。
近づいて見る
双眼鏡か望遠を持参したい。卍字も小輪も地上9メートルの高さにあり、肉眼では輪郭を追うのが精一杯である。一方、橖身に刻まれた寄進者名は目の高さにある。銅板の表面を間近で読む時間を取る参拝者は少ない。
橖のかたわらには大イチョウ一号株が立つ。幹囲約6メートル、樹高約25メートル、樹齢千年以上と伝わる雄株で、明治16年(1883年)の火災で幹が焼け細った痕を残す。根元には子安観音が祀られている。11月下旬から12月上旬、黄葉が背景を埋めるころの取り合わせがこの境内で最も知られた眺めだ。
その明治16年の火災を免れたのは、この相輪橖と、境内入口に立つ天文12年(1543年)の仁王門の二件である。本堂・常行堂・客殿・鐘楼はいずれも火災後の再建にあたる。
境内は開放されており、拝観料の設定は公表されていない。屋外の撮影に特段の制限は示されていないが、堂内や法要中の撮影は寺務所に確認するのが確実である。9月24日から30日には常行三昧会が営まれ、常行堂で僧侶が昼夜不断の立行読経を続ける。籠行列は24日・27日・30日の正午に出る。参道沿いには地元ボランティアが植えた彼岸花約10万本が9月に咲く。
交通は車が前提になる。JR常磐線石岡駅からタクシーで約40分、大洗鹿島線新鉾田駅からタクシーで約30分。東関東自動車道の鉾田インターまたは潮来インターからいずれも約30分。多目的トイレの設備はないと寺が案内している。
Q&A
- 西蓮寺相輪橖とはどのようなものですか。塔とは違うのですか。
- 多層塔の頂部に立つ相輪の部分を、屋根から独立させて基壇上に据えた造形です。下に塔身はありません。天台宗の象徴とされる形式で、同種のものは比叡山延暦寺と日光輪王寺にあります。
- 西蓮寺相輪橖の高さと構造を教えてください。
- 高さは9.16メートルです。木の心柱に銅板鍛造の筒10個をかぶせて継ぎ、継目に幅7.6センチメートルの帯輪を巻いています。基壇は石造の三段積み。文化庁の登録上の材質区分は青銅製です。
- 西蓮寺相輪橖はなぜ弘安10年に建てられたのですか。
- 中興の慶弁阿闍梨が弘安の役の戦勝を記念し、信者の浄財によって建立したと伝わります。文化庁のデータベースは年代と材質を記すのみで造立の趣旨には触れないため、寺伝として受け止めるのが適切です。
- 西蓮寺相輪橖は自由に見学できますか。撮影は可能ですか。
- 境内に立っており、手続きなく近くまで寄れます。拝観料の設定は公表されていません。屋外の撮影に制限は示されていませんが、堂内や法要中は事前に寺務所へ確認してください。多目的トイレの設備はありません。
- 西蓮寺相輪橖は修理を受けていますか。
- 慶長9年(1604年)、天保12年(1841年)、明治36年(1903年)に修理され、昭和52年(1977年)には木心の腐朽で橖身が傾いたため解体修理が行われました。附指定の棟札1枚は昭和29年に追加指定されています。
基本情報
| 名称 | 西蓮寺相輪橖(さいれんじそうりんとう)附 棟札1枚 |
|---|---|
| 所在地 | 茨城県行方市西蓮寺 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)/指定番号 00701 |
| 指定年 | 大正6年(1917年)8月13日/附の棟札は昭和29年(1954年)追加指定 |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 高さ9.16メートル。木心に銅板鍛造の筒10個、継目に幅7.6センチメートルの帯輪。基壇は石造三段積み |
| 所有者 | 西蓮寺 |
| 公開状況 | 境内に立ち、近くから見学可能。拝観料の設定は公表されていない。 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「西蓮寺相輪橖」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/262
- 文化遺産オンライン「西蓮寺相輪橖」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/173502
- 茨城県教育委員会「西蓮寺相輪とう(附棟札1枚)」
- https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/kuni-8/
- 行方市「西蓮寺 相輪橖(国指定重要文化財)」
- https://www.city.namegata.ibaraki.jp/page/page008512.html
- 西蓮寺公式サイト「西蓮寺について」
- https://www.sairen-ji.com/infomation.html
- 西蓮寺公式サイト「FAQ」
- https://www.sairen-ji.com/faq.html
最終更新日: 2026.08.06