五徳庵門とは

五徳庵門は、石川県加賀市大聖寺錦町にある江戸末期(1830〜1867年)の木造の腕木門で、平成17年(2005年)2月9日に国の登録有形文化財に登録された。読みは「ごとくあんもん」。五徳庵の4件のなかで最も古く、大聖寺藩の時代にさかのぼるただ一つの建物である。

敷地の南端、倉庫の西側に、道路から少し下がって建つ。間口は4.1メートル。

正面2間、片側を壁とした腕木門

五徳庵門は正面2間の腕木門である。腕木門は、柱から前後に突き出した腕木で屋根を支える門で、武家屋敷の門として広く用いられた形式である。

正面の2間のうち、西側の1間は下見板張の壁とし、東側の1間を出入口にあてる。出入口の戸は、脇へ引き込んで開ける板戸である。2間の間口をすべて開けず、片側を壁で閉じて出入りを1間に絞っている。

屋根は切妻造で、鉄板葺とする。

藩政期から残る柱と冠木

五徳庵門の柱と、柱の上部を横につなぐ冠木には古い材が残る。文化庁は、旧藩時代の中級武家屋敷の門の形式を示すものとしている。加賀市も、門は江戸時代の武家のものと推定している。

主屋・離れ・倉庫がいずれも明治以降の建物であるのに対し、五徳庵門だけが藩政期までさかのぼる。この一帯が大聖寺藩の中級武士の居住区域であったことを、建物として直接示しているのは五徳庵門である。

五徳庵門が登録された理由

五徳庵門は、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という基準で登録有形文化財となった。登録番号は17-0127。文化庁は、大聖寺藩時代の武家地の面影を今に残す門として五徳庵門を評価している。

道路に面した門は、屋敷のなかで最も人目に触れる部分である。東隣の倉庫とともに通りの景観をつくり、城下町大聖寺の武家地の姿を道行く人に伝えている。

五徳庵門の見学

五徳庵門は道路に面しているため、五徳庵の4件のなかで最も見やすい。内部の公開情報はなく、門をくぐったり板戸を開けたりはしないこと。

門の正面に立つと、西側の下見板張の壁と、東側の板戸の出入口という左右の違いがよく分かる。見上げれば、腕木が屋根を支える様子も確かめられる。撮影は道路からにとどめたい。屋敷への行き方は五徳庵のページにまとめてある。

Q&A

Q五徳庵門はいつ建てられましたか?
A江戸末期(1830〜1867年)です。五徳庵の4件のなかで最も古く、大聖寺藩の時代にさかのぼるただ一つの建物です。
Q五徳庵門はどんな形式の門ですか?
A正面2間の木造の腕木門で、西側の1間を下見板張の壁、東側の1間を引込の板戸の出入口としています。屋根は切妻造の鉄板葺です。
Q五徳庵門の大きさはどのくらいですか?
A間口は4.1メートルです。
Q五徳庵門は見学できますか?
A道路に面して建っているので、道路から外観を見ることができます。門の内側への立ち入りはできません。
Q五徳庵門が登録有形文化財になったのはいつですか?
A平成17年(2005年)2月9日で、主屋・倉庫・離れと同じ日です。登録番号は17-0127です。

基本情報

名称五徳庵門(ごとくあんもん)
所在地石川県加賀市大聖寺錦町52-1
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成17年(2005年)登録
員数1棟
寸法間口4.1m(木造腕木門、鉄板葺)
所有者特定非営利活動法人歴町センター大聖寺
公開状況公開情報なし(外観は道路から)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)五徳庵門
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004537
加賀市 国登録文化財
https://www.city.kaga.ishikawa.jp/ed/bunka_shinko/6066.html

最終更新日: 2026.09.29